【シリーズ第6回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
私のアメリカ生活がスタートした。
車も購入し、ひとりで動ける実力を手に入れた!
ホームステイ先の友人ファミリーは、
「ゆみこさん、お留守番よろしくね~!」
クリスマスとお正月休みを利用して、メキシコへ旅立った。
・・・ほんとにひとりで動くしかなくなった。
さて、どうするか・・・。
とりあえず、アメリカの広い道路を運転したり、食材を買って料理をしたり、映画館へ行ってみたり(何を言っているかはわかりませんでした)、とりあえず、”初ひとりアメリカ”を堪能しているうちにクリスマスは終わった。
クリスマスが終わっても、他にアイデアがなかったので、ほぼ毎日、同じ場所へ行き、同じことをし続けた。
・・・・・・・・・・・飽きた。
嫌がらせのように、大晦日がやってきた。
「よっしゃ~っ!!!
カウントダウンパーティへ行くぞ~!!!」
と決意した。
決意はしたものの、友人宅は郊外にあり、ダウンタウンまで30分はかかる。
事故を起こせば友人に迷惑がかかるし、真夜中に、ひとりでダウンタウンまで運転していく勇気は、まだない。
どうしたものかとインターネットを検索し続けていたら、お隣のパラタイン市で、ブルースのライヴがあることを発見!
店の名前は「スライス・オヴ・シカゴ」だ。
”要予約”と書いてあるけれど、英語で、しかも電話で予約できるとは思えない。
「予約なしでも大丈夫」
と都合の良い判断をし、出動した。
友人宅から車で10分、辺りには何もない。
スライス・オヴ・シカゴはだだっ広い敷地に、ポツンと建っていた。
雪でぬかるんだ駐車場(広場?)に車を停め、エントランスへ向かった。
零下の寒空にも関わらず、折り畳み式の机を出して、外で受付をしている。
ん~・・・いい音楽が聞ける気がしない・・・。
とはいえ、他に行くところもないので、列に並んだ。
私の番がきた。
「ご予約は?」
「してません」
「ご予約がないとお席はありません・・・」
予約なしでも大丈夫じゃなかった。
普段の私なら大人しく引き下がる。
けれども、私は1週間以上、誰とも会話をしていなかった。
人間が恋しい。
そして、カウントダウンはどうしても音楽を聞いていたかった。
「プリーズ!椅子もいらないし、後ろに立ってるから!お願い!」
知っているわずかな単語だけで交渉した。
「・・・あなた、ひとりで来たの?」
「イエス!」
受付のお姉さんは、ものすごく気の毒そうな顔をして、
「ちょっと待ってね」
と言って店の奥へ消えた。
実は、お姉さんが思うほど気の毒ではなかった。
けれども、気の毒に思ってもらえたおかげで、OKが出た。
「席はないし、後ろのカウンターにしかスペースはないけど、それでもいい?」
「イエス!!サンキュー!!」
しかし、次に告げられた言葉は、
「85ドルです」
・・・びっくりした。
旅行中、何度かクラブには行ったことがあったけれど、せいぜい10ドル、メジャーな人が出演する週末でも15ドルくらいだったと記憶する。
それが85ドル?
いい音楽が聞けそうな気もしない、場末のクラブで85ドル?
とはいえ、ひとりで年越しをするくらいなら、85ドルを払ってでも人込みの中に居たい。
きちんとお支払いし、彼女にお礼を言って店内に入った。
店の中に入ったら、85ドルの意味がわかった。
テーブルには真っ白なクロス、花とキャンドルが美しくセットされ、奥の部屋にはバッフェ式のディナーが準備されていた。
なるほど、ライヴじゃなくて、パーティなんだ。
客は各々自由に料理を取りに行き、音楽が始まるまでの時間を楽しんでいる。
実はこのお店、普段はちょっとお洒落なピザ屋さんだった。
お姉さんに教えられた、後ろのカウンターの、わずかなスペースへ向かった。
スペースといっても、そこにはセルフサーヴィスのドリンクバーがあり、入れ替わり立ち代わり、客がアルコールを取りに来る。
・・・全員外人だ!!!・・・。
あちらからすれば、私が外人だ・・・と考える余裕などない。
誰かが近付いてくるたびに、ドキドキする。
壁と一体化して、姿を消したかった。
それでも時間が経つと、少し冷静になってきた。
受付のお姉さんに、
「ひとり?」
と聞かれた理由もわかった。
年末に、ひとりで音楽を聞きにくる女なんて、どこにもいない。
英語もまともに話せないアジア人が、ひとりぼっちでカウントダウン・パーティーに来ているのが不憫だったに違いない。
この日の出演はリンジー・アレキサンダー。
顔はちょっと怖い。
けれども、演奏は抜群に良かった。
後でわかったことだけれど、シカゴのブルース界では名前の通った方だった。
そして、音楽が始まると、周囲のことなどすっかり忘れ、ひとりで叫び、後ろのスペースで踊っていた。
立ち見で良かった💚
他の客はというと・・・ただの酔っ払いと化していた。
だーれも音楽など聞いていない。
もったいないなぁ・・・。
と思っていたけれど、ショウが始まって1時間後には、私もひとつのグループに仲間入りをしていた。
トム・クルーズ似の男性が、
「俺たちのテーブルに来る?」
と声をかけてくれたからだ。
酔っ払いの大騒ぎで、音楽はほとんど聞こえない状態だったし、ちょっとだけアメリカ人の中に入ってみたかった。
トム・クルーズに連れられて行くと、そこには男女2組のカップルが座っていた。
なるほど、トムはあぶれていたようだ。
ファイアーマンのトムの友人2人はポリスマンだった。
ポリスマンたちは、ガールフレンドと大騒ぎをしていた。
トムは、どうやら物静かな人らしい。
私に向かってずーっとボソボソ話し続けている。
もちろん、何を話しているかはわからない。
カウントダウン5分前、ハッピー・ニュー・イヤーと書かれた帽子やたすき、クラッカーが配られた。
「3、2、1・・・ハッピー・ニュー・イヤー!!!」
新年に変わると同時に、バンドは蛍の光を演奏し始めた。
客も従業員も、皆がそこら中の人とハグをしている。
私もトムやポリスマン、ポリスマンのガールフレンドや、隣にいた知らない人たちと、
「ハッピー・ニュー・イヤー!」
と言いながらハグをした。
いや~・・・明るい!!
元旦のピンと冷え切った空気の中で、除夜の鐘を聞きながら迎える日本の新年は、心が浄化され、心新たに今年も頑張ろう!と、厳粛な気持ちになれる。
一方、酒を飲んで大騒ぎをし、クラッカーを鳴らし、周囲にいるすべての人と抱き合って、喜びを分かち合うアメリカの新年は、ひたすら明るい。
素晴らしい一年になる気しかしない。
人間のパワーだ。
この人間の明るさ、パワーが、アメリカの偉大な魅力であり、強さなのかもしれない。
音楽を聞けなかったのは残念だったけれど、アメリカ人の中で迎えるはじめてのカウントダウンは実に楽しかった。
その上、トム・クルーズと正月からデートの約束までした。
しらふでデートに現れたトムは、私が英語を話せないことに、ようやく気付いたらしい。
互いに苦痛でしかないデートを終えたとき、ドッと疲れを感じた。
もちろん、次のデートのお誘いはなかった。
楽しい年越しと新年だった。
大満足🎵
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