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令和『いろはにほへと』-ち

令和『いろはにほへと』--

 「血」が流れてしまった。大切な命が消えてしまった。令和478日金曜午前11時半頃、奈良。
 本当は別の言葉でいろはにほへと-「ち」を書いていた。
 しかし、あの日以来この言葉と事実が、僕の中からなかなか出て行こうとしない。
 人の気持ちや思想信条などは様々で、それをとやかく言うつもりは無い。ただ、気持ちや考えが違えども、日本に生まれ日本に育つ者ならば、日本が好きであってほしいし、昔も今もこれからも、もっともっと日本に生まれてよかったと思い合いたい。僕は個人的な意見ではあるが、発言や行動そして著書やこれまでの活動などから彼もまた、日本が大好きであり、将来の日本や日本に生まれる子供達のために、まさに我が身を削って生きてこられたのだと思う。
 繰り返すが考え方や思想信条が違ったって、日本が好きで日本を良くしようと思うなら、対立があっても向かう方向は一緒だからそれで良いはずなのではないか。
 しかし、8年以上前から大手マスコミやSNSなどの中には、彼を恨み妬み陥れる「悪意に満ちた言霊」が連日のように書き立てられ、多くの人がそれを目にし、目にし続け、邪悪な思念を込めた活字が刷り込まれ、初めは違和感を感じていた人々も、言霊の悪意に取り込まれ違和感も心の痛覚すらも麻痺してしまっていたのかも知れない。僕自身もきっとそうだ。
 それを言論の自由、表現の自由、報道の自由などというドス黒い盾を誇らしげに掲げて、猛毒の言霊を連日、大手マスコミだけではなく各専門家や言論人、果ては顔も名前も分からぬ市井の誰かれからも未曾有の豪雨のように降り注がれた結果、決して有ってはならない凶行が行われた。僕はそう思う。
 かつてイギリスの歴史学者「アーノルド・トゥインビー」は、自国の神話を教えなくなった民族は例外なく100年程度で滅びると言っている。それは自国を知り、自国を好きになり、自国に対する帰属意識が安心感に繋がり、国民と国家は繁栄してゆくと言う事の「反意語」であり、戦後77年間日本は、日本人は、自国を愛する(安心する)気持ちの大切さに気づかず、トゥインビーの言ったタイムリミットに危機感すら持たず、ぼんやりと過ごしてきてしまったのではないか。
 あと30年を切ってしまったかも知れない「終わりの始まり」を防ぐ大きな防波堤の一人を、僕たち日本人は失ってしまったのではと、何やら胸の中が重苦しい感じがしている僕なのです。
 日々の生活や勉強、競争に追われて、自分や自分達の大切な我が家である「日本」を、僕たちは俯瞰して見ることを忘れているように感じる。
 そんな僕たちの代わりに30年先を見すえながら、僕たちに「早く、一緒に気付きましょう」と言ってくれていたのが彼だったような気がしてならないのです。
 そんなことあるか!デタラメ言うな!お前は間違っている!と思われる方もいるでしょう。それでも良いんです、それでも僕と同じに「日本が好き」ならば。
 しかし意見の違いから、悪意の言霊を連日呪文のように浴びせかけたり、実際に魂を奪う行為は人成らざる者の行いなのではないでしょうか。そんな者の「血」はいったい何色なのでしょうか。
 流れ出てしまった血は、止まってしまった心の臓は、もう元に戻ることはないのです。
 悲しい事です。

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