しぎのあきら

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キッカーズからおそ松くん

がんばれキッカーズ、キャプテンの本郷役は伊倉一恵さん。キャプテンらしいその声に私は惚れました。 ぴえろ内では「古臭い」とか「なんでそんな作品やるの?」とか「現代的に内容を変更した方が良い」とか散々な評判、でも私は原作通りにやりたかった。だって面白いから。 みんなアニメばかり見ているから。雑誌漫画の面白さが分からないんです。なんでもアニメの基準に当てはめようとする、そんな意識が最近話題の原作者無視問題になってしまうんだと思います。 原作を愛すること!それが大事! でもキッカ

    • キッカーズへの道

      絵コンテ二本やったチックンタックン。 終わるころ安納正美さんから次の作品のシリーズディレクターとして手伝ってくれと話があり、他に仕事の無かった私は快諾。 次の仕事は「星銃士ビスマルク」メカものが苦手な私だけど贅沢は言ってられない。国際映画社からお金を貰えなくて貧乏だったんです。 余談ですが、お酒の好きな安納正美さんは机の下に一升瓶を隠していて夜中の仕事の時に飲んでいたらしい。 ビスマルクの次は「忍者戦士飛影」 飛影を何本かやった後、布川社長に呼ばれ初対面。 「魔法のアイド

      • ななこSOSからガルビオン

        自宅で絵コンテを描くのが大変になっていた頃、二宮さんが若手のアニメーターを集めて二宮事務所を久米川に作ったので、私も家賃の一部を払い仕事場として使わせてもらいました。 バイクの免許を取ったのでタツノコスタジオのある鷹の台、二宮事務所の久米川を走り回っていました。 国際映画社のコロコロポロンの後番組として「ななこSOS」が決まり、監督に抜擢されました。初監督作品です。 二宮さんにキャラクターデザインとして協力してもらいました。 初めての監督だったので、力の無さを感じる毎日でし

        • マチコとポロン

          タツノコだけの仕事に専念している頃。 二宮さんから「しぎのくんも外の仕事してみる?」と言われ紹介されたのが、スタジオぴえろの仕事でした。 武蔵小金井に行きぴえろのプロデューサーに会い「まいっちんぐマチコ先生の絵コンテをお願いできないかな」と言われすぐにOKしました。 監督は安納正美さん。 帰り際、ぴえろスタジオで押井さんに会うと、タツノコ時代より瘦せていて(監督の仕事は大変なんだな)と思いました。 同じころ、おちゃめ神物語コロコロポロンの絵コンテも受けました。 誰から紹介さ

        キッカーズからおそ松くん

          演出いろいろ

          撮影部の話でひとつだけ追加。 布川ゆうじさん監督の「怪盗ルパン813の謎」ってアニメスペシャルの撮影をやりました。この作品で初めて私の名前がテレビに出ました。 嬉しかった。 一年半の撮影部での仕事である程度の事を覚えた私ですが、演出としては素人同然でした。 ノンモンを知らずダビングで迷惑かけたり、笹川監督から「もう少し映画的な絵コンテを描いてください」と注意受けたり、二宮さんの原画の土煙を勝手にブラシに変更して「ここのボリュームが必要なんだよね」と文句言われたり・・・ ゼ

          演出になる

          最初の仕事は劇場版ガッチャマンの撮影でした。 三段マルチを組んで撮影部全員で丸一日かかりました。 でも劇場で見ると「あっ」いう間です。 三秒のカットでも大変な労力なのに、テレビで見ると三秒だけ。 当たり前ですね。 次の仕事はフランスとの合作。 夜に出勤して朝帰る毎日、 そんな日々が続き、体調を崩した私を心配した撮影の仲間が九里一平さんに話してくれた。 私は面接時に「企画や演出の仕事がしたい」と言う希望を伝えていたので、 とりあえず試しに絵コンテを描かせてもらった。 それが認

          撮影部

          24歳当時の私は結婚していましたが、定職に就かず「絵本作家になる」などと嘯いてヒモのような生活をしていました。 そんな時に新聞に掲載されていたタツノコプロダクションの募集を見つけて応募したのです。 子供のころから漫画家になりたいとは思っていましたが、アニメには興味がありませんでした。タツノコプロダクションの作品は「宇宙エース」しか知りませんでした。 それでも撮影部に合格して私のアニメ人生は始まったのです。 当時は創業者の吉田竜夫さんが逝去された後で弟の吉田健二さんが二代目社

          40数年前、タツノコプロダクションの面接を受ける。 募集していたのは「仕上げ」「撮影」「制作進行」 「仕上げ」は女子限定。「制作進行」は要免許。 仕方なく「撮影」の面接を受ける。 面接官はアニメフレンドの専務。タツノコスタジオ内にあるが、撮影部はアニメフレンド所属だった。

          40数年前、タツノコプロダクションの面接を受ける。 募集していたのは「仕上げ」「撮影」「制作進行」 「仕上げ」は女子限定。「制作進行」は要免許。 仕方なく「撮影」の面接を受ける。 面接官はアニメフレンドの専務。タツノコスタジオ内にあるが、撮影部はアニメフレンド所属だった。