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海外文芸室 はじまり

物語の言葉たち

「さようなら、公爵、わたし、はじめてほんとうの人間に会えた!」
『白痴』ドストエフスキー / 亀山訳

https://www.kotensinyaku.jp/books/book219/

『白痴』第一部の最終盤、ナスターシャがムイシキンに伝えたこの別れの言葉が、この後ムイシキンをどれだけ動かし、読者の心をどれだけ揺さぶり、物語の結末に向かって頁をめくる手をどれだけ早めさせたでしょう。

第一部を読み終えた夜、頭の中でナスターシャのこのセリフが何度も勝手に再生され、その衝撃と興奮とでうまく寝付けなかったことをよく覚えています。

今年の5月ごろ話の流れで私がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』と夏目漱石の『夢十夜』を話題に上げた時のことです。ある文学部の学生から唐突に「それは中学生が読む作品だ」と言われてしまいました。でもきっと、全くもってそんなことないはずなんです。

そんなことないはずなのは、誰にでもわかるような簡単な言葉に、サリンジャーも、漱石も、そして読み手も、今までどれだけの人が、どれだけ人生をかけてきたかが物語っているんじゃないかと思うからです。

物語は私たちを遠くへ連れて行ってくれます。
クリスマス前にホールデンとマンハッタン中を走り回ったり、七番目の夜には黒い海に飛び込んだり、物語のその場面に連れて行ってくれることもあれば、目を閉じて深く息を吸うと、今まで読んできた物語たちが、今生きているのとはもっと別の世界を想像する力を与えてくれたりもします。

共に読む

遠い世界で生まれた物語を真正面から読みたい。
それを一人ではなく、誰かと集まってやってみたいと思いました。
それはちょうど私が共同とか協働といった言葉に、文字通りの意味よりももっと大事な何かがあるんじゃないかと気になっていたからというだけのことかもしれません。
実は自分でもこうだから絶対誰かと一緒にやらなきゃという理由を掲げられていないんです。

でも想像してみると、同じ物語を読んで、その物語について話して、他の誰かがどんな仕方で物語のことを話題に上げるのか聞いてみて、そしてたまにはその物語を受けてそれぞれが何か書いてみたりするのはきっとすごく楽しそうだと思います。

今世界のどこかで生まれて、どこかの地域で読まれている、ある作家の作品を全員で何も知らないところから一緒に読んでみたら、呼吸をそろえてその物語を受け取ることに共に一生懸命になってみたら、きっと楽しいでしょうと思います。

海外文芸室

申し遅れました。私は文学部とかではないんですけど、文学、物語が好きで、今は学部の3年生をしています。鳥はハシビロコウが好きです。普段文学を専門にしていなくても、文学作品を読んだり語ったりする場がポンとあれば、そこでまだ見ぬどこかの誰かに出会えるんじゃないかと、想像を膨らませているところです。

そして真正面から物語を読んでみようとそう思って、この場所の名前は「海外文芸室」とかどうかなと思っています。どんな部屋になるんでしょう。

海外文芸室、頻度は2ヶ月に一度。対面で集まって一つの作品について扱う。
一回限りで作品を変えて、また2ヶ月後に集まる。
それぞれのベースはどこか別のところにあって、それぞれ2ヶ月を生きて、再び集う。
ある回で扱った作家の別の作品を読む分科会が派生してもいいかもしれません。
でも基本的に2ヶ月に一度をペースにゆっくりと、それを長いスパンで続けてみようと思います。

まだこの先どうなるか、毎回の集まりで何が起こるのかわかっていません。
そこでひとまずパイロット版を開催してみたらどうかなと。
興味を持っていただけた方、ぜひ海外文芸室の試運転を覗いてみませんか?

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