御本拝読「私のマトカ」片桐はいり
寒い日の本、旅編
大雪の中を出勤し、無事に転びもせず生きております。私自身は雪の降る山陰の生まれ育ち&生まれついての立派な骨格にどっしりした下半身故、黙々と京都市内の混乱をやり過ごしました。しかし電車は止まるしそもそも通勤できない人が続出、連絡便や本の納品も壊滅状態。あんな時は、二日三日図書館閉めといていいと思います。誰も来なかったし。
さて、そんな大雪吹雪の中、いつもの倍の時間かかって通勤する途中に思い出して読みたかったのは、俳優・片桐はいりさんのエッセイ「わたしのマトカ」。フィンランドで映画「かもめ食堂」の撮影中の時のことを中心にまとめられた旅行エッセイです。エッセイ中のフィンランドは大体短く美しい夏のシーズンなので、北欧らしい冬や雪の描写はそこまで多くありませんが、そこはやはり北欧の国。雪原サウナの話は、読んでるだけで湯冷めしそう。
女性を中心に根強い人気の北欧・フィンランド。カフェに憧れたりオーロラやマリメッコを愛したり。そういう系のエッセイや漫画や案内本も多く出てます。が、これはあくまで旅日記。はいりさんのフラットな視線とクールな語り口で、当時のフィンランドの様子が写真のように切り取られます。
旅を愛する人
GLAYの曲名みたいな見出しになっちゃった。まあいい。はいりさんは、北欧憧れ女子でも多才売りのタレントでもありません。ただただ、旅が好きな日本人(職業・俳優)で、今回はお仕事でフィンランドへ旅しただけ。それが文章にさっぱりとした小気味よさとして現れています。盲目にべた褒めもしなければ、偏見で貶めもしない。私の思う現代版・江戸っ子ってまさにこんな感じ。
旅慣れた人の、準備のルーティン。それでも起こるハプニング。言語はもちろん、交通や生活のルールや習慣も分からない土地。それらに、案内人や仲間なしで一人果敢に立ち向かい乗り越えるはいりさんは、まるで児童文学の冒険譚の主人公です。
はいりさんの演技も文章も好きなのですが、他のエッセイももれなく拝読しております。疎遠だった実弟を訪れる「グアテマラの弟」も、映画および映画館や映画人への愛をつづる「もぎりよ今夜も有難う」も、良い本。どのエッセイでも、旅とは関係ない目的のためにはいりさんは見知らぬ土地へ一人で旅をします。
本来の目的の内容を膨らませてお涙頂戴のメロウなおはなしにもできるはずの経験を、はいりさんは淡々と旅人として描きます。そこが、とても爽やかで気持ちがいい。旅を愛する人だからこそ、自分の感情にもとどまったりこだわったりしすぎず、さらりと歩いていく。
今考えれば、北欧・おひとりさま・旅、という平成末期から大流行りのワード詰込み。正直、この流行りに乗じて出た本などは、数年後には色あせている気がします。だけど、この本はきっと何年経っても面白さが変わらない。それは、薄っぺらい流行りものがテーマなのではなく、はいりさんの生き方という旅の1ページが本になっているから。
国が違えど
色んな媒体で、「フィンランド人と日本人は似ている」と聞きます。シャイで几帳面、鮭が好き。しかし、当たり前ですが、日本人という大きなくくりで性格や性質が定義できるわけでもないのに、異なる二つの国の国民性の共通点があるわけはないと個人的には思います。
エッセイの中で描かれているフィンランド人たちも、実にみんなユニーク。映画で共演する俳優陣、スタッフ、街中で会う人たち。誰一人、同じ性格の人はいません。それはおそらく、日本人側も同じ。
はいりさんは、旅と同じくらい「ニンゲン」が好き……というか、「ニンゲン」一人一人にちゃんとピントを合わせている人。他のエッセイでもそうですが、このはいりさんの観察力と、こだわりも偏見もない考察と、切れ味の良い筆致が、「ニンゲン」を生き生きと描写します。
寡作の名エッセイスト
ある作者の本を昔から長く読んでいると、ある時急に心が離れてしまう時が来ます。どちらが良い悪いとかではなく、人はみんなそれぞれ違う人生を歩んでいるから、色んな選択やタイミングについてどうしても合わなくなってしまう。若い頃は「この人面白い!」「いいこと言う!」と思っていたものが、自分が歳を重ねると「あれ……?共感できないぞ……?」ってなっちゃったり。私も、特に30過ぎてから何人かそうやって離れてしまった小説家やエッセイストの方がいます。
はいりさんは、まったくそうならなかった例。なんでだろうと考えてみると、それははいりさんが自分の考えを高らかに掲げたりしないから。それなのに、ライフステージや立場が変わっても揺るがない芯があるから。
感情豊かに色んなことにいちいち人を巻き込んで泣いたり騒いだりする人もそれはそれで魅力的でしょうが、周りや読んでるこちらは疲れてきます。はいりさんは色んなことを一人で静かに思いっきり楽しんでいる。だから、読んでるこちらも一人で静かに楽しくなれる。
私は同じく俳優でエッセイも書かれている小林聡美さんも大好きなのですが、彼女も同じ匂いがします。
エッセイの本数や冊数こそ他のエッセイストさんたちに比べれば少ないのですが、それがもどかしい。でも、「自分は俳優だから」のスタンスを崩さないはいりさんが好き。ご本人はそのつもりがないと思いますが、私の中では日本の名エッセイストとして五人の指に勝手に入れています。
まとめ
単に大量の雪を見て北欧、フィンランドを連想し、はいりさんのエッセイとなったのですが、冬のきいんと冴えた空気と彼女のきりっとした佇まいはよく似ている気がします。それでいて、肩ひじ張ってかっこつけすぎていない、親しみやすさ。
重すぎないけど、軽すぎない。淡々とした中に、ほんのりとあたたかさや切なさがある。旅をしたくなる一冊、旅に持って行きたくなる一冊です。
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