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ヴィッキーとインターナショナルチーム

 私は、シアトルにある、老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。
 先週のことだ。同僚のウェイトレスのヴィッキーが、退職、もしくはハウスキーピングの部署に移動したいと願い出た。退職の理由は、クックのアラーナと、一緒に働きたくないからだ。25歳のアラーナは、クックのリーダーで、ウィークデイの朝食と昼食を担当する。
「ソーセージは4本まで!それ以上はあげない!」
「オムレツにほうれん草は入れない!」
「小さいパンケーキは作らない!」
 住民のリクエスト、老人のささやかな望みをバッサバッサとぶった切る。
 ヴィッキーは、アラーナと戦うことを決意した。けれども、意外と早く戦いを放棄し、退職、もしくは部署移動を希望した。

 会社としては、アラーナを雇用したままヴィッキーの退職を受け入れるわけにはいかない。とりあえずの対応として、2日間はハウスキーパー、残りの2日間は、ウェイトレスの仕事をすることになった。以前は週5日働いていた。けれども、これを機に、彼女は金曜日を定休にした。
「ボーイフレンドと一緒に過ごす時間がないから、金曜日は働かない!」
 子供3人を育てるシングルマザーのヴィッキーは、この仕事とは別に、週末3日間は、メキシカンレストランでも働いている。ボーイフレンドは、そのレストランの同僚だ。金曜日の夕方まで、彼と一緒にゆっくり過ごしたいのは当然だ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 リーダーのアンは、すぐに人事部に求人を要請した。ヴィーと私は、新しい人が見つかるまで、必要あらば、スケジュールをカヴァーすると申し出た。

 翌日、私とアンが朝食の後片付けをしていると、ヴィッキーが、掃除道具の入ったカートを押しながら、通り過ぎて行った。
「今日からハウスキーピング!」
 颯爽と歩くビッキーの後ろを、ベテランのハウスキーパーがついて行く。どちらが教えてもらう側なのかわからない。さすがはヴィッキーだ。
「行ってらっしゃーい」
 アンと私は温かく彼女を見送った。
 ランチが始まってしばらくすると、ヴィッキーがダイニングルームに現れた。
「休憩?」
「洗濯中。洗濯が終わるまですることないねんて」
 私たちがバタバタしている横で、彼女は、ボーイフレンドにテキストをしながら時間をつぶした。
 洗濯を取り込むために一度は姿を消したヴィッキーが、再び戻って来た。
「また洗濯待ち?」
「ハウスキーピングは、私に合わない。綺麗に掃除したいし、もっと片付けたくなるからあかんわ」
「そうなんや」
 彼女が綺麗好きなことは、一緒に仕事をしていたらわかる。各部屋を納得するまで掃除できないので、不完全燃焼なのだろう。結局、ハウスキーピングの仕事は、1日で終了した。

 翌日、出勤するとウェイトレスに戻ったヴィッキーがいた。
「おはよう」
「おはよう、ユミ。私、昨日ボーイフレンドと別れてん。だから、こんなに悲しそうやねん」
 おはようしか言っていないので、悲しそうかどうか気付かなかった。
私が返事をする前に、ヴィッキーの大きな瞳から、涙がポロポロこぼれ落ちた。よしよしと頭を撫でて、ハグをする。

 ヴィッキーのボーイフレンドは、彼女と同郷のメキシコ人で、10歳下の25歳だ。
「ユミ!私、もうひとり子供を産むことにしてん!」
 こう言っていたのは、つい先日のことだ。
「結婚もしなくていいし、養育費もいらんから、子供産もうって彼に言ってん!」
 ボーイフレンドは「NO」と言っているけれど、ヴィッキーは、産む気満々だ。

 ヴィッキーは、明るく、自由だ。思ったことは、ストレートに口にする。思いやりがあり、他人に尽くすことも好きだ。とても強く見える。強いとも思う。けれども、戦いは苦手だ。アラーナの件も、戦うことがイヤだったんじゃないかな?と思っている。私たちの前では「戦いだー!」と勢いづいているけれど、アラーナに、直接文句を言う姿は、見たことがない。アラーナが話しかけるのもヴィッキーだし、アラーナの話を、一番聞いているのもヴィッキーだ。
 ボーイフレンドと喧嘩した時は、自分は悪くなくても、仲直りのために、花やチョコレートを買って帰る。ヴィッキーのことなので、ボーイフレンドに、全力で尽くしたに違いない。
 大好きなボーイフレンドとの別れは、耐え難い。この日、ヴィッキーは、泣いたり、笑ったりしながら仕事をした。

 ランチ終了後、リーダーのアンと、三人で片付けをしているときに、ヴィッキーが言った。
 ヴィッキー「彼と別れたから、メキシカンレストランの仕事も辞めてん。私、彼と同じ職場では働けない!ここで毎日働く!」
 「もう辞めたん?」
 ヴィッキー「もう辞めた」
 「チップジョブがなくなったら大きいやん」
 週末のレストランは忙しく、チップだけで、ひと晩に、千ドル稼ぐこともあると話していた。
 アン「エックス(Ex-Boyfriend:以前の彼)のために、仕事辞めんでええやん!」
 ヴィッキー「彼が、先にあの店で働いてたから、私が辞めるべきやん。それに、彼に、私と別れたことを後悔させたいねん!」
 最初の理由はわかるけれど、二番目の理由は、どうだろう?
 「他のレストランで探すの?」
 アン「ここで7日間も働かすことはできへん!他で探して!」
 フィリピン人のアンは、私たちの中で、一番華奢で小さい。けれども、さすがリーダーだ。言うべきことは、きちんと言う。

 翌朝、ヴィッキーから、アンに、テキストが届いた。
「やっぱり私は働けない!アラーナが辞めるか、私が辞めるかどっちかや!」
 メッセージを見せられた私は笑った。内容は、シリアスでカッコいい。けれども、昨日、「週7で働きたい!」と言った人とは思えない。それに、ヴィッキーかアラーナか、どちらかを選ぶのは会社で、ヴィッキーでもアラーナでもない。会社がアラーナを選んだら、ヴィッキーは無職だ。

 なんだかんだ言いながら、ヴィッキーは明日も出勤するだろう。
 ヴィッキーは自由だ。そんな自由なヴィッキーを、アン、ヴィー、私は受け入れている。
 6時半出勤のヴィッキーが、6時半に来ることはない。
「ユミ!今から行く!」とテキストが届く。
「急がなくてええよ。運転、気を付けてねー」
 朝食はひとりでもどうにかなる。ランチまでに来てくれれば、問題ない。
 私が困らないことがわかったヴィッキーは、それ以降、朝食が始まってから出勤するようになった。一度は朝食が終わってから来た。
「ユミ~、テキストしてから二度寝してもた」
 二度寝は気持ちいい。
 朝食には来たけれど、住民の部屋へ、デリヴァリーに行ったきり、戻ってこないこともあった。彼女のことなので、廊下で誰かとおしゃべりしているのだろう。
 朝食が終わる頃、戻ってきたヴィッキーが言った。
「ユミ~!そこのジムで自転車こいでてん!」

 ・・・おもしろい!

 施設には、6畳くらいの小さなジムがあり、そこには、2台のエアロバイクが設置してある。前を通ったときに、乗ってみたくなったのだろう。

自由人ヴィッキー

 ある日のランチのことだ。ヴィッキーが、ジョージとパティの部屋へ、食事を届けに行った。
 この日はヴィーと三人だ。ヴィーがドリンクサーヴィス、私とヴィッキーがオーダーを取り、料理を運ぶ段取りだ。ところが、ヴィッキーが戻ってこない。
「ヴィッキーはどこ!?」
 ヴィーが叫んだ。ブラジル人のヴィーは真面目で、強く、厳しい。
「知らん」
 料理を運ぶのに忙しくて、ヴィッキーの不在に対応する暇がない。
ヴィーがテキストをする。
 しばらくすると、ヴィッキーが戻ってきた。デリヴァリーに使った、プラスティックトレイを頭に乗せ、住民のテーブルの間を歩いている。皆、彼女のパフォーマンスに大喜びだ。
「ユミ~。ヴィーから『どこにおるん!?』ってテキストがきてん」
「知ってる」
「ジョージに写真を見せてもらっててん。ジョージもパティも若いねーん」
 ジョージは、ここのところ体調が良くない。食事にも来れなくなった。嫁のパティは、悲しくて、毎日泣いている。元気なヴィッキーと、一緒に写真を見て、おしゃべりをして、ジョージもパティも嬉しかったに違いない。私やヴィーは、食事のサーヴィスはできても、ヴィッキーのように、ジョージやパティを元気にすることはできない。
 朝食に遅れたり、住民と遊んでいたり、エアロバイクに乗っていることもあるけれど、そういうときは、彼女がいなくても、どうにかなる時だ。そして、誰かが急に休んだとき、代わりを引き受けてくれるのも、ヴィッキーだ。
 小さなことだけれど、彼女から学ぶことはたくさんある。
「ユミ、コーヒーカップの持ち手は手前にして。取りやすいから」
「ユミ、大きいグラスは重いから、できるだけ小さいグラスを使って」
 彼女は、体の不自由な住民が、食事をしやすい環境をいつも考えている。

 メキシコ、フィリピン、ブラジル、そして日本。異なる文化で育った私たちだけれど「年長の人、お年寄りを大切にする」という点では共通した考えを持っている。だから、ヴィッキーが自由にしていても、誰も何も言わない。私たちは、ヴィッキーにしかできないことを理解している。

 数日前、出勤するやいなや、ヴィッキーが言った。
「ユミ!ボーイフレンドと仲直りしてん!」
 スケジュール表を見ると、金曜日にバッテンがついていた。
 スケジュールを作り直すことになったアンは苦笑した。
 ヴィーは静かに、「フフッ」と笑った。

 インターナショナルチーム、楽しいぞ😊

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