『2035年の世界地図』を読んで、脳みそが攪拌された!

 資本主義とか、民主主義とか、最近気になってはいるものの、ちゃんと学んだり読んだりしていない”丸腰”で突入し、「世界の知と日本の知」が繰り出す考えやら反対意見やらに、頭が攪拌された状態である…。
 ひとつだけはっきりわかったことは、エマニュエル・トッドやジャック・アタリといった有名な思想家たちでも、何か一つの答えにたどりついているとか、そんなことは全然ないってこと。もちろん共通の基盤はもっていると思うが、パンデミックと民主主義について、とか、デジタルやSNSをどうとらえているか、といったテーマにおいては、結構見方が違っていて面白いのだ。答えを教えて!みたいに邪な(笑)気持ちで飛びつくと、どれが正解やねん?状態で、脳みそが攪拌されて終わる。が、攪拌もよいのではないかと思える。
 それは例えば、歴史が顧みられなくなったのは、歴史というものが「記憶=暗唱」→「記録=叙述」から、「データ=検索」モデルになったから。という話の影響だったりもする。長い時間をかけて現在へとつながる積み重ねだった「歴史」が、気になったときに検索してピックアップするデータベースと化したら、「いま」検索する気が起きない限り、永遠に参照されることはない…。なんともうすら寒い話と感じるのは、私たちがこれに身に覚えアリだからではないか。
 最も気に入ったのは、マルクス・ガブリエル氏(哲学者)の、「本当にクリエイティブなことは(デジタルではなく)動物の領域で起きる」という言葉。病気をして以来、わたしは動物として幸せであることを大事に愛でて生きようと思っているので、そこでクリエイティブなことも起きるのだという考えは気持ちがいい。


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