マチコとポロン

タツノコだけの仕事に専念している頃。
二宮さんから「しぎのくんも外の仕事してみる?」と言われ紹介されたのが、スタジオぴえろの仕事でした。
武蔵小金井に行きぴえろのプロデューサーに会い「まいっちんぐマチコ先生の絵コンテをお願いできないかな」と言われすぐにOKしました。
監督は安納正美さん。
帰り際、ぴえろスタジオで押井さんに会うと、タツノコ時代より瘦せていて(監督の仕事は大変なんだな)と思いました。

同じころ、おちゃめ神物語コロコロポロンの絵コンテも受けました。
誰から紹介されたのか全然覚えてないけど監督の四辻たかおさんだったのかな?
今はもう存在しない国際映画社の作品です。
マチコ先生もポロンも(森日高)のペンネームで仕事していました。
この頃は三作品の仕事を掛け持ちしていたので大変でした。
タツノコで他社の絵コンテ描くわけにもいかないので、家に帰ってから徹夜で描いてました。子供が生まれた頃だったので夜泣きに我慢しながら描いていました。

マチコ先生の絵コンテのスケジュールが遅れて、安納監督に合わせる顔が無いなあと思い、赤ん坊を背負った妻に持っていってもらった時もありました。

当時、掛け持ちしていたのは私だけじゃなく、みんなペンネームを使いながら他社の絵コンテを描いてました。
植田さんは(鳥南乃)の名前でコロコロポロンの絵コンテ描いてます。



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