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【第9話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2

サンキュー!アウディ!

 ⇧今回からチビタイトルをつけてみることにしました。

 ⇩前回の話はこちら⇩

 アメリカのグロッスリーストアへ行くと、従業員が、
 「こんにちは!元気?(Hello!How are you?)」
 明るく声をかけてくれる。
 このカジュアルな感じは、昔の市場みたいだ。
 そこにいるだけで元気が出る。
 日本のスーパーやデパ地下だと、
 「いらっしゃいませ」
 礼儀正しく、大切に思ってくれている感じがする。
 どちらも良いし、どちらも素晴らしい。
 比較はできないけれど、アメリカで暮らし始めた時、人恋しくなれば、グロッスリーストアへ行けばいいなと思った。
 
 ダンナはグロッスリーストアが大好きだ。
 生きるために行かなきゃいけない場所とはいえ、購入できる値段の商品があるのは楽しい。
 シカゴでは、キングストンマインズで仕事を終えると、24時間営業のカブ・フーズでお買物をしていた。
 買物に来る時間も時間だし、背も高いのですぐに覚えられる。
 ほとんどの従業員と顔見知りで、買物をしながら雑談を楽しむ。
 家では怖い顔をしているけれど、人と話すことは基本的に好きなのだろう。
 シアトルでも、いつの間に自己紹介をするのか?
 近所のグロッスリーストアへ行くと、従業員が彼の名前を知っていることがよくある。

 グロッスリーストアにもそれぞれ店のカラーがある。
 シアトルのトレーダー・ジョーズは、ゲイのお兄さんが結構多くて、フレンドリーだ。
 「あら、あなた、そのかばんステキね!オーストリッチじゃないの!」
 「え、そうなん?」
 姉からのおさがりで、素敵だなぁと思いながら使っていた。
 お兄さんのおかげで、素敵の理由がわかった。
 大きなチャイニーズや韓国系ストアの従業員は、サービスという単語を知らないの?という感じ。
 ニコリともしない。

 私が就職した店は、お客さんが、
 「ここの店の従業員は感じがいいねぇ」
 と感心するくらい、とにかく機嫌のいい人が多かった。
 入社した後で知ったことだけれど、このストアの創立者は、一世の日本人だ。
 どうりでアジア食品の部門があるわけだ。
 日本人移民のオーナーは、色々苦労されたのだろう。
 他の会社よりも福利厚生が充実していて、従業員と、近所のコミュニティを大切にする会社だった。
 自由に働ける、その環境が従業員の明るさの秘密だと思う。
 他のグロッスリーストアからこの店に移ってきた人も多い。
 この店から他の店に移る人はほとんどいない(今は少し変わってきたけれど)。
 これらの事実からも、この会社の環境の良さがわかる。
 どうやら私はとてもラッキーだったようだ。
 マイケルさんには足を向けて眠れない。

⇩ ⇩お仕事をゲットした時のお話⇩ ⇩

 そんな明るいグロッスリーストアに嫁が就職した。
 仕事もなく暇なダンナは、私の休憩時間をねらって、店に遊びに来るようになった。
 ここでも彼は目立つ。
 ミッドイーストや南部に比べると、シアトルの黒人人口はまだまだ少ない。
 しかも、彼はとっても背が高い。
 5歳くらいの女の子が、彼を見上げて、
「でかい・・・」
 とつぶやくほど背が高い。
 巨人をはじめて見たら、きっとこんな反応になるのだろう。

 さて、その大きな彼と、英語もまともに話せないアジア人が一緒にいる。
 目立たないわけがない。
 同僚たちにとっても珍しい光景だったようだ。
 みんなが声をかけてくる。
 そのたびに、
 「ダンナです」
 と紹介する。
 「はじめまして!よろしく!」
 皆、笑顔で彼と握手をしてくれる。
 同僚たちが、彼に対してウェルカムだったことは、とても嬉しかった。
 そして、彼を堂々と紹介できることも嬉しかった。
 よーく考えると、バタバタと結婚したので、
 「ダンナです」
 と紹介するチャンスが一度もなかったからだ。

⇩ ⇩結婚した時のお話⇩ ⇩

 同僚の中でも、ダンナの来店を一番喜んでくれたのが、野菜屋(プロデュース)のアウディだ。
 私と同年代のアウディは、いつもニコニコ笑顔の元気者だ。
 白い肌、ツルンとしたまん丸顔、髪の毛はすっかり薄くなり、ゆで卵みたいだ。
 「俺はプロデュースガイやねん!」
 自分の仕事に誇りを持っている。
 次から次へと果物をカットして、お客さんにも、私にも味見をさせてくれる。
 
 就職初日、仕事終わりに買い物をしていると、彼が声をかけてきた。
 「名前なんていうの?俺、アウディ。俺の嫁さんはフィリピン人やねん」
 その日以降、彼は私を見ると、
 「ユミコさ~ん!」
 とニコニコ笑顔で近付いてくる。
 シアトルの人は基本的に愛想が良く、ものすごくフレンドリーだ。
 けれども、そこには分厚~い壁が立ちはだかっている。
 アウディのように壁がない人は珍しい。
 私のことはもちろん、ダンナのことも、うわべだけではなく、紹介した瞬間から受け入れてくれたのがアウディだった。
 ダンナが来ると、その日、一番美味しいフルーツをカットして味見をさせてくれた。
 ダンナのお気に入りはマンゴだ。

アウディはいつも笑顔です

 奥さんがフィリピン人だったこともあり、親近感もあったのだと思う。
 「ユミコさ~ん!マツタケ狩り行ってきた~!」
 マツタケを分けてくれたり、
 「ユミコさ~ん・・・犬が死んでん~」
 とハグを求めてきたり、
 「ユミコさ~ん!2人目が生まれた~!見て~見て~!」
 と写真を見せてくれた。
 私もダンナに仕事が入ると、
 「今晩、ダンナがプレイするねん!」
 と報告する。
 アウディは細かいことは聞かずに、
 「お~!ユミコさ~ん!おめでと~!」
 と一緒に喜んでくれた。

 ある日、そんな元気者のアウディが暗い顔をしていた。
 「どないしたん?」
 と聞くと、裏に連れて行かれた。
 「医者に喉頭癌って診断されてん。まだステージはわからんねんけど・・・」
 そういえば、数か月前から、アウディは肩と首の、ひどいこりを訴えていた。
 翌週、アウディは入院した。
 ステージ4だった。

 アウディが退院すると、会社は”アウディのためのバーベキュー”を開催した。
 バーベキューの売り上げは、アウディと、彼の家族に届けられる。
 従業員はもちろん、ものすごい数のお客さんが、彼のためにハンバーガーやホットドッグを買いにやってきた。

 しばらくして、アウディは職場に復帰した。
 喉に機械を付けているので、言葉は聞き取りにくいけれど、いつものアウディだった。
 元気になるんだ!と思った。

 彼の余命が1カ月になったとき、アウディは奥さんと一緒に会社に来た。
 奥さんが働けるように手続きをするためだ。
 「ユミコさ~ん!」
 手続きを終えたアウディが、奥さんと一緒に会いに来てくれた。
 あと1か月で死んじゃうとは思えないほど元気だった。
 アウディが笑顔だったので、私も笑顔でおしゃべりし、3人でハグをした。

 ダンナはマンゴを見ると、今でもアウディのことを思い出す。
 アウディは彼のために、いつも一番美味しいマンゴを選んでくれた。
 アウディがいなくなった店に、ダンナは遊びにやってくる。
 果物を選んでいるお客さんを見ると、
 「ここには果物を次から次へと味見させてくれる、アウディっていう奴がおってん。彼はナンバーワンのプロデュース・ガイやってんで!」
 自分のことのように、アウディのことを自慢する。
 ダンナも、アウディに受け入れられていたことを、強く感じていたんだろうな。

 人を信用せず、いつもバリアを張っていたダンナが、シアトルに来てから少しずつ、少しずつ、明るくなってきている。
 その要因は色々だと思う。
 けれどもアウディは、彼のバリアを、ほんの少しかもしれないけれど、溶かしてくれた人のひとりだ。
 心から感謝している。

 サンキュー!アウディ!

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!