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『髑髏となってもかまわない』山折哲雄著       嫌でもいつかはなるのだからさ

『髑髏となってもかまわない』
 山折哲雄著

友人が「親しい人が亡くなって1年経っても悲しみが薄まらない。あわせて死について考えることが多くなった」とフェイスブックに綴っていた。

若者の書くnoteにも死への親しみや憧れを表すものが散見される。

思い浮かんたのがこの本。

谷崎、西行、良寛、芭蕉、啄木、鴎外、賢治と、序章だけでも錚々たる文人たちの死への向き合い方が綴られている。

共感できる文人の言葉に耳を傾け、自分の来し方を思い返してみると随分と幸運に恵まれ、生き抜いてきたことに思い至る。悲しみもまた人生の親戚のようなものと思う。

病気、事故、犯罪、災害、飢餓、戦争、この時代の日本に生きていても、たくさんのリスクと隣合わせで生きていることに疑いはない。

さらにいえば、生まれ落ちたところや自分の持っている能力などは、自分が選ぶものではなく、与えられたものであって、その条件を活かして生き延びるしかない。

そう考えると、生きていることは奇跡のようなもの。

80歳になった氏はこう語る。
毎朝起きるたびに「ああ、今日も生きていた」酒を飲んで眠る前は「さあ、死ぬか」とつぶやく。ときには、「このまま死ねたらいいな」と思いながら眠りにつく。髑髏になってもかまわない。死と馴れ合うわけではなく、それも悪い気分ではない。

80まで生きるのも悪くない。


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