【シリーズ第1回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
ライブミュージックとの出会い①
ある日、テレビドラマを観ていると、これまで聞いたことのない歌が聞こえてきた。
「・・・ん???・・・なんだこりゃ~~~っ!!!!!!!!!」
声、リズム、サウンド、すべてに衝撃を覚えた。
オーティス・レディング(Otis Redding)が歌う”ザ・ドック・オヴ・ザ・ベイ(The Dock of the Bay)”だった。
はて・・・オーティス・レディングって誰だ???
彼が歌っている音楽がR&Bだということ、
彼が黒人だということ、
彼がすでに亡くなっているということ、
な~んにも知らなかった。
オーティス・レディング
オーティス・レディングは1941年、アメリカ南部、ジョージア州生まれ。
彼のデヴューは、21歳のときに突然やってくる。
メンフィスのスタックス・レコードへ、ドライバーとして同行した際に、彼自身の歌を聞いてもらうことに成功した。
彼の歌声を聞いたプロデューサーは、
「おおおおぉぉぉっっっ・・・!!!」
と感動。
ただちにレコーディングが行われた。
それが彼のデヴューシングル、「ジーズ・アームス・オヴ・マイン(These Arms of Mine)」だ。
どうだっ!!このソウルフルな歌声!!!
まさに”ザ・キング・オヴ・ソウル”!
と言っても、その頃の私は「ソウル」という単語すら知らなかった。
渡辺大之伸さん
オーティスの声と出会ってしばらくして、音楽好きの友人が、
「渡辺大之伸さんが、オーティス・レディングの命日に、追悼ライブをするよー」
と教えてくれた。
もちろん渡辺大之伸さんなんて知らない。
しかし、オーティス・レディングという名前が出たからには、行かなければならない!
場所は京都の磔磔だ。
さて、そのライブは・・・
熱い~~~~~~🔥🎤🔥🎤🔥🎤🔥🎤🔥
こんなに激しく歌う人を、これまで見たことがなかった。
それがシャウトだということも知らなかった。
けれども、その熱い熱いパフォーマンスに、彼のソウルに、私の心はぶんぶん揺さぶられた。
楽しい~~~~~~~!!!
大之伸さんの、オーティスへの愛を感じずにはいられない、素晴らしいショウだった。
渡辺大之伸さんは、オーティス・レディングを愛してやまないソウルシンガーだ。
私は知らなかったけれど、彼が率いる14人編成のR&Bバンド、ソウル・ドゥ・アウトは有名だ。
1980年、このバンドは8・8ロックディ(1973年に始まったロックコンテストの草分け的イベント)で、グランプリを受賞している。
また、私の年代なら誰もが知っている、丸大ハムの「大きくなれよ~」のコマーシャルは、大之伸さんがナレーションだったと聞いている。
しかし、大之伸さんは2008年に、48歳という若さで他界された。
とても残念だった。
私がライブミュージックに夢中になれたのは、大之伸さんの熱~いソウルのおかげなのだ。
つづく・・・
最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!