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【シリーズ第2回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵

 このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。

・・・さて、誰でしょう🎵

若いとき


現在

ヒント


  1. ファミリーゴスペルグループで11歳から歌っています。

  2. キング牧師とともに活動しました。

  3. ソウル、ブルースやR&Bも歌います。

  4. ソロでもデヴューしました。

  5. ラフ(ちょっとかさついた、荒い)な低い声です。

  6. シカゴの人です。


生い立ち


 1939年、彼女はシカゴのサウスサイド、33番ストリートで生まれた。
 4人兄弟の末っ子だ。

 しかし、パパとママは4人(1男3女)を育てる余裕がなかったので、しばらくの間、末の二人の娘は、ミシシッピ州のおばあちゃんの家に預けられた。 
 
 このとき、彼女はゴスペルと出会う。
 毎週末の夕食後、人々はチャーチに集まり、音楽を楽しんだ。
 そこには楽器などなく、演奏は人の声と手拍子、ストンプ(足を踏み鳴らす)のみ。
 彼女の音楽のベースは、このとき聞いたゴスペルなのだ。
 
 チャーチは楽しかった。
 けれども、学校ではいじめが待っていた。
 小さくてガリガリで、子供らしからぬ低い声だったうえに、都会からやってきた彼女は、常にいじめのターゲットだった。

 しかし、彼女はファイターだった。

 お兄ちゃんから喧嘩の方法を教えてもらった彼女は、自分よりもはるかに背の高いいじめっ子にも立ち向かった。

 彼女がシカゴへ戻ったのは、6歳のときだ。

 その時代、シカゴの30番台のストリートは、才能の宝庫だった。
 彼女のバックヤードで開かれるバーベキューには、King of Soulのサム・クック、シカゴ代表ポリティカルミュージシャンのカーティス・メイフィールド、ソウルの賢人、ジョニー・テイラー、数多くのゴスペルグループに影響を与えたThe Impressionsのリードシンガー、ジェリー・バトラーなど、そうそうたるメンバーが訪れた。
 ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンは彼女に手作りのアイスクリームを持ってきてくれた。
 レイ・チャールズや、ナンシー・ウィルソン、活動家で牧師のジェシー・ジャクソンもやってきた。

 彼女が8歳のとき、パパが子供たちをリビングルームに集めて、ゴスペルの練習を始めた。

 その歌声を聞いた叔母が、
 「めちゃめちゃええやん!」
 と言って、彼らをチャーチに招待した。
 
 その日、歌い終わると、拍手とアンコールの声が鳴りやまなかった。
 おひねりをくれる人もいた。

 「これはいける!!!」

 と思ったパパは、家に戻ると、さっそく新曲の稽古を始めた。

 そんな彼らのパフォーマンスは、たちまち人々に知れ渡った。
 ラジオにも出演するようになった。

 レコーディングの誘いもあった。
 けれども、業界のことを知らないパパは躊躇した。
 そんなパパのために協力してくれた人たちがいた。
 バックヤードに遊びに来るミュージシャンたちだ!
 
 そして、彼女が高校を卒業した日、パパが言った。
 「さぁ、俺たちはツアーへ行くで」

公民権運動


 ツアーはアメリカ南部へ行くことが多かった。
 「ここには、俺らのことを好きな人は、誰もおらんよ」
 パパは子供たちに忠告した。
 
 1950年代後半、南部では公民権運動が盛んになり始めていた。
 ラジオからはキング牧師の説教が流れていた。

 ある日、アラバマ州へ向かう途中、いつものようにラジオを聞いていたパパが言った。
 「俺らは今日、この牧師に会いに行くで」

 キング牧師のチャーチはアラバマ州モンゴメリーにあった。
 午前11時のサーヴィスに出席した後、チャーチの出口で人々を見送るキング牧師とパパが、しばらく話をしていた。

 ホテルへ戻ると、パパが子供たちに発表した。
 「俺、あの男はええ奴やと思う。
 あの男のメッセージも好きやわ。
 彼がプリーチング(説教)できるなら、俺らは音楽でメッセージを伝えられるはずやで」

 こうしてキング牧師と友達になったパパは、活動を共にするようになる。
 彼らは、キング牧師がスピーチをする前にフリーダムソングを演奏した。

 彼らの、音楽による公民権運動の始まりだった。

音楽の力

 彼らが入ることにより、講演会場がチャーチに変わった。
 スピーチだけではなく、音楽のある場所に人々は足を運んだ。
 彼らの音楽が、公民権運動を活発にし、そして継続させた。
 それは、キング牧師や、その他の活動家のモチベーションをあげることにもつながった。

 彼女は、キング牧師と活動できることをいつも誇りに思っていた。

 しかし、彼女が音楽の本当の力を実感したのは、キング牧師が亡くなった翌年、1969年の日本公演のときだった。
 彼らが歌い始めると、観客の中に、涙を流す者がいた。

 「歌の意味もわからないのに、なんで泣くの・・・???」

 そして気が付いた。
 音楽には、言語を超えたパワーがあるということに。

 「大切なことは、自分のハートから歌うことやで」
 パパがいつも言うことだ。
 彼女の心の声は、音楽を通して、世界中の人々に届けられる。

 キング牧師は亡くなったけれど、彼の意思を、音楽で引き継ぐことができることを、彼女は確信した。
  

その人物とは・・・


 The Staple Singers(ザ・ステイプル・シンガーズ)のMavis Staple(メイヴィス・ステイプル)で~す。

 

 The Staple SingersはパパのRoebuck”Pops”Staples(ローバック”ポップス”ステイプルズ)、Mavis(メイヴィス)、Pervis(パーヴィス)、Yvonne(イヴォーン)、そしてCleatha(クリーズ)で構成される。

 彼らの歌はゴスペルだけど、
「ゴスペル・・・よね?」
 とよく思う。
 ブルース、ソウル、カントリー、色々なテイストが感じられるからだ。

 これには理由がある。
 当初、The Staple Singersの演奏はポップスが弾くギターだけだった。
 ポップスがギターを独学で始めたのは、彼がミシシッピのコットンフィールドで働いていた頃だ。
 
 近所には、”デルタブルーズの父”と呼ばれるギターリスト、Charley Patton(チャーリー・パットン)や、後にシカゴで活躍するブルースマン、Howlin” Wolf(ハウリンウルフ)がいた。
 ポップスは、彼らと演奏する機会に恵まれ、彼らからギターを学んだ。

 ポップスは、ブルースギターで、ゴスペルを演奏していたのだ。

 上手に説明できないので、聞き比べてもらった方がわかりやすい。
 まずは、ファーストアルバムの”Uncloudy Day”。
 楽器はポップスのギターのみ。

 実は、このレコーディングのとき、スタジオの人々は賭けをしていた。
 Mavisのパートは、実はPavisが歌っているんじゃないかと人々は疑っていた。
 ティーンエイジャーの女の子の声だとは、思えなかったからだ。
 
 Mavisが、
 「Well…well...well...」
 と、あの低音で歌い始めたとき、勝敗が決まった。

 「1か月分の給料を賭けてたのに!!!」
 と、ひとりの男はMavisに、本気で怒りだした。
 「最初から賭けへんかったら良かったやん」
 と、ポップスがその通りのことを言って黙らせた。

 1968年と1969年にStaxレコードからリリースしたアルバムは、打って変わって、とってもファンキー。 
 ホーンセクションと、Staxのリズムセクションが入ったからだ。

 「The Staple Singersはゴスペルを歌わなくなった!」
 と言い出す人もいた。
 けれども、ポップスに迷いはない。
 「真実、平和、自由を歌っている限り、俺らの歌はゴスペルやで」

 ヒット曲のひとつ”Respect Yourself”は、たまらなくカッコいい。 

 この歌をリリースしたとき、道を歩いていたポップスのところに、2人のギャング、ブラック・ストーン・レンジャーのメンバーが駆け寄ってきた。

 「ポップス!Mavisがこの曲を歌ってくれてよかったわ~。
 俺はこれまで、自分のことを大切にしてなかってん。
 でも、この曲を聞いてから、バスでお年寄りが入ってきたら、席を譲るようになったで!」

 彼らの言葉を、ポップスは子供たちに伝えた。
 「これが、The Staple Singersがしてることやで。
 これこそ音楽のあるべき姿やねん」

ソウルを歌った!?!?

 ゴスペルだけを歌い続けたThe Staple Singersだけれど、実は、一度だけ例外がある。

 1975年、ビル・コズビーとシドニー・ポアティエの主演映画「Let's Do It Again」の主題歌を歌ったときだ。
 作詞作曲、プロデュースは、友人のカーティス・メイフィールドだ。

 「俺はゴスペルシンガーやで~。I like you ladyとか、素敵な髪だね・・・とか、言われへんよ~。勘弁してよ~」

 と言うポップを、カーティスが説得した。
 「ポップス!お願い!今回だけ!」

 「I like you lady・・・」

 ポップスが歌った瞬間、その場にいた全員が大はしゃぎ。
 とっても優しく、色っぽいので、是非聞いて欲しい。

 ママのこと、パパのこと

 
 ママは、家族の中で唯一、歌が下手だった。
 ママが歌いだすと、子供たちが、

 「やめて~!!!」

 と言うくらい、音程がはずれていた。
 
 歌は下手だったけれど、ママは素晴らしいクックだった。
 そして、家を訪れるすべての人のために腕をふるった。
 ママは、いつでも、誰でもウェルカムだったので、人々は”The Staplesのオープンキッチン”と呼んでいた。

 バックヤードに訪れるミュージシャンたちと、The staple singersをつないだのは、実は、ママの人柄と料理だった。

 しかし、Mavisはパパっ子だ。
 彼女は子供の頃からずーっとポップスと一緒だった。
 12歳のときに妹が生まれたときは、嫌で嫌で仕方がなかった。

 南部へツアーに行くと、人種差別を受けることもあった。
 警察に連行されたこともある。
 しかし、ポップスはいつも冷静に子供たちを守ってくれた。

 2000年12月19日、大好きなポップスが亡くなった。
 Mavisは、あまりの悲しさで鬱になり、歌えなくなってしまう。

復活


 ポップスを失くし、塞ぎこんでいたある日、Yvonneが言った。
 「ポップスは、あなたに歌い続けて欲しいんじゃないの?」

 ・・・そして思い出した。
 
 「神様に与えられた才能を使わなかったら、とりあげられるぞっ!」
 ポップスが、子供たちに言っていたことだ。

 ちょうどその頃、シカゴでは、白人居住地に引越した黒人ファミリーが、近所の人の嫌がらせにあい、翌日には追い出される出来事があった。
 ニューヨークでは、黒人男性が警察官に射殺される事件があった。
 無実の黒人が、終身刑で拘束されているニュースも聞いた。
 黒人の人種差別は、相変わらず続いている。

 私は、キング牧師とポップスのためにも、フリーダムソングを歌い続けなければならない!!!!!

 そして、彼女は再び立ち上がった!

 ・・・けれども、契約してくれるレコード会社が一向に現れない。

 アルバム制作をする際、Mavisはミュージシャンの支払い、スタジオ代など、すべての費用を自分で賄う。
 これは、レコード会社を信用しないポップスのやり方だ。
 売上げの、わずかなパーセンテージしか得られないため、どこのレコード会社もMavisと契約したがらない。

 いよいよ手売りか・・・と思い始めたときだ。
 シカゴのブルースレーベル、アリゲーター・レコードから、契約したいと連絡があった!
 オーナーのブルース・イグロアは、契約の際、彼女が自腹を切った制作費を全額払ってくれた。

 シカゴは彼女を見捨てなかった!!!

 そして、このアルバム”Have A Little Faith”で、Mavisは見事、復活を果たす。

 さすがはアリゲーター、ブルージーで、ゆったりとしたソウルも感じられるゴスペルアルバムに仕上がっている。

https://www.youtube.com/watch?v=I-9-46AbfQI

フリーダム

 
 2007年のことだ。
 ルーツロック、フォーク、ブルースミュージシャンのRy Cooder(ライ・クーダー)が、1950年代から60年代の公民権運動と、フリーダムをテーマにしたコンセプトアルバムをプロデュースすることになった。

 Ry Cooderは、過去5年間、すべてのプロデュースを断り続けていたけれど、Mavisのプロデュースならと、二つ返事で引き受けてくれた。

 そして、出来上がったアルバムが”We'll Never Turn Back(私たちは決して引き返さない)”
 トラディショナルなゴスペルソングが、Ry Cooderのギターによって、ブルージーなロックに生まれ変わった。

「俺たちはいつも、次の世代のために歌ってるねん」

 というポップスの言葉を思い出した。

 その翌年、彼女の人生で、最も素晴らしいことが起こった。

 アメリカ合衆国に、黒人大統領が誕生した!!!

 彼女が生きている間に、このようなことが起こるとは、夢にも思わなかった。
 Mavisは、自宅のテレビで当選セレモニーを観ながら涙した。

 
 キング牧師とポップスに見せてあげたかった。

喜び・・・そして戦い

 
「これまでシリアスな歌をいっぱい歌ってきた。
 これからは、人々の気持ちを明るく、ポジティブにする音楽を届けたい!!」
 2016年、Mavisは、これまでとは異なる、喜びと高揚感にあふれたアルバム”Livin' on a High Note”をリリースした。 

https://www.youtube.com/watch?v=Nnl0_NTOiqE

 ・・・けれども、喜びは続かなかった。

 オバマ政権が終わった2017年、トランプが大統領に就任した。

 「60年代に逆戻りしたみたいな気がする・・・。
 違いといえば、あの頃の白人至上主義者は、白い布をかぶって顔を隠していたけれど、今は、誰も顔を隠していないことやね・・・。

 あっちが顔を隠さないんだから、私も言いたいことを言う!!」

  そう・・・Mavisはファイターなのだ!!!

 そして、リリースされたアルバムが”If All Iwas Was Black” 

https://www.youtube.com/watch?v=TTgFZtu2ohk

 プロデューサーは、オルタナティヴ・カントリーロック・ミュージシャンのJeff Tweddy(ジェフ・トゥウィディ)だ。
 シカゴ出身の彼は、2010年、2013年にも彼女のアルバムをプロデュースしている。
 
 「私は、芸術そのものが、政治的声明だと考えている。現在、この国で起こっていることに立ち向かわないことは、共謀していることと同じなんだ」

 と話すTweddyは、1950年代から公民権運動をサポートしてきたMavisを、心からリスペクトする。

 このアルバムには、Mavisの希望が詰まっている。

 「現代には、キング牧師のようなリーダーが存在しない。
 だから皆が、タグを組んでがんばらなければならない。
 このアルバムは、人々をひとつにしてくれる。
 世界を変えてくれる。
 そう願って作った。
 それが私のやりたいことで、そんな私を誰も止めることはできない」

 現在、Mavisは83歳だ。
 
 人々が互いに手を取り、世界が変わることを願って、

 今もツアーへ行き、フリーダムソングを歌い続けている。

 最後に2022年4月の映像です。
 人々が、彼女のアルバム制作に協力する理由がわかる気がする。
 彼女はとてもフレンドリーで、明るく、そしてチャーミングなのだ。

 途中、Mavisが声でリズムをとる場面がある。
 ミシシッピのチャーチで彼女が聞いたゴスペルがそこにあった。


最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!