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『春を持たない』!

先日娘のピアノ伴奏で『夜霧のブルース』を歌唱してみたことは書いた。
その折り『エトランゼ』という表現の『斬新さ』と『異郷感』にも少し触れてみたが、改めてもう一度聞き直してみるとさらに『特異』な表現のあることに気がついた。
それは『春を持たない』という表現だ。
私は長い間『春を待たない』だと思い込んでいたがそれではありきたりで『平凡』すぎる。
作詞の島田キン也の『こだわり』は『待たない』ではなく『持たない』でなければならなかったのだ。
『エトランゼ』『異邦人』とは本来そのような『流転の人々』なのだ。
昭和22年の頃。
まだ戦後の混乱がなお続く時勢の中多くの日本人は『春を待っていた』はずだがあえて『春を持たない』というか『春を持てない』単の『共感』を綴ったのではあるまいか。
昭和22年頃といえば『ブギウギ』の『笠置シズ子』さんが『ワーオ』と叫び始める時代でもあった。
私が渋谷小学校北分校の一年生に入学した頃のことだ。
76年も前のことだ。

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