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【第16話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2

気にしない・・・

 仕事がなくなったダンナは、ほぼ毎日、大好きなテレビを観て暮らしている。

 飽きることなく、毎日同じ番組を観て、同じ場面で笑っている。
 
 余談だけれど、米国内で最も長時間テレビを視聴する人種は黒人だ。
 平均視聴時間は、14時間だったと思う。
 労働時間より長いけれど、労働をしている人が少ないと考えると納得がいく。
 労働をしている人も、労働が終わるとただちに帰宅し、家でテレビを観る。
 外の世界は、彼らにとってリスクが高い。
 家にいることが一番安全で、リラックスできるのだ。
 
 我が家のダンナも家とテレビが大好きだ。
 一方、私はずっと食器を洗っている(気がする)。
 起床後、ダンナが夜中に使った食器を洗う。
 仕事から帰宅して、日中ダンナが使った食器を洗う。
 夕食後、二人で使った食器を洗う。

 「私は食洗器ちゃうーーー!」

 もちろん、彼に悪気はない。

 「皿洗っといてくれる?」
 「オッケー」

 ”嫁が稼いでいるのだから、俺が皿洗いをするのは当然”という考えはあるらしい。
 そして、びっくりするほどピカピカに洗ってくれる。
 問題は、「洗っといて」と頼めばスウィッチが入るけれど、頼まれなければ気も付かない。
 同じ「洗っといて」でも、命令口調や不満気な口調になると、スウィッチはオフのままだ。

 「命令されたら絶対にできへん」

 胸を張って言う。
 彼は「誰の命令にも従わない!」という強い信念を持っている。

 「俺らはレイジーやと思ってたけど、そうじゃないってわかってん。
 脳のどっかで、他人の言うことは絶対に聞かへんって思ってるねん。
 仕事で金が発生する時は、ちゃんと行くから、できないわけじゃないやん。
 でも、”何時に来い!”て命令されたら、絶対に言われた時間には行かれへんねん。
 状況によっては、クビになってもええから行かへんで」

 NBAプレイヤーのアレン・アイヴァーソンを思い出す。

 けれども、皆が黒人の心理を理解できるはずもない。
 黒人文化のないシアトルのような町では、黒人差別はマイルドだけれど、理解してもらうことは難しい。
 以前、演奏していたアンコア(⇧第12話参照)では、

 「当日は5時に集合!5時15分からサウンドチェック!」

 女性のエイミーが先生のような口調で、メンバーの男性陣に告げる。
 まず、午後8時や9時から始まるギグのために、毎回、5時からリハーサルをする意味が、ダンナには理解できない。
 リハーサル時間も含めた演奏代が支払われるなら話は違う。
 ギグは週に一度か二度、衣装代や宿泊費も自腹、ガス代にもならないことがある。

 「エイミーみたいな言い方したら、シカゴの黒人やったら言うこと聞かへんで」

 ダンナが私に言った。
 その言葉が嘘でないことは、私が一番よく知っている。
 シカゴのミュージシャンは、自分の仕事に責任を持ち、ステージに間に合うように現場に現れる。
 現れなければ、仕事をもらえなくなり、生活ができなくなる。
 とってもシンプル。 
 リハーサルは必要な時だけ、スタジオを借りて、別の時間に行っていた。
 リハーサル代が出たかどうかは知らないけれど、出なければメンバーは来ないかもしれない。

 とはいうものの、ここはシアトルだ。
 納得はいかずとも、ダンナは毎回、誰よりも早く現場に行った。
 ある日、ほんの少し遅れたダンナに、エイミーとジェイムスが、真面目な顔で文句を言った。
 ステージに間に合わなかったとか、毎回遅れていたならともかく、リハーサルにちょっと遅れただけだ。
 日本人の私でも、”そんなことより大切な問題は、もっといっぱいあるやん”と思う。
 また別の日のことだ。
 現場の若いサウンドマンが、ダンナに対して、偉そうな口調で指示を出した。

 「シアトルのミュージシャンは言うこと聞くかもしれんけど、俺はちゃうで」

 その瞬間、優しいダンナが、サウスサイドの怖~いダンナに変身した。
 年齢、性別に関わらず、リスペクトを示す相手には、常にリスペクトを持って対応する。
 けれどもリスペクトを示さない相手には、相手が後悔するくらい恐ろしい対応をする。
 それがダンナだ。
 そのサウンドマンは、ダンナが黒人だから、そんな言い方をしたのか、他のミュージシャンに対しても、同じように言うのかはわからない。
 けれども今までは、それで通用していたのだろう。
 変身したダンナに驚いて、サウンドマンは逃げて行った。
 問題は、エイミーとジェイムスがサウンドマンの側に立ったことだ。
 おそらく「仕事をさせてもらってるのに!」という意識なのだろう。
  
 「俺、偉そうにしたことないけど、彼らがオムツしてる頃から、ステージに立ってるねんで」

 その日以降、ダンナは言われた時間に行かないことを明確にした。
 
 彼が心に決めていることは他にもある。
 ”媚びは売らない”だ。
 シカゴにいる頃、仕事が週1本になったときも、今回のように無職になっても、みじめたらしい姿は絶対に見せない。
 
 「今日で辞めて欲しい」
 「オッケー」

 びっくりするほど潔くやめてくる。
 仕事がなくて、生活ができなくても、

 「仕事ください」

 とお願いすることもない。
 もちろん黒人全員が、ダンナと同じではない。
 けれども、この国から何も与えられなかった彼らは、何もないからこそ、”誇り”だけは失わない、失えないのだ。

 黒人として誇り高く、誰の命令にも従わず、誰にも媚びず、堂々と生きるダンナはカッコいい。
 この生き方を貫いて頂きたい。

 さて、そんなダンナは、相手が誰であろうが、思ったことはキッチリ言葉にする。
 しなければならないらしい。
 「オブラートに包んで・・・」なんてことは絶対にない。
 ヒッピーのルークやフィリペが遊びに来ると、

 「靴下脱いで」
 「汚い足で歩き回らんといて」
 「手洗って。汚い手で触らんといて」

 彼らはいい人なので、笑いながら靴下を脱ぎ、手を洗ってくれる。
 シカゴのサウスサイドの友達なら、

 「なんで靴下脱がなあかんねん!」
 「お前の汚い足で俺の家を歩き回るな!そこに座っとけ!」
 「ふぁっ〇ゆー」

 みたいな会話が繰り広げられ、大騒ぎになる。
 喧嘩しているようにしか聞こえないけれど、そういうわけではないらしい。

 アパートには、エチオピア人が暮らしている。
 エチオピア料理は、ニンニク、生姜、香辛料をかなり使うらしく、その臭いは強烈だ。
 
 「なんじゃこれ!くっさー!猿でも煮とんか!」

 ダンナは毎回、同じことを言いながら、部屋の前を通り過ぎる。
 バーン!と部屋から飛び出してきて、相手をしてくれることを楽しみにしているけれど、期待には応えてもらえない。

 キッチンの排水溝が詰まり、夜中の3時頃に汚水が逆流してきた。
 明け方まで起きているダンナは、すぐにアパートのエマージェンシーに電話をした。
 修理に来たのは、若い白人の男の子だ。
 ダンナは、シンクにもぐって作業をしている背後に立ち、脅し(?)続けた。

 「そこ、ビニール敷いて」
 「今、汚水、飛ばした?」
 「その横のキャビネットには、俺の嫁の食料が入ってるねん。
 汚水飛ばしたら、俺ら大変なことになるで」

 このキャビネットには、海藻、乾物、ダシなど、私の和食材が保管されていた。
 残念なことに、大変なことはすでに起こっていた。
 ダンナに起こされて、キッチンに入って行った私の顔を、男の子が作業をしながら何度も見る。

 「あの子、すっごい怖い黒人のおばちゃんが出てくると思って、ビビっててんで」

 ダンナがとても楽しそうに、そのわけを教えてくれた。
 
 ダンナは思ったことを口にするけれど、彼だけが特別というわけではない。
 貧しい黒人が暮らすエリアに行くと、皆、こんなもんらしい。
 映画「ラッシュ・アワー」や「フライデー」に出演する、クリス・タッカーは、黒人の会話をそのまま映画で使っている。
 ジャッキー・チェーンがクリス・タッカーが運転する車のラジオを触る場面がある。

 「黒人のラジオを触るな!」

 ダンナだけではなく、彼が育ったサウスサイドでも、他人のラジオに触ることは厳禁だ。
 ジャッキーがウォー(WAR)の歌をうたっていると、クリスが言う。

 「お前、ウォーのことなんかなんも知らんやんけ!」

 私が、黒人の領域に入ろうとすると(入るつもりはないが)、まったく同じことを言われる。

 「ニューオーリンズでメイズを見たときにさぁ・・・」
 「お前、メイズのことなんて、なんも知らんやんけ!」

 ムカッとしてはならない。
 きっと「なんも知らんやんけ!」を訳すと、「そうなんや」「へー」という感じ。
 特に意味を持つフレーズではないはずだ。
 クリスがジャッキーに「You all」の発音を教える場面がある。

 「ユーオールちゃう!ヨォーや!」
 *カタカナで上手く表現できない

 我が家の発音教室もこんな感じだ。
 同僚が発音を教えてくれた時、私が発音するたびに、「ワンダフル!」「ビューティフル!」と言われてびっくりした。
 そんな単語を彼の口から聞いたことなど一度もない。

 クリスタッカーが、ジャッキーに発音を教える場面⇩
 黒人の話し方、負けず嫌いな様子がなんとなくイメージできる。

 彼の会話のターゲットが他人の場合は、実に面白く、一緒に笑っている。
 ところが、自分がターゲットになると、わかっていても不愉快だ。
 日常的なことでは料理、特に鶏料理のときだ。
 チキンを料理していると、ダンナは私の背後から、じ~っとその様子を眺めている。
 嫁が料理する姿をダンナが眺める図といえば、温かい眼差しを想像する。
 けれども我が家は違う。
 
 「そのチキン、ちゃんと洗えてるん?」
 「そこチキンが当たったで。ちゃんと洗って」
 「チキンのついたスポンジ、どうするん?」
 
 キッチンの至るところに、サルモネラ菌をばら撒く犯罪者のように、私を見る。
 食べる時も、
 
 「美味しい!」

 という甘い言葉を期待してはならない。

 「このチキンは中まで火が通ってるん?」
 「通ってるで」
 
 適当に返事をすると、険しい顔で、チキンの内部を確認する。

 「ここ、ホンマに火通ってるん?」

 チキンの切り口を差し出しながら、するどい視線で睨み付ける。
 お腹を下したくないから確認しているだけで、本人に悪気はない。
 けれども、こちらは気分が悪い。

 「気になるなら、もう1回焼けばええやん」 
 「確認しただけやん!俺はこの家では思ったことも口にできへんのか!」

 随分長い間、これは戦い、喧嘩だと思っていたけれど、どうやらただの会話だったようだ。

チキンの日は喧嘩の日♬

 これがダンナなので、私は「気にしない」を習得するしかない。

 「気にしない、気にしない・・・普通、普通・・・黒人、黒人・・・クリスタッカー、クリスタッカー・・・」

 呪文のように唱えながらチキンを切る。
 けれども時々、

 「ううぉーーーーーーーーーーーーー!!!」

 と叫びたくなり、なぜか私が家を飛び出す。

 「戻って来い(Get your ass back)!!!」

 ダンナが背後から叫ぶ。
 ”Ass”はケツの穴という意味だ。
 もう少し、マシな呼び戻し方をしてもいいはずだ。

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