見出し画像

ルビー・ブリッジズの戦い

 アメリカの分離教育撤廃に至るまでの、黒人たちの戦い、白人至上主義者の抵抗についてを書く、プチシリーズ。
 第1弾は、Plessy v. Ferguson(プレッシー対ファーガソン裁判)でした。 

 第2弾は、Brown v. Board of Education(ブラウン判決、ブラウン対教育委員会裁判)。

 第3弾は、ヴァージニア州プリンスエドワード郡がみせた、分離教育に対する抵抗でした。

 第4弾の今回は、ルイジアナ州ニューオーリンズにある白人小学校に、たったひとりで通った、勇敢な黒人少女、ルビー・ブリッジズのストーリーです。
⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾🥎⚾

 1954年5月17日のBrown v. Board of Education裁判で、

 「教育機関で人種を分離することは不平等」

 という判決が下った。

 これで、黒人も、白人と同じ教育が受けられる!!!

 ・・・と思ったけれど、そう簡単にはいかない。
 南部の白人たちは、学校統合に対し、激しい抵抗を示した。
 ヴァージニア州プリンスエドワード郡では、

 「統合するくらいなら、学校をクローズする!」

 と言って、5年間も公立学校をクローズした。
 
 実は、ルイジアナ州知事も、

「クローズする!」

 と宣言した。
 けれども、こちらは大統領によって阻止された。
 大統領は阻止しただけではない。
 ルイジアナ州のニューオーリンズにある白人学校から2校を選び、統合を命令した。
 選ばれた2校は、人種差別意識が高い地区にある、ウィリアム・フランツ(William Frantz)小学校と、マクドーノ(Mcdonogh)19小学校だ。

 1959年、NAACPは、ニューオーリンズの黒人家庭を訪れた。
 白人学校に、子供を入学させる意思があるかどうかを聞くためだ。
 135家庭が「イエス」と答えた。
 とはいえ、「イエス」と答えた家庭の子供たち全員が、入学できるわけではない。
 公立学校であるにも関わらず、黒人には、テストが課せられた。
 南部の白人は、黒人排除のためなら、どんな規則でも作る。 
 これまでクオリティの高い教育を受けることができなかった、黒人の子供たちにとって、入学テストは難解だ。
 135人中、合格者はたった6人だった。
 NAACPは各校3名ずつ、入学させることにした。
 ルビー・ブリッジズ(Ruby Bridges)は、ウィリアム・フランツ小学校へ通うことになった、3人の子供のうちの1人だった。
 
 ルビーのパパは元軍人だ。
 軍隊で、アメリカのために命を捧げたにも関わらず、帰国後も、同じ黒人としての人生が待っていた。
 この国は変わらない。
 ルイジアナ州初の学校統合が、成功するとは思えない。
 そんな学校に、娘を入学させたくない!
 ルビーを危険な目にあわせたくない!

 
 けれども、ママは違った。
 ルビーに、より高い教育を受けさせたい。
 ルビーが統合された学校に通うことは、彼女の兄弟だけではなく、すべての黒人の子供たちのためになる! 

 誰かがやらなければならないと強く信じるママは、パパを説得した。

 1960年11月14日、新しい学校へ登校する日の朝、ルビーは少し緊張していた。
 友達ができるかな?
 どんな先生かな?
 すると、誰かが家の扉をノックした。
 扉を開けると、4人の白人の男が立っていた。

 フェデラルマーシャル(連邦保安官)だ!!!

 「これからあなたたちを学校までお送りします」

 腕章をつけた彼らは、ママとルビーを車に促した。

 「私たちがまず先に下ります。
 合図をしたら出てきてください。
 私たちが、お嬢さんを囲んで守るので、学校まで真っ直ぐ進んでください」

 マーシャルのひとりが説明した。
 車が学校に近付くにつれ、人の数がどんどん増えてきた。
 ルビーは、マルディグラのお祭りだと思った。
 車が学校の前で停車した。
 
 「車を降りたら、絶対に振り返っちゃダメよ。
 真っ直ぐ前だけ見て歩きなさい」

 ママに言われたとおり、ルビーは4人のマーシャルに囲まれて、ただ前だけを見て、校舎に向って歩いた。
 入口の前まで来ると、警察官が立ちはだかった。

 「ルイジアナ州知事は、ニグロが白人学校へ入学することを認めていません!」

 これに対し、マーシャルのひとりが言った。

 「大統領は認めると言っています」

 警察官は、道を開けるしかなかった。

 ルビーの目の前には、巨大な校舎がそびえ立っていた。
 黒人学校に通っている時、

 「分離されていても、白人学校も、ルビーの学校と同じ」

 と聞かされていたけれど、全然違った。
  
 ルビーたちが校長室へ通されると、外にいた母親たちが、ダッシュで教室に駆け込み、我が子を連れて、飛び出して行った。
 ニューオーリンズの、2校の白人学校が統合されるニュースは流れていたけれど、学校名は伏せられていた。
 母親たちは、子供を送り届けた後、統合が、我が子の学校ではないことを祈りながら、学校の前で待っていた。

 「私の子供を、ニグロと同じ学校に通わすなんて、とんでもない!」

 校長室の前を通りすぎる母親たちが、ルビーに向かって叫んでいた。
 その日、学校に残った子供はルビーだけだった。
 一緒に通うはずだった2人の生徒は現れなかった。 

 翌日も、マーシャルが迎えに来た。
 暴徒の数はさらに増えている。
 皆、怖い顔をしているけれど、ルビーには理由がわからない。

 「ルビー!振り返らずに、真っ直ぐ前だけ見なさい!」

 とママが言ったので、この日も前だけを見て歩いた。 
 2日目は、校長先生が教室に案内してくれた。
 ルビーを待っていたのは・・・

 白人の先生だ!!!

 彼女は、白人の先生をはじめて見た。
 ルビーの入学が決まった後、ウィリアム・フランツに勤める、多くの白人教師が辞職した。
 残った数人の教師も、彼女に教えることを拒否した。
 ただひとり、快く引き受けてくれた先生が、バーバラ・ヘンリー(Barbara Henry)だった。
 
 北部のボストンで育ったミセス・ヘンリーは、

 「社会的なレベル、宗教や国籍、肌の色など、他人と異なる部分も、人間の共通する部分と同様、素晴らしい」

 と教えられて育った。
 そして、軍隊で働いているご主人の転勤に伴い、国内外の基地にある学校で、教鞭をとった。
 そこには、様々な肌の色の生徒がいた。

 ミセス・ヘンリーと、外にいる怖い顔をした大人たちは似ている。
 ルビーは不安だった。
 けれども、すぐに気が付いた。
 ミセス・ヘンリーは、とても優しく、外にいる大人たちとは全然違う!
 次の1年間は、勉強、ゲーム、アート、ストーリー、休憩時間、何をするのもミセス・ヘンリーと一緒だった。

「肌の色で、その人を判断することは間違っている」

 キング牧師の言葉が正しかったことを、ルビーは6歳で知った。

 大好きなミセス・ヘンリーのいる学校は楽しい。
 けれども、この学校は少しおかしい。
 ・・・子供がいない。
 ルビーは考えた。
 前の学校では、ランチタイムにカフェテリアへ行けば、子供たちがいた。 
 カフェテリアへ行けば、他の子供に会えるに違いない!

 ところが、彼女が教室以外の場所へ行くことは、禁止されていた。
 教室の外には、いつもマーシャルが立っている。
 ランチは、ママが作ってくれるサンドウィッチだ。

 そこで、ルビーはママのサンドウィッチをゴミ箱に捨てるようになった。
 ランチがなくなれば、カフェテリアへ連れて行ってもらえると考えたからだ。
 傷つけられる恐怖よりも、ひとりぼっちの寂しさが常に勝っていた。

 けれども、カフェエリアには連れて行ってもらえなかった。
 これには理由があった。
 ルビーが登校するとき、暴徒の中のひとりの女性が、

 「お前に毒を盛ってやる!」

 と毎日叫んでいたからだ。
 この報告を受けた、アイゼンハワー大統領は、

 「家から持参した食べ物以外、ルビーに食べさせてはならない」

 とマーシャルに命令した。

 暴徒の中には、ルビーに向かってツバを吐く人、黒人の人形が入った棺桶を見せる人もいた。
 棺桶に入ったお人形は、彼女を震え上がらせた。

 「怖くて眠れない」
 
 ある夜、ルビーがママの部屋にやってきた。

 「イエス様は、いつもルビーと一緒に暴徒と闘っているのよ。
 こんなとき、イエス様はお祈りをするの。
 意地悪な人を許してあげてくださいってね。
 神様はいつも守ってくれる。
 ルビーも祈りなさい」
 
 「・・・はーい」

 もちろん、意地悪な人ばかりではなかった。
 ルビーと一緒に、子供を通わせようとした白人もいた。
 けれども、白人コミュニティは、そんな彼らを許さない。
 彼らは無視され、家の中に物を投げ込まれ、夫は職場で嫌がらせを受けた。 

 「残念だけど、うちの子供を、同じ学校に通わすことはできないの」

 彼らには、守ってくれるマーシャルがいなかった。

 ルビーの家族も嫌がらせにあった。
 
 「白人学校に、子供を入れるような奴は雇えない!」

 パパは8年間働いた職場をクビになった。
 ミシシッピ州で小作人をしていたおじいちゃんは、借りていた土地を取り上げられた。
 ルビーに優しかった、近所のグロッスリーストアのおばさんは、

 「あんたらに売れる品物は、ここにはないよ」

 物を売ってくれなくなった。

 その一方で、ルビーたちを助けてくれる人もいた。
 近所の人は、パパに仕事を紹介してくれた。
 ママとパパが仕事に行っている間、ベビーシッターをしてくれる人もいた。
 家の周りを見張ってくれる人、ルビーが校舎に入るまで見届けてくれる人もいた。 
 彼女は、同じ肌の色でも、親切な人と、そうではない人がいることを知った。

 ルビーは1年間、一度も学校を休まなかった。

 「彼女は勇敢で、一度も泣いたり、メソメソすることはなかった。
 俺たちと一緒に颯爽と歩く彼女は、小さな戦士だった。
 彼女の勇気に、俺たちはいつも感動していたよ」

 ルビーの護衛をしたマーシャルのひとりが語った。

颯爽と歩くルビー・ブリッジズ

 ルビーの強さに感銘を受けた人は、他にもいた。
 ボランティアで、ルビーのカウンセリングを1年間行った、児童精神科医のロバート・コールス(Robert Coles)だ。
 彼はルビーと過ごした時間で、持って生まれた強さの他に、信仰が、人の心に与える力を知った。
 ルビーのママは、神様を信じた。
 そしてルビーはママと、ママの信じる神様を信じた。

「神様、彼らをお許しください。
 彼らは意地悪なことを言うけれど、本当は自分たちが何をしているのかわかっていません。
 あなたが昔、ひどい目に遭わされても人々を許したように、彼らのことも許してあげてください」

 ルビーは、毎朝学校へ向かう車の中で、暴徒たちのためにお祈りをした。

 学校に通い始めて1年近く経つと、数人の白人の子供たちが学校に戻って来た。
 ある日、ひとりの少年が、
 
 「お前はニガーやから、お前とは遊ばない。ママがそう言ってた」

 とルビーに向かって言った。
 この瞬間、彼女はすべてを理解した。

 「マーシャルも、ひとりぼっちの授業も、群衆も、すべて自分の肌が黒いからだったんだ・・・」

 悲しかった。
 けれども男の子は、大人の考えでそう言っているだけだ。

 2年生になると、ミセス・ヘンリーはいなくなった。
 それに代わって、数人の白人の先生と、子供たちが戻って来た。
 少ないけれど、黒人の子供たちも入学した。
 ルビーの発音は、ミセス・ヘンリーの、アメリカ北部の発音になっていたため、担任の先生には虐められた。

 「お前とは遊ばない」

 と言う子供は、他にもいた。
 それでも、ひとりぼっちの寂しさと比べたら、大したことはない。
 ルビーは、6年間この学校に通った。
 彼女の弟や妹も、同じ学校へ通った。

 ママが信じたとおりだった。
 ルビー・ブリッジズの入学は、ママの決断は、ルビーの兄弟、そして将来の黒人の子供たちのために、新しい扉、異なる人生を開くことにつながった。 

 *マクドーノ(Mcdonogh)19小学校に通った3人の少女、ゲイル・エティエン(Gail Etienne)、リオーナ・テイト( Leona Tate)、テッシー・プレヴォースト(Tessie Prevost)のことも覚えておきたい。
 将来の黒人のために、暴徒たちと戦った少女たちは、マクドーノ・スリーとして知られている。


最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!