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番外編:初発から再発まで①

平穏な日々を悔いなく生きる

年末に行った妻との旅行、そこでの吉本喜劇の観覧での笑いが狙い通りに功を奏したのかはわかりませんが、年が明けてのMRIとCTでも「順調、再発などの兆候なし」という診断でした。そこで、先生と相談し、「無理をしない、楽しいと思える範囲で」という注意をうけつつ、2020年2月にスキーに行くことにしました。

退院後初めてのスキー@富良野

やはり2ヵ月の入院でかなり体力が落ち、特に脚力が落ちていたので、昨年の感覚とは違うスキーにはなりましたが、寒くても冷たくても、足が疲れて棒のようになっても、涙がでるほどの幸せを感じながらの滑走になりました。この久しぶりの感覚を感じるとすぐ涙がでてしまうのは、スキーに限らず、野球や体を動かすときにしばらく続きました。

しかし、現実に戻ると、まだ初発の治療について「寛解」とは言われてなかったので、一抹の不安もなかったといえば嘘になります。日々過ごす中で、「俺は治ったのか?」と思う場面は何回もありました。そのため、体のどこかが痛くなると、「再発?」と思ったり、だるかったり、調子が悪かったり寝汗をかいたりしてると、妻に不安を打ち明けていました。その度に妻は「大丈夫」と元気づけてくれました。うざかっただろうに。

2020年3月、いよいよPET-CTの日です。非常に緊張したことを覚えています。何か所見があったらどうしよう、と思いながらの検査と診察でした。検査の結果、今回の治療に関しては「完全奏功」と初めていわれました。画像を見せてもらってもどこにも反応がなく、きれいな状態を見ることが出来て嬉しかったです。ただ、先生に「寛解」と言われなかったので、「先生、それって寛解と思っていいのですね」と聞くと、「はい」と。退院から約3か月、何か暗いトンネルの中で生活していたのが、外の明るい開けた世界に出られたような気がしました。

この後も、3ヶ月周期で癌研での経過観察があり、血液腫瘍科の診察を軸に、放射線科と頭頸科での診察を重ねていきます。しかしながら、がん治療から復活したがんサバイバーなら誰でも感じる再発の不安は消えることはありませんでした。頭の隅では「次に再発したらヤバいだろうな」と常に考えていました。

そんなことからか、1日でも長く生きるよう努力しながら、後悔が無いように生きようと決心したのもこの時期です。

まずは、いつかは飼おうと思っていた、犬を飼うことを提案することとしました。もちろん、家族の同意というか、家族みんなが飼おうと思わないといけないので、啓蒙から始めることにしました。まずは、某ペットショップのWebから可愛い子犬を探し、妻や娘と共有しました。自分の中では長期的に説得できて、娘が中学校に上がる頃(2年後)に飼うことができればいいかな、と思っていましたが、想像よりも妻も娘も反応が良く「もしこの子が2週間売れ残ってたら見に行こう」というギャンブルの提案をしてみたところ、なんと、乗ってきました。

思えば、後に「第一波」と呼ばれるコロナウイルスによる緊急事態宣言が明けたばかりのころで、長い自宅生活への退屈さも追い風になったのかもしれません。

運命だったのか、2週間売れ残ったその子を見に行くことになり、妻と娘と三人で遠方のペットショップまで行きました。途中、娘が泣き出し、「あの子が売れちゃって、いなかったらどうしよう、、、」と。娘がそんな気持ちになったのは、やっぱり運命の子なのかなぁ、と思いつつ、お店についてみると、、、いました!

愛犬との初対面!

見ての通り、たぬきです。完全にたぬきです。むちゃくちゃかわいいですが、ここまで「たぬたぬ」してるとは思いませんでした。

泣き顔だった娘も笑顔になり、「こりゃ、飼うことになるだろうな」と想定外の進み具合に困惑したものの、抱っこなんてしてしまうと、妻もメロメロになっています。そんな妻を見ながら、毒を食らわば皿までなんて言葉もあるなぁ、と買う(飼う)という決心をしました。こうして、ポメラニアンとパピヨンのハーフ、ポメヨンのトムはうちの子になりました。彼は家族の、そして僕の癒し担当として大活躍します。

癒し担当の寝姿

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