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世間とほどほどの距離で生きるためnote書いてるのに気づいた


世間に疲れたら「人断ち」「情報断ち」してみたらという記事を読んだ。

世間がうっとうしかったり、人間関係にうんざりするとき、できる範囲で、余計な「人断ち」をしていいし(すべきだし)、不要なニュース断ちをしてもいいのではないか(すべきではないか)、と考える。  わたしは定年退職をしてから、人付き合いは激減した。とくに嫌な人間との付き合いは皆無になった。その意味で、自然に「人断ち」はできた。

ちょっとわかる。アドラー先生がおっしゃるように、大抵の悩みは人間関係からなので。

自分自身も自然と波長の合わない人とは付き合わないようになってるのに気づいた。職場も変えたので、プライベートもほぼ話さないようにしてるし、飲み会等はしっかり断ってる。

そんな気持ちは、誰にも喋らないけれど会社に事務所を置かせてもらってるイメージで仕事してる。あれっと思う人とは徐々に距離を取り、不要な相槌を打つことをやめた。小さな会社なりに人が足を引っ張り合ってる場面が見えて、残念な思いになったから。目の前の仕事をきっちり行うことに焦点をあてるだけにしよ。

あとは、自分のできる限りの力を注いで担当するクライエントの生き方を支援するのみ。自己対話を重ねながら、ホントに自分のしたいことを追究することが幸せだな、と感じる。

この記事には、ノンフィクション作家でジャーナリストの堤未果氏の人断ち、情報断ち体験も語られてた。

堤は「誰とも会わず会話せず、毎日朝起きて身体を動かし、毎週1回配達される食材で作ったご飯を一人で食べて、神社に散歩に行き、またご飯を食べてお風呂に入って寝る、というシンプルな暮らし」をつづけた。

そうするうち、堤に最初に湧き上がったのは、「情報が欲しい」という「飢餓感」だったという。「外の世界で何が起こっているのかがわからないことが、不安でたまらない」。「誰かとつながりたい」という「欲求」も「高まって」いく。 この欲求は大量の情報漬けによって、いつの間にかわたしたちの脳のなかに作られたものである。だからそれが遮断されてしまうと、わたしたちは麻薬が切れた中毒者のように不安になってしまうのだ。  

 しかし、10日ほど過ぎたころから変化が起きた。「体感」が戻ってきた。  自分の手の温もり、立ったときに足の下にある地面、さらさらと風にそよぐ葉の音に、鳥たちのさえずりに虫の羽音、木洩れ日のきらめきや、朝と夜の空気の密度と匂い、道端のたんぽぽの鮮やかな黄色……。まるで、今まで一時停止していた五感が、再び動き出しフル活動し始めたかのようであった。

この戻ったという感覚もわかる気がする。時折、ぼんやり自然に触れて脳を休めてるので、ジャンクな情報を時々リセットは必須。

堤氏がここまでの人断ち、情報断ち体験を僧侶から勧められたのは、9.11ショックを身近に受けたから。一度、自分をリセットするくらいのリカバリーが必要だったらしい。自分のメンタルにそこまでの危機はない。

とはいえ、現代社会では、誰しもインターネットのつながる端末から離れられなくなり、毎日洪水のような情報を浴びる環境に生きてる実際がある。

いまや情報断ちの方が難しそうだ。できることがあるとすれば、情報を絞ることくらいだろう。

テレビ断ちの人はまわりでも増えてる。かくいう私もスポーツやドキュメンタリーくらいしか見てない。

厄介なのは、インターネット情報。これはつい見てしまう。また、一度見ると自分の興味のある情報を大量に送ってくるので始末に悪い。

まあ、あまりに刺激が乏しければ、後半の人生を楽しく生きられるような気がしないので、ほどほどを心がけるしか手は無いかとも思う。今できることと言えば、必要のないニュースを開かないという自制心を磨くことか。

ここのところ、一番の情報源は、note。(笑)始めてから3ヶ月。頻繁に開いてるが、人との距離感も含めてちょうど良いSNSのようだ。

最大の美点は、今を生きる市井の人たちのダイレクトな言葉が転がってること。ストレートに賛同できる言葉、いやいや賛同できない言葉、自分にはなかった視点、新しい情報、いろいろな人々の声に耳を傾けることができる。同じニュースを聞いても捉え方は人それぞれ。普通の人たちの言葉が、今の社会を覆っている一番広いグラウンドであることが健全な社会だと考える。noteでその声に触れてみる。

近い感覚のnoterがいるとホッとするし、自分の共感を届けることもできる。自分の感覚で他人のnoteを集めて自分専用のマガジンを作ることもできる。

自分で書いて自分を整理することも、マガジンをつくることも、自分の世間との距離感を保つ感覚を磨くことにもつながる。

今の私にとって必要なことは、人断ち、情報断ちまでいかずに、人、情報と適切な距離感を保つこと、書く行為でアウトプットをしながらいつも心を整えておくことなのだ。

勢古氏の記事を読んで、定期的に人間関係と情報との距離を自分で見つめよう、という結論に着地した。



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