【第5話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら⇩
ついに、アメリカで社会人デヴューを果たした!
この就職により、私たちは引越しをする実力を得た。
アパートはすでに決めていた。
南東側全面に窓がある、日当たり良好のアパートだ。
今のアパートは、玄関の扉を開けると、いきなり外だけれど、次のアパートは、大きなビルディングの中に部屋がある。
1階に住民のエントランスがあるので、二重のセキュリティの上に、玄関から湿気を含んだ外気が流れ込む心配もない。
以前、このアパートを見学したとき、試しに入居を志願してみた。
夫婦そろって無職だったために、もちろん断られた。
しかし今回は違う。
私には、就職を証明する給料明細がある!
我々は、初給料日翌日に、アパートの事務所に乗り込んだ。
「どうだ~!」
誇らしげに給料明細を差し出した。
「あら、あなた就職したの?」
担当の女性も、我々のことを覚えていた。
仕事もないのに部屋を借りようとする人も、黒人とアジア人の夫婦も、珍しかったのだろう。
分厚い書類にサインをして、敷金と2か月分の家賃を支払い、無事に入居手続きが完了した。
次は引越しだ。
引越しをするにあたり、ダンナは最終月のアパート代は支払わないと決めていた。
以前から扉の隙間対策や、カビ対策を相談、依頼しても、何ひとつ対応してもらえず、すべて自腹で対応したからだ。
一家の主として、この交渉に勝利しなければならない。
彼は交渉決裂を想定し、リハーサルをしている。
交渉当日、いざ、オフィスへ向かう。
「私たちは、引越し月の家賃は払いません!」
「わかりました。結構です」
「え!あんな部屋に住ませといて、まだ払えって言うんですか?!」
「いえ、ですから結構です」
「あんたら無茶苦茶やん!黒カビは健康被害も出るんですよ!」
「いえ・・・・ですから家賃は結構ですと・・・。あの、ちょっと外に出てますんで、お二人で相談してください・・・」
さすがの私も話を聞きながら、おかしいと思ったけれど、口を挟むタイミングがなかった。
マネージャーが出て行ってから、彼は10秒ほど黙っていた。
そして、私の方を向き、
「彼女、もしかして家賃いらんって言うた?」
「うん・・・たぶん。そんな気がする・・・」
交渉決裂を想定した練習をしすぎたのだろう。
マネージャーの返事に頭が対応しなかったようだ。
数分後、マネージャーが戻ってきた。我々は大人しくサインをし、解約完了。
私には、このときの彼のプレッシャーが理解できた。
彼のこれまでの人生で、不動産業者、しかも白人女性を相手に、オフィシャルな苦情や、交渉をする機会はそれほどなかったと思う。
ある程度の年齢に達してから「したことがない」ことをするのは怖い。
失敗した時のことを考えると、逃げ出したくなるかもしれない。
しかも、彼の場合は差別されることを念頭において戦わなければならない。
「黒人が我々白人居住地に住むことは許さない!」
1960年代後半、シカゴ市長がテレビで公言した。
彼は、その言葉をリアルタイムで聞いている。
黒人居住地では、黒人男性は部屋を借りられなかった時期もある。
男性は、母親やパートナーの家で暮らす以外ない。
このことは、黒人男性から自尊心を奪い、黒人コミュニティーの破壊を導く効果があった。
部屋は借りられなくても、仕事をして女性たちを養えればいいけれど、黒人街に仕事はない。
これは今でも同じだ。
サウスやウェストに行くと、ビジネスらしいビジネスはない。
ところどころに、リカーストアとバーバーショップがある程度だ。
白人街に行けば、仕事はあるけれど、学歴が必要だ。
差別もある。
特に男性は、白人街を歩いているだけで、ポリスに目をつけられ、対応を間違えれば命を奪われる可能性もある。
シカゴのサウスサイドやウェストサイドの黒人が、ノースに出て来ることは、我々が考える以上に勇気を要する。
今でもサウスから動けないためにお金が稼げず、ドラッグに溺れて、母親の家で生涯を終える人がいる。
彼の友達にもいる。
このような現実の中で生きてきた彼が、一家の主として、白人マネージャーとの交渉に向かった。
そのプレッシャーと緊張は、おそらく私の想像を超えていたに違いない。
マネージャーの言葉が聞こえなくなっても仕方がない。
羞恥心やプレッシャーと戦い、逃げずに立ち向かった彼は偉いと、私は思う。
さて、アパートの交渉が終了し、いざ引越しとなり、気が付いた。
ここからは私とダンナの闘いだ・・・。
この男と共同で作業をして、スムーズにいった試しがない。
今回の彼のターゲットは「黒カビ」だ。
黒カビを次のアパートに持ち込まないために、我々の健康を守るために、彼は全力を尽くす。
黒カビ完全除去のためには、少しの間違えも許されない。
物を捨てない彼が、カウチやテーブル、風呂の中の備品、シャンプーやリンスまで、躊躇なく捨てている。
持って行くものは、酢水でピカピカに拭いてから箱に入れる。
カビが生えた物を触ったら、新しい手袋に交換してから、次の作業に移る。
私に関しては、カビが生えたものを外に持って出たら、入室禁止だ。
私の服や靴に、カビが付いているらしい。
私にだけ、カビが付着している理屈はわからないけれど、聞いたところで、気分のいい回答があるとは思えない。
彼は黒カビ調査に努力と時間を費やしたけれど、私は何も調べていないので、文句を言うわけにはいかない。
そして、私の「慎重」は、彼にとっては「無神経」レベルだ。
せっかちな私が手を抜くことは目に見えている。
私を信用していない彼は正しい。
ここは何も言わず、渡される物をゴミ箱に運ぶことだけに専念する。
言葉を発したら最後、大喧嘩になることだけは明らかだ。
彼の細かい指導に、私は次第に無口になっていく。
ついに、最後の荷物を運び終えた。
「やったー!これで我が家に平和が戻ってくる!」
次の瞬間、ダンナが言った。
「服脱げ」
「・・・・・・」
この男は、私が着ている服を捨てたいに違いない。
なんなら、私ごと捨てたいのかもしれない。
ここで服を捨てず、新しい部屋に黒カビが生えたら、責められることは目に見えている。
家具が運び出された部屋で、私は全裸になる。
服は屋外のゴミ箱に投入、私は風呂へ放り込まれた。
こうして、我々の引越しは終了した。
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!