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【シリーズ第53回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

 あれは12月はじめだったかな。
 アパートのエントランスの脇に、大きな茶色いかたまりが転がっていた。
 よーく見ると、紙のようなものにくるまった、ホームレスのおじさんだった。
 眠っているようだ。
 起こさないように、そ~っと扉を開けて、建物の中に入った。
 扉の上には庇が、両脇には植木があるので、多少の風雨はしのげる。
 その日以降、そのおじさんは、毎日同じ場所に転がっていた。 

ホームレスおじさんは今日もエントランスで眠る

 しばらくしたある日、ホームレスおじさんは、2階と3階の間の踊り場に、場所を移した。
 外も寒くなってきたので、住民の誰かが、中に入れてあげたのだろうか?
 踊り場にいることなど予期せず、勢いよく階段を下りて行ったら、おじさんが寝ていたので、ちょっとびっくりした。
 自分の部屋と壁一枚のところまで来られると、ちょっと怖かった。
 けれども、おじさんは寝ているだけだ。
 そのまま眠っていてくれたら問題ないので、静か~に通り過ぎた。

 その日から、おじさんは日の高い時間だけ、踊り場で眠るようになった。
 音を立てないように階段を降り、3階に着いたところで踊り場を確認する。
 おじさんがいるときは、起こさないように、息を止めて通り過ぎた。
 
 1週間くらい経った頃だ。
 おじさんが、突然踊り場から消えた。
 マネージャーに見つかったのかもしれない。
 ビルディングはオートロックだし、不法侵入なので、マネージャーとしては、放置するわけにはいかない。
 
 それから数週間もしないうちに、シカゴに厳しい冬がやってきた。
 気温は零下10度以下。
 ある日の夜、夜中の2時頃に帰ってきた同居人が言った。

 「エントランスにホームレスがおったから中に入れてやってん。
 日が昇る前には出て行くように言うといた。
 お前が学校に行く頃にはおらんと思うけど、もしおったら、俺が出て行くように言うから起こしてな」

 きっと、あのホームレスおじさんだ。
 あまりの寒さに耐えきれず、庇と植木のあるエントランスに戻って来たに違いない。

 翌朝、そろそろと、様子をうかがいながら階段を下りて行った。
 建物の中にも外にもおじさんの姿はなかった。
 その日以降、ホームレスは再び姿を消した。

 この日まで、ホームレスは私にとって、まったく別世界の人だった。
 おじさんがエントランスにいようが、建物の中にいようが、危害を加えないなら、居場所を奪うようなことはしない。
 けれども、彼のポジションに自分を置き換えて、考えたことも、考えようとしたこともなかった。

 あの夜、彼が中に入れてあげなかったら、おじさんは凍死していた。
 あの日、夜中に帰って来たのが彼ではなく、私だったら、そんなことすら考えず、いつも通り、そ~っと通り過ぎていただろう。
 でも、これが子供だったり、身なりのいい、自分の生活圏にいるタイプの人だったら、

 「どうしたの?」

 と声をかけていたと思う。
 そして、ブランケットをあげたり、温かい飲み物をあげたり、事情によっては中に入れてあげたに違いない。

 身なりのいい、仕事のある人たちは、私にとって想像可能な近い存在だ。
 一方、ホームレスは、想像し難い。
 そこに至るまでの過程を考えてみる。
 とりあえず働けば、ホームレスは回避できるんじゃないの?・・・と思っていられるのは、心も身体も健康だからだ。
 万が一、病気で働けなくなった場合はどうか。
 私には家族がいる。
 短期的なら助けてくれそうな友人も、数人浮かぶ。
  
 けれども、健康な心身、家族、友人、このすべてがなかったらどうなるか?

 ・・・ホームレスだ!!!

 アメリカには、このすべてがない人が、日本に比べて多いと思う。
 たとえ家族や友人がいても、彼らも自分たちの生活で精いっぱいで、助けられない場合もある。
 
 移民、ドラッグ、人種差別、日本にはない理由がたくさんある。

 「親がドラッグ(アルコール)中毒でーす」

 と言われても、驚かない。
 ドラッグが原因で、仕事に就けない人もいる。
 ご飯を食べられないくらい貧しい家庭も珍しくない。
 黒人の場合は特に、自分たちの力ではどうしようもないことがたくさんある。

 ホームレスになるに至った背景、事情は、もちろんわからない。
 けれども、ホームレスになりたい人はいない。

 「大きくなったら、ホームレスになりたいです!」

 と答える子供はいないだろう。
 誰でも美味しい食事を頂きたいし、ふかふかのベッドで眠りたい。
 それをしないのは、したくないからじゃなくて、何かの事情でできないからだ。
 ホームレスか、ホームレスより悲惨な状況かで、ホームレスを選んだ人もいるかもしれない。

 アパートの住民のほとんどが黒人だ。
 金持ちはいない。
 彼らは、おじさんがアパートの前で寝ていても、踊り場で転がっていても、追い出さなかった。
 彼らは、おじさんが好きでホームレスになったわけではないこと、他人に危害を加えないことを、知っている。
 よく考えると、悪人だったらホームレスにならずに、ドラッグディーラーになっていたはずだ。

 同居人は、黒人のホームレスがいると、必ず小銭を恵んでいる。
 彼も、住民も、身なりのよいビジネスマンよりも、ホームレスになったおじさんの人生の方が、自分のそれと近いのだろう。
 経緯は知らなくとも、想像できる範囲、もしかしたら、明日は我が身と思っているのかもしれない。
 
 この国には、私には想像もできない人生を送っている人が、たくさんいる。
 想像できないことは仕方がない。
 けれども、想像ができないくらい自分が恵まれていること、そして、人それぞれ、事情があることだけは、常にわかっていたいな、と思った出来事だった。

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!