301人の天才「容疑者Xの献身」

おはようございます!


ネタバレかもしれません
未読
未鑑賞のかたは
バック推奨です

また

個人的な解釈ですので
正確で客観的な評論を期待される方には
あわないかもしれませんので
バック推奨です




本当かどうかは
調べてもいないのですが

マンガ「数字であそぼ。」絹田村子

に出てくる

吉田大学
(たぶん、京都大学がモデル)

理学部の定員が

301人で

なぜ
300人ではないのかという

都市伝説

1人の天才をつくるために
あとの300人を必要とする


というような


怪談話



でてきます。



すると、
コインシデンスといいますか

最近

東野圭吾の「容疑者Xの献身」
という映画を

観るチャンスがありました


あの物語は


天才物理学者の
お名前が湯川学
という設定ですから

当然
京都大学の
ノーベル賞学者
湯川秀樹先生を
イメージしているのでしょうね

しかし

しみじみとした
思い出や
対話の場面は

割と
一橋大学の庭において
撮影されているので

漠然と

頭のいい大学の
物理学教授

という
せっていにしているのかな・・・


思いきや


ほんの一瞬だけ

京都大学の
時計塔の

あの有名な風景が
出てくるのです


ってことは


京都大学のおはなし

わざわざ

表現しているのですね



登場人物が
関西弁ではないので

そのへんは

空気感として
わかりにくいのですが



さて

教授までのぼりつめて
女子学生たちからも
美人刑事からも
あこがれと尊敬のまなざしを
浴びている

天才教授


この

たった一人を
磨き上げるための

存在として
あとの300人が必要とされ


そして

「容疑者Xの献身」の
物語の中で

登り詰めた湯川学が
一人の天才で

天才的頭脳を犯罪トリックに使ってしまった
もうひとりの天才
石神哲哉は

磨くほうの
ある種の
〇て石的な
存在ってことでしょうか?


あ、

ネーミングが
石神

石の神様ですね


脱線しました…(-_-;)


そうかもしれません?


ただ


おばさんとしては


学問の世界を志す
若者たちに

明るい展望を

元気の出る解釈を

提示したいのです



300と1人


この磨き上げる側の300人は
決まった300人ではなく

そして

磨かれる側の天才も

固定された1人ではないと

解釈しても
いいのではないかと
おもうのです


磨き抜かれた天才になるとは
傲慢になることでも
孤独になることでもなく

1人が登り詰めた天才だからと言って
他の300人の天才性や努力が無駄とか
踏み台とか

そういうむなしいものでもなく


互いに切磋琢磨しあう
真の友人同士だって解釈も
成り立つと

おもうのです


「容疑者Xの献身」

ミステリーですから


世間的に
出世しきらなかった側の
とある一人の
暗い心を描写しているので

そういう
暗い解釈

やりきれない
悲しい結末へ

もっていっていますが


ふつうは

学生時代天才的だった人も

それぞれに
社会で職を得たり
所帯を持ったりして

平凡な着地点をみいだして

むなしいと思ったりすることもあるけど

おだやかな幸福を
つみかさねていくのが大半だと
おもうのです


学問的に派手なことのない
高校の数学教師

しかし
安定した職業を得ているのに

なんでしょうか

この
石神という人は

どうなれたら
絶望しなかったのでしょうか



大学の教授

イケメン教授が
出世もして
女子学生にかこまれて
って

イメージは華やかですし

実際

イケメン湯川教授は
そういう側面も
素直に楽しんで

ふつうに
物理学への興味も
真摯に追っかけていたのだと思います

そして

当たり前ですが

教授としての
雑用とか

興味のわかない
対人関係も

なんとかしたい
ライバル関係も

あるのが

普通だと思いますよ・・・


物語では

イケメン教授の華やかさだけを
強調しますけどね



長くなりました


個人的解釈を
ひねってみました



あくまでも
個人の思い付きなので

これが正しいとか
こう考えるべきとか
押し付ける意図はございません・・・


聞き流していただけますと助かります<(_ _)>(*^-^*)



いつもお付き合いいただき、ありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)



ではまた!



まきのしょうこ








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