【シリーズ第66回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
2007年11月、大好きなシカゴに別れを告げ、シアトルへ向けて出発した。
シカゴからシアトルへはI-90というハイウェイを使う。
イリノイ州を出て、ウィスコンシン、ミネソタ、サウスダコタ、ワイオミング、モンタナ、アイダホを横断し、シアトルのあるワシントン州に到着する。
到着までに3、4日はかかると言われて気が付いた。
アメリカは縦よりも横のほうが長かった!
地図を思い浮かべると、確かに横の方が長い。
けれども、ずっと縦の方が長い気がしていた。
とっても不思議。
ハイウェイに乗る前に、グロッスリーストアで、パン、ターキー、レタス、マスタード、ジュース、果物などを購入し、クーラーに詰めた。
節約のためかな?と思ったけれど、イリノイ州を出たら理由がわかった。
ここには、日本のように、充実したサーヴィスエリアはない。
途中、見かけるのはマクドナルドのみ。
初日の夜、マクドナルドで夕食をすまし、ウィスコンシン州で一泊。
朝食は、ミネソタ州のマクドナルドだ。
サウスダコタ州でも、マクドナルドに入った。
小腹が空いたら、ターキーサンドウィッチを作って食べた。
ご飯と野菜が食べたいよ~🍚
2日目の夕方、道路沿いに、小さなストリップモールを発見!
「そこに日本のレストランがあるで」
同居人が指さした店の窓や扉には、ご飯とおかずが盛られた写真が貼られていた。
チャイニーズ、コリアン、そしてジャパニーズをミックスしたら、こんな感じになるのかな?
あまり美味しそうには見えないけれど、米と醤油だ!
食べると確かに米と醤油で、見た目も裏切らない味だった。
細長くない米が食べたいよ~。
翌朝、ホテルを出ると、真向いに無人野菜販売所があった。
人参購入🥕🥕🥕
出発してから、一番美味しい食事だった。
さらにこの日の夕方、アメリカ版ファミリーレストランのアップルビーズを発見!
モンタナ州のリゾート地なのか、隣には大きなホテルが建っていた。
アップルビーズのメニューは、ステーキ、フライドチキン、ハンバーガー、パスタ、でっかいサラダだ。
シーフードもあるけれど、海老か白身のフライのみ。
あっさりしたものは一切ない。
同居人はチキン、私はサラダを頂いた。
道中にないものはレストランだけではない。
サウスダコタに入ると、家もない。
何時間ドライヴしても、景色はほぼ同じ。
畑や牧草地が広がる場所には、牛、馬、羊はいるけれど、人間はいない。
たまーに、ポツリと家が建っているけれど、どうやって生活しているのだろう?
驚くこと盛り沢山の旅だけれど、モンタナ州のガソリンスタンドで、同居人に、
「これで俺の全財産は5百ドルになったで」
と言われたときが、一番驚いた。
しかも、微妙に笑顔だ。
・・・おもしろい・・・いやいや・・・
なんでお金もないのに、引越しするのーーー???
と思ったけれど、彼は慎重な男だ。
そういえば、引越しを決断した瞬間から、私はものすごい早さで動き始めた。
引越する場所や日程も教えられていないのに、転校手続きをすました。
同居人にとっては予想を超えるスピードだったのかもしれない。
手続きを終えたら、ヴィザを維持するために、引越しするしかない。
今さら、
「引越しに十分なお金がない」
とは言えなかったのだろう。
引越しせざるを得なくなった彼は、念入りに車を整備した。
道中タイヤも交換し、シアトルに到着することに全力を尽くした彼は、モンタナ州で経済的に力尽きた。
ないものは仕方がない。
全財産5百ドルを告げるには、かなりの勇気がいったはずだ。
しかも、無一文で引越す羽目になった原因の一部は私にある。
彼がロングドライヴに、かなりのプレッシャーを感じていることにも気付いていた。
「そうなんやー。了解😁」
明るく返事をした。
その日の夜は、宿泊しているホテルから、シアトル中のジャパニーズ・レストランに電話をかけて、面接の準備をした。
今回、同居人がプレッシャーを感じていることは、慎重な運転からも、窺うことができた。
運転速度はもちろん、外が暗くなり始めるとすぐに、ホテルにチェックインし、出発時には、必ず十字を切った。
彼が十字を切る姿など、過去に一度も見たことがない。
余程のことだと感じた。
確かに、トラブルがあっても、家がないので、助けを求められない。
家があったとしても、この辺りは、保守派の人が多い。
黒人とアジア人の我々に、手を差し伸べてくれるかどうかはわからない。
特に、アイダホ州は、黒人嫌いの人が多いと聞いている。
彼の場合は、撃たれる可能性もないとは言えない。
その不安は計り知れない。
4日目の夕方、ワシントン州に入り、最後の山を下る時に、雪が降り始めた。
すると、雪の中の運転には慣れている彼が、
「亀と呼ぶなら亀と呼べ~!!!」
と叫び、ハザードを点けて、速度を落とした。
「何かトラブル?大丈夫?」
後ろの車が隣にきて、我々に声をかけてくれた。
「ありがとう!雪が降ってきたから、ゆっくり運転してるねん!」
そう答えた彼が、私の方へ振り返った。
驚くほど明るい表情だ。
「やっぱりワシントン州や!こんな風に黒人に声かけてくれる白人は、シカゴにはおらん!」
彼によると、ワシントン州、特にシアトルの白人は、差別主義の人が少なく、黒人に対しても、手を差し伸べる人が多いらしい。
残念ながら、私にはその違いがわからない。
けれども、車の整備を念入りにし、いつもの何十倍も慎重に運転する理由は、ワシントン州に着くまで、車のトラブルはもちろん、トラブルによって未知の人と関わることを避けるためだったのだろう。
黒人の彼が、アジア人の私を隣に乗せてアメリカを横断することは、私の想像を超えるプレッシャーだったに違いない。
そして、4日目深夜、ついに、シアトルの町に入った!!
外は真っ暗で、町の様子はわからない。
けれども、私は直感した。
「ダメだ・・・!!この町はダメだーーーっ!!
絶対に好きになれない!!
ここには住めないーーーっ!!」
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