見出し画像

終戦です。撤退です。

 私は、シアトルにある老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。仕事は好きだけれど、我々ウェイトレスは、キッチンを支配するクックのアラーナや、目障りな従業員を退社に追い込む上司、ベッツィーとの戦いを強いられている。

「リーダーのアン、同僚のヴィッキーと力を合わせて戦うぞ~!」
 こんな風に書いておきながら、5月は長期休暇をとった。その間に何か起こることは予想できたけれど、聞いたところで何もできない。休みの間は誰とも連絡を取らなかった。
 休暇を終えて出社すると、なんと、ウェイトレスチームは撤退、ほぼ終戦を迎えていた。

 まず、アンがウェイトレスのポジションを捨て、受付嬢になっていた。
「ユミが戻ってきたら転職するつもりやったけど、ここのポジションが空いたから、移動してん」
 アンは、我々の先頭で戦い続けていた。彼女は、ベッツィーから睨まれることを覚悟で、本社のジェイムスに相談した。「俺を信じろ!」と力強く言った彼は、約束の1か月を過ぎても行動を起こさなかった。ジェイムスを”友達”と呼んでいたアンが力尽きても仕方がない。

 しばらくすると、完璧に化粧をしたヴィッキーが出勤してきた。
「おはよう!ヴィッキー、ビューティフル!どうしたん?」
「インタヴューに行っててん」
 ヴィッキーも転職活動をしていた。
「アラーナと毎日喧嘩や!アンは突然いなくなるし。なんで、アンは私に対して、そんなひどいことするの?
 学生バイトは最低限の仕事しかしないから、掃除や補充は、全部私がせなあかんやん!掃除も補充もするけど、なんで彼らと同じ時給なん?納得できへん!」
 なにひとつ間違っていない。仕事を探す気持ちはよーくわかる。
 アンにはアンの、ヴィッキーにはヴィッキーの人生がある。アンの移動も、ヴィッキーの転職も、上手くいくことを願うばかりだ。
 
 ふたりがいなくなることは仕方がない。残念なのは、アンとヴィッキーの関係が変わってしまったことだ。アンは、ヴィッキーに何も告げず、突然受付嬢に変わっていた。これじゃ、関係が壊れても仕方がない。
 休暇前にした、アンとの会話を思い出した。
「彼女(ヴィッキー)は遅れてくるし、仕事中に話ばっかりしてるやん。洗い物もしないし、ユミがずっと働いてるやん」
「・・・?ヴィッキーもしてくれるで。私がやりたいって言うから、私がしてることが多いけど・・・」
 アンはヴィッキーに対して不満があるのかな?このとき、ふと思った。
 気が付かなかったけれど、今思うと、アンは限界だったのだろう。

 ”サーヴィス”と”サボリ”の境界線は難しい。サーヴィスで忙しいときに、住民とおしゃべりしているヴィッキーは、仕事をさぼっているように見える。けれども、彼女とおしゃべりをすることで、すごく楽しい気分になって、元気をもらう住民は少なくない。これってすごいことだ。食事のサーヴィスと違い、これはヴィッキーにしかできない。だから私は、彼女を受け入れることができる。
 けれども、アンと私は立場が違う。彼女はリーダーだ。学生バイトは自由奔放で、仕事も適当だ。
「キッズやから仕方がない」
 注意をしても聞かないし、人手不足で辞めさせることもできない。彼らを容認し、私たちの2倍、3倍の仕事をこなしていた。上司と戦っていたのも彼女だ。ヴィッキーの自由は、学生と種類が違うけれど、”今”のアンには受け入れられなかったのだろう。

 そしてもうひとつ、アンはアジア人だ。アジア人にも色々いるので、ひとくくりにはできない。けれども、欧米人と比べると、真面目で働き者、規則や統制を大切にするように思う。
 ヴィッキーは、迷惑がかからない程度に遅れてくる。したがって、アンの怒りは「遅刻」「規則を守らないこと」に対するもので、「迷惑をかけられること」ではないと思う。実際、時給で働くヴィッキーの給料が減るだけで、私たちに、それほど影響はない。
 もちろん、遅刻は良くない。ヴィッキーもそう思っている。
「出勤時間に出勤できない。それが私の問題や」
 走るわけでもなく、堂々と出勤してくる。
 同じアジア人として、アンの怒りはよーく理解できる。けれども私は、自分の悪いところを認めて、堂々としているヴィッキーも好きなのだ。罪悪感に苛まれながら、バタバタと駆け込んでも、遅刻は遅刻だ。規則を破ること、時間に遅れるよりも、安全に職場に到着することの方が「大切」だ。
 もちろん、お互いさまの部分がなければ、上手くいかない。ヴィッキーは、アンや私が長期休暇を取ったとき、
「おらん間に儲けさせてもらうわ」
 こう言ってくれた。おかげで、心置きなく休むことができた。
 「規則」は守らなければならない。けれども、守ることばかりにフォーカスすると、「大切」なこと見落とすこともある。数分間の住民とのおしゃべりは、料理を出すことよりも、彼らの心を豊かにする。彼女は、今、この瞬間の「大切」なことを選んでいる気がする。

 とはいえ、以前の私なら、アンと同じように腹を立てていた。腹が立たなくなったのは、宇宙人並みに理解できなかったダンナと暮らし続けたおかげだ。
 私は、平和な日本で、家族の愛を受けて育った。一方、黒人の彼は、人種差別により尊厳を奪われ、命の危険にさらされ、たったひとりで生きてきた。他人を信用し、協調を大切にする私に対し、彼は誰のことも信用せず、いつも警戒している。希望を持って、ぶんぶん前進する私と違い、彼は失敗や挫折をイメージする。この国から、成功を阻まれ続けた彼が、希望を持って進むことは難しい。
「なぜ止まるーーー?!?!進めーーー!!!」
 もちろん思う。けれども、この国に支配され続けた彼は、「命令されたら、絶対に従わない」という強い、強いポリシーを持っている。間違った言い方をすると一生動かない。
 共同生活なので、腹が立つことはたくさんある。けれども、理解しようとすると、素敵な部分も見えてくる。人間としての尊厳を奪われ、貧困を強いられてきた彼は、経済的な豊かさや安定ではなく、心の豊かさや正義を重んじる。卑怯と戦ってきた彼は、自分に対して潔癖で正直だ。私は、真っ直ぐで、強く、優しい彼に、いつも憧れている。
 ヴィッキーの人生は知らないけれど、ダンナと被る部分がある。アメリカ人(黒人)と、メキシコ人を同じカテゴリーで考えることはできないけれど、「差別される側」という点は共通している。彼女も、私の知らない苦労をたくさんしているに違いない。
 日本で育った私が、”時間にルーズなヴィッキー”以外の、彼女の素敵な部分を見つけられるのは、宇宙人ダンナのおかげである。

 アンのことも大好きだ。彼ら二人は、素敵な同僚だ。どちらも間違っていないし、どちらも悪くない。
 改善されることのない職場から、潔く撤退することも大切だ。撤退、終戦は正解だった。二人が新しい職場で、楽しく働けることを願っている。
 
 さて、私はどうするか?アラーナは変わらないし、これからは味方もいない。
 とりあえず、今後のことは、ヴィッキーの仕事が決まってから考えよう。休暇中、皆にカヴァーをしてもらった分、当面の間は、せっせと働きまーす。

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!