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【第21話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2
*このストーリーは過去のお話(2010年~)です。
これまでのストーリーはこちら⇩
現在、私はフルタイムで働いている。
ダンナは、たまにベーシストの仕事が入るけれど、基本的にはお家でヴァケーション状態だ。
そこで、私は彼に掃除、洗濯、皿洗い等を任命している。
とはいえ、ダンナと私の考え方は、あらゆる点で異なる。
例えば掃除だ。
私は「不潔」もイヤだけれど、「散らかっている」状態もイライラする。
隅から隅まで掃除をするわけではないけれど、ある程度スッキリと片付いた部屋で暮らしたい。
ところが彼の場合、ばい菌は許せないけれど、「散らかっている」は支障がない。
実際、私にとってのぐちゃぐちゃは、彼にとっては片付いているレベルらしい。
これじゃ、私の思いは伝わらない。
もちろん、掃除ができないわけではない。
彼が掃除をすると、
「絨毯変えたん?」
というくらい、ピカピカになる。
真似をしようと思っても、彼のようにはできない。
問題は、1回の掃除に頑張りすぎるので、次の掃除までの休養が長い。
「毎日、ちょこちょこすればええやん」
「どうせするなら、綺麗にすればええやん」
間違ってはいないけれど、間違っているような気もする。
待てない私が掃除をする。
洗濯の仕方も違う。
ダンナは節約のため、洗濯物が一定量に達するまで待つ。
もともと、靴下でもTシャツでも、ちょっと汚れたらすぐに替えるので、彼は、かなりの数を保持している。
一方私は、洗濯は毎日するものだと思っているので、それほど貯えを持っていない。
「もう洗うん?ちょっとしかたまってないやん」
私の洗いたい気持ちと、彼の節約したい気持ち、どちらを取るか?
我が家の経済状況を考えれば、彼の方が正しい点が残念だ。
着る服がない状態を維持し、自分の分だけ洗濯する。
皿洗いも、私は使った先から洗いたい。
洗い物がたまることもイヤだけれど、洗い物が終わっていなければ、次の食事の用意がスムーズにできない。
一方、24時間フリーのダンナに、スピードは必要ない。
「洗うぞ!」
と奮起した時に、時間をかけて、ピカピカに洗ってくれる。
ひとつひとつ丁寧に洗うので、そのピカピカ度は一定のレベルを超えた美しさだ。
洗い終わった時点で、水滴ひとつない。
私の場合は、普通にピカピカに洗うけれど、常にスピード重視だ。
洗い残しも、人間レベルにたまーにする。
「どうせ洗うなら、きっちり洗えばええやん」
「そんなことより、洗い物をしたことを褒めてくれたらええやん」
「俺ら黒人は、そんなテロっとした会話はせえへん」
他人から期待した言葉が得られると思っちゃいけない。
多くの場合、ダンナを待てずに私が皿洗いを始める。
ダンナが作る料理は、いつも美味しい。
貧しい黒人にとって、食べることは唯一の楽しみだ。
手に入った貴重な食材を大切に調理する。
彼は、調味料、フライをする油の量、火力、時間、ひとつひとつ熟考し、時間をかけて料理する。
フレンチフライひとつでも、彼が作ると、本当に美味しい。
それに対し、私の料理はやっぱりスピーディで、ほとんどの場合、目分量だ。
「今日のは美味しかった。調味料の量、覚えてるやろな?」
もちろん覚えていない。
覚えようとしていないのだから、忘れるに至らない。
「ちゃんと計量したら、毎回美味しいものが食べられるやん!」
「その通り!」
と思う。
スピード重視、テキトー料理の唯一の利点は、テキトーに作った自覚があるので、文句を言われても、あまり腹が立たない。
ダンナがテキトーにできないように、私は完璧にできない。
人間、そう簡単には変われない。
ダンナの完璧料理を頂きたいけれど、出来上がりを待っていると夜中になる。
仕事のある私は、待つことができず、テキトー料理を作る。
そう!ダンナと私はものすごーーーく違う。
彼には彼の、私には私の好きな暮らし、好きな方法があり、ほぼすべてのことが異なる。
そして、ダンナに合わせていると、生活がスローダウンして明日の仕事に間に合わない。
結果的に、仕事も家事も私がすることになる。
自分の要望が叶えられればラクチンだ。
ダンナに手伝ってもらえると有難い。
けれども、大人の男に細かいことを言うのはよろしくない。
彼が、私の言うことを聞くことはないけれど、言うことを聞くようになって、縮こまったら彼じゃなくなる。
これも大変だ。
私の思うようにはいかないけれど、思うようにするのも大変だ。
要するに、自分が選んだ相手、人生だから、仕方がない。
ある時、この経験は、私にとってプラスになると気付いた。
私が働いているグロッスリーストアに来る日本人のお年寄りの中には、ご主人が亡くなってからひとりぼっち、という人が少なくない。
まるで自分の姿を見ているようだ。
年を取ると、他人の助けが必要になる。
頼れる家族や親せきがあればラッキーだ。
立派な雇用施設に入れる人も安心だ。
けれども私のような、孤独な貧乏人は、他人に頼るしかない。
そこで、「ひとり者になった日本人の爺婆みんなで一緒に住む」というプランを考えた。
いい加減なプランだし、相手にしてもらえるとは思っていない。
けれども、言いふらしていたら、このプランを現実的にしてくれる、奇特なスポンサーが現れるかもしれない。
少なくとも、ひとりは仲間入りしてくれた。
「ユミコさん!家は任せてください!」
現在、会員は二名だ。
このプランが成功した場合、現在の私の経験が発揮される!
人と合わせられなくてしんどい思いをするよりも、人との違いを受け入れられる方がラクチンだ。
そして私は、ダンナのおかげでその能力を手に入れつつある。
この能力は、私の老後をかなり明るく、楽しいものにするに違いない!
使えるお金は皆で使って、いい音楽を聞いて、毎日笑いながら老後を過ごしたい。
ただひとつ、このプランには問題点がある。
10人の老人が一緒に暮らした場合、9人目までは助けがあるけど、10人目はどうなるのか?
そんなことを考えているだけでも、楽しいからいいとしよう😁
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!