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$日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫) 文庫 半藤 一利 (著)


$日本のいちばん長い日 決定版

(文春文庫)
文庫 
半藤 一利 (著)

$解説
あの日、日本で起きた事。起きなかった事──。
30万部突破の傑作ノンフィクション!
昭和二十年八月六日、広島に原爆投下、そして、ソ連軍の満州侵略と、最早日本の命運は尽きた…。しかるに日本政府は、徹底抗戦を叫ぶ陸軍に引きずられ、先に出されたポツダム宣言に対し判断を決められない。八月十五日をめぐる二十四時間を、綿密な取材と証言を基に再現する、史上最も長い一日を活写したノンフィクション。
文藝春秋の〈戦史研究会〉の人々が『日本のいちばん長い日』を企画し、手に入る限りの事実を収集し、これを構成した。いわばこれは〝二十四時間の維新〟である。しかもそれは主として国民大衆の目のとどかないところでおこなわれた。──大宅壮一「序」より
2015年映画化。役所広司、本木雅弘、松坂桃李、堤真一、山﨑努 監督・脚本:原田眞人

$読者レビューより引用・編集
徹底抗戦か全面降伏か、一億玉砕だ!!
ポツダム宣言の受諾をめぐる天皇陛下の聖断、政権指導部と軍部の葛藤を綿密な取材と証言にもとづいて〈日本のいちばん長い日〉として書いたノンフィクション。
半藤一利さんのデビュー作となるこの本は、当初はいろいろな事情から大宅壮一編と当代一のジャーナリストの名を冠して刊行され、東宝により映画化されたこともあり多くの人に読まれたという。その後、決定版として再発行するに際し、文芸春秋を退社し〈ひとり立ち〉した記念にと亡き大宅壮一夫人の昌さんの了解を得て半藤一利著とさせていただいたとある。
まさに映像を見るような凄まじい臨場感は膨大な調査と取材の賜物でありそれこそ圧倒的で鬼気迫るものがある。
事態はきわめて切迫していて一刻の猶予もなく、政権中枢部の思惑は国体護持という条件で一致していたが連合軍との確約はどこにもなかった。日本はそれこそドイツのように東西に分断されそうな瀬戸際にあった。
どのようにして日本は敗戦を認めポツダム宣言を受諾することを国民に受け入れてもらうかと御前会議がもたされる。結局、天皇陛下のお言葉として事前に収録されたものを8月15日正午に放送されることが決められる。
だが、軍部とりわけ陸軍青年将校らは決起し徹底抗戦を叫びクーデターを決行するのだが、間一髪のところで断念せざるを得なかった。阿南陸相の自決をはじめ多くの叛乱軍が無念の自死を遂げることになる。
やがて、12時の玉音放送がはじまるのだがそれまでの経緯、叛乱軍の制圧、鈴木総理大臣のほか政府要人や侍従らの護衛、収録された音源の確保といった宮城を舞台とする〈日本のいちばん長い日〉がはじまる。
次々と重要文書が燃やされ処分されていくのを眺めながら彼らはいったい何を考えていたのだろう。
井田中佐は、絶望で涸渇した精神のなかに活力の一滴を見出した。重要なことはわれわれが一体となり美しく滅んでゆくということだ、と中佐は思いつめた。こうした死の統一によって困難な時代を乗りこえてゆくことができようし、神州不滅に確信をもつことができるであろう。承詔必謹というような美名による卑怯な敗戦とはちがい、日本敗北の意味は巨大となるであろう。(p109)
今になって思えばまことに滑稽にさえみえる軍部のこの言動とは何だったのだろうか、とあらためて考えさせられる。いつだったか大津島の特攻隊、回天(人間魚雷)基地を訪ねたときもその惨すぎる多くの資料と基地跡を前にして複雑な感情を抑えることができなかった。靖国神社の遊就館を訪ねたときもそうだった。名状しがたいあの独特の雰囲気はどこに起因しているのだろう。ここに共通するあの異様さは何か、何があれほどまでに若者を奮い立たせ決起させたかといえば、それはやはり国体への幻想、天皇を中心とした国体観ということではなかったか?
ポツダム宣言の受諾すなわち日本は戦争に敗け全面降伏するしかなくなったとしても、やはりこの国の精神をささえた実在としての国体のイメージが国民のアイデンティティとともに最大の問題となった。
もともと竹下中佐、井田中佐、畑中少佐の三人は東大教授平泉澄博士の直門として昭和十年ごろよりずっと兄弟弟子の関係にあった。彼らは平泉博士より、自然発生的な実在としての国体観を学んでいた。
一言でいえば、建国いらい、日本は君臣の分の定まること天地のごとく自然に生まれたものであり、これを正しく守ることを忠といい、万物の所有はみな天皇に帰するがゆえに、国民はひとしく報恩感謝の精神に生き、天皇を現人神として一君万民の結合を遂げる―これが日本の国体の精華であると、彼らは確信しているのである。(p178)
・・・略) 彼らの考えるところでは、戦争はひとり軍人だけがするのではなく、君臣一如、全国民にて最後のひとりになるまで、降伏するということは、かえって国体を破壊することであり、すなわち革命的行為となると結論し、これを阻止することこそ、国体にもっとも忠なのである、と信じた。(p178)
おそらくこれが彼らの大義となっていたと考えられる。彼らは森師団長を説き伏せ決行を促すが偶然のいたずらか思い違いか、事件はあっという間に起きた。井田中佐が隣の参謀長室にいたとき師団長を撃ち抜き斬りつけた。
― 井田中佐はとっさにそうした事のなりゆきをみてとった。そして井田中佐を観た、わずかにのぞかれた師団長室を。血の海で、その中に森師団長と白石中佐の死体が重なるようにうつぶしていた。そしてそれを見下ろすように、椎崎中佐が呆然とし、椅子に腰をかけている。ほかに二人の興奮した将校の姿が・・・。叛乱がはじまった!(p210)
 だが、井田中佐、畑中少佐ら叛乱軍の思惑ははずれ、東部軍の理解は得られず彼らは宮城に籠城したまま外部との連絡を遮断したまま孤立していた。
「畑中、もういかんよ。東部軍は冷却しきって、まったく起つ気配はない。これ以上、宮城籠城はおぼつかないことだ。失敗とあきらめて兵をひけ。もしこのまま籠城をつづければ、国家非常事態を前に、東部軍との一戦は必至となるぞ」(p240)
井田中佐の忠告にも血気盛んな畑中少佐は「一戦おそるるに足らずです」と抵抗するが「馬鹿をいえッ」と一喝される。
畑中少佐に兵を引けと説き、その足で陸相官邸を訪ねた井田中佐は竹下中佐とともに切腹直前の陸相を前にして自制心を失い涙にくれたという。もはやクーデターも陰謀もあったものではなかった。
宮城から追放された畑中少佐は少尉と兵二人をつれて放送会館へ乗りこみ、陸軍ではなく国民を相手に放送手段で訴えようとするが、東部軍の許可なしではできないと拒否される。
やがて、東部軍司令官が暴動鎮圧に乗りだし叛乱軍は制圧されていく。
その朝はギラギラとした太陽を、さまざまな人が、いろいろなところで、それぞれの感慨をもって仰ぎみた。(p307)
天皇放送に関係のないすべての番組は消され、報道の時間には正午から天皇放送がある旨がくり返し流され、多くの国民は玉音放送を待つばかりとなっていた。
こうして満州事変にはじまった第二次世界大戦は終焉をむかえ、大日本帝国は“歴史”と化してしまった。
エピローグでは歴史の最後の一ページで重要な役割を演じた人たちの、それぞれのその後についていくつかのエピソードが記述されているけれど、多くの軍関係者は死に場所を求め宮城前で死を遂げた人もあったという。
本著は、8月15日正午の玉音放送までの24時間にわたる日本の葛藤と激動の詳細を徹底した取材と調査によって画いたドキュメントであり、半藤さん渾身の一冊といえる。

$商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

昭和二十年八月六日、広島に原爆投下、そして、ソ連軍の満州侵略と、最早日本の命運は尽きた…。しかるに日本政府は、徹底抗戦を叫ぶ陸軍に引きずられ、先に出されたポツダム宣言に対し判断を決められない。八月十五日をめぐる二十四時間を、綿密な取材と証言を基に再現する、史上最も長い一日を活写したノンフィクション。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

半藤/一利
昭和5(1930)年、東京に生れる。作家。28年、東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役、同社顧問などを歴任。平成5(1993)年「漱石先生ぞな、もし」で新田次郎文学賞、平成10年「ノモンハンの夏」で山本七平賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




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