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【シリーズ第1回:黒人アーティストの人生】🎵ソウル(魂)を感じたい🎵


 このシリーズでは、私の大好きな黒人アーティスト、特に、1970年代、80年代に活躍したR&B、SOULミュージシャンを紹介しています。

・・・さて、誰でしょう🎵



さて、誰でしょう🎵

ヒント


  1. シンガーです。

  2. 作曲もします。

  3. プロデューサーでもあります。

  4. 映画にも出ました。

  5. ディープヴォイス

  6. セクシーの代名詞みたいな人

  7. とにかくカッコいい(個人的意見)。

生い立ち


 彼は1942年8月、テネシー州のコヴィントンという小さな町で生まれた。
 1歳半のときにママが他界し、彼と彼のステップシスターは、ママの両親に育てられる。
 パパのことは知らない。

 彼は、祖父母のコットンフィールドを毎日手伝った。
 そして、祖父母から、”働くこと”を学んだ。

 5歳からチャーチで歌いはじめる。
 オルガンやサックスを学んだのもこの頃だ。

 6歳のときにメンフィスへ引っ越しする。
 その5年後、おじいちゃんが亡くなり、ホームレスになる。寝泊まりは公園や車の中だった。
 ステップシスターとも離れ離れになる。
 
 ティーンエイジャーになった。
 やっぱり貧乏だった。
 食べ物もなければ、衣服もない。
 学校へ行っても空腹、帰ってきても空腹、ずっと空腹だった。
 靴はボロボロで、靴底には段ボールを貼り付けていた。
 お年頃の男の子だ。みすぼらしい姿が恥ずかしく、学校に行かなくなる。
 しかし、彼はとても優秀だった。
 事情を知った先生が、彼に衣類を準備してくれたほどだ。

 ある日、彼はタレントショウに出演する。
 彼が歌い終わると、女の子たちが駆け寄ってきた。

 「私たちのテーブルで、ランチを食べましょう!」

 「・・・・食べ物だ~!!!!!!」

 将来は、ドクターになりたかったけれど、急遽変更する。

 「俺はパフォーマーになる!!!」

 その後、彼はメンフィスの”Stax Records(スタックス・レコード)”で、セッションミュージシャンとして働き始める。

 

Stax時代

 Stax Recordsは、アメリカ南部、サザンソウルの発展に貢献したレコードレーベル。
 サザンソウルは、ブルースとゴスペルのテイストを色濃く残したサウンドで、少し泥臭く、そしてファンキー・・・といっても、これは私の感覚。
 人それぞれ感じ方が違うので、聞いて、感じていただくのが一番だと思う。

 例えば、彼が最初にセッションをしたアーティスト、Otis Redding(オーティス・レディング)。
 私をR&B、SOULミュージックの世界に引き込んだのも、Otis Reddingだった。

 このたら~んとした感じがたまらない。
 
 Sam &Dave(サム&デイヴ)もStaxの代表選手だ。 

 作詞作曲、プロデュースは、彼と、パートナーのDavid Porter(デイヴィッド・ポーター)だ。
 ゴスペルのテイストが、そこら中に散りばめられている。 

 こうして彼は、作曲家、プロデューサーとしても活躍し、Staxとサザンソウルの発展に欠かせない人物になる。

その人物とは・・・



 Isaac Hayes(アイザック・ヘイズ)でーす🎵


 

Hot Butter Soul(ホットバターソウル)

 彼自身の代表アルバムといえば、1969年にリリースされた”Hot Butter Soul”。
 スキンヘッド、ゴールドジュエリー、サングラスのイメージができたのもこの時だ。

 このアルバムには4曲が収録されている。
 1曲が長~く、Isaac Hayesワールドを堪能できるので、お時間があるときに、是非聞いてみて欲しいなぁ。

 最初の曲のオリジナルは、Dionne Warwick(ディオン・ウォーウィック)の「Walk On By」
 https://www.youtube.com/watch?v=vsGsCvJWEo8。

 オリジナルは3分だけれど、彼のヴァージョンは、なんと12分。
 オーケストラとホーンセクションの豪華で迫力満点な演奏をバックに、ソウルフルなエレキギターと、オルガンのサウンドが気持ちいい。
 後半の、ゴスペルテイストあふれるIssac Hayesのオルガンがたまらんです。

 Staxのファンキーなサウンドといえば、2曲目の「Hyperbolicsyllabicsesquedalymistic」(12分~)。
 絶対に発音できないタイトル。意味を調べたら、Isaac Hayesの曲と出てきた。
 ちなみにアルバムの演奏は、メンフィスのファンクバンド、The Bar-Kays(ザ・バー・ケイズ)だ。
 かっこいいぞ~。

 3曲目 は、「One Woman」(21分37秒~)。
 オーケストラとホーンセクションの演奏に、彼のディープであたたかい、語りかけるような歌声が重なり、聞く人を、幻想的な世界へと導いていく。
色っぽく、とっても心地良い。
 
 最後の「By The Time Get Phoenix」(26分45秒~)は、彼の語りで始まり、曲にたどりつくのは、なんと8分後だ。
 遠い~。
 けれども、教会のプリーチングのような彼の口調に、どんどん引き込まれていく。

Shaft(シャフト)

 1971年、映画「Shaft(邦題:黒いジャガー)」のサウンドトラック制作に携わり、翌年、アカデミー賞、グラミー賞、ゴールデン・グローブ賞などを受賞する。
 アカデミー賞の音楽部門を受賞した最初のアフリカンアメリカンだった。
 
 受賞曲は、「Theme From Shaft(邦題:黒いジャガーのテーマ)」。
 ワウペダル(うにゃうにゃしたサウンドを作るペダル)を使ったギターと、ハイファットのドラムからスタートする。 
 曲が始まった瞬間からカッコいい。

 同じ年、”Black Moses(ブラック・モーゼス)”というアルバムをリリースする。
https://www.youtube.com/watch?v=YB_hIb2j8yo

 Black Moses

 タイトルのBlack Mosesは、Staxの重役がつけた彼のニックネームだ。
 リーダー的な存在、人々に与える影響力、そして黒人男性の強さを象徴するたくましい肉体が、聖書のモーゼと重なったらしい。
 
 しかし、彼が体を鍛える理由は、ナルシチズムからではなかった。
 貧しく、恥ずかしい思いをして育った彼は、自分に自信がなかった。
 たくましい肉体美、サプリメント、そしてサングラスは、恥ずかしさをカバーする、彼のプロテクションだった。

 そして女性を手に入れるには、お金が必要だと信じていた。
 そんな彼のイメージカラーはゴールドだ。ゴールドのアクセサリー、車はゴールドカラーのキャデラックだ。

 しかし彼は、稼いだ金を、自分以外の人々にもばらまいた。
 貧困を知る彼は、黒人コミュニティのために、特に、将来を担う子供たちのためにその金を使った。

 「立ち上がるチャンスがないことが何よりもつらい!」
 「成功の鍵は教育だ!」
 
 彼は学生ローンの支援をしたり、クリスマスには養護施設の子供たちにプレゼントを届けた。

 ある日、彼のことを昔から知る、近所の人が言った。

 「俺たちは、お前のことを誇りに思ってる。お前がしたことを、俺たちもできたら良かったけれど、俺たちにはできなかった。ありがとう」

 嬉しかった。
 彼は、Black Mosesというニックネームを、黒人の誇り、プライドの象徴としてとらえようと決めた。

破産

 しかし、良い時代は続かない。
 Staxの経営が悪化すると、レーベルや従業員の給料をサポートしていた彼も、もれなく借金まみれになる。
 返済を求めても、Staxには返済能力はない。

 1976年、彼は600万ドル(約8億円)の借金を背負い、破産宣告をする。
 これに伴い、彼の家はもちろん、バイク、ゴールドキャデラック、テレビや電話、そして彼が作曲、プロデュースした音楽のロイヤリティなど、すべてを失う。

 「俺みたいにすべてを失って、橋から飛び降りる人もいると思う。
 でも、失ったのは物だけで、才能は失っていない。
 スタートに逆戻りしただけや。
 生まれたときからすべてを持っている人はつらいと思う。
 それでも、飛び降りたらあかん」

 彼からのメッセージだ。

Issac Hayesの大きな愛


 破産後、彼はポリドールレコードから、Dionne Warwickとデュオのアルバムをリリースする。
 音楽活動はもちろん、「Escape From New York(邦題:ニューヨーク1997)」などの映画への出演、TVアニメーションで声優としてキャスティングされるなど、再び活動を広げていく。
 
 経済状況が回復すると、支援活動も復活した。

 彼が破産したとき、彼に手を差し伸べる人はおらず、当時のワイフは、
 「世界を救うことはできないと気付いたんじゃないかしら?」
 と思った。

 けれども、彼はやっぱりIsaac Hayesだった。
 彼は見返りなど求めていない。

 1990年、彼はアフリカのガーナへ行き、子供たちへの支援、AIDSやヘルスケアのサポートを開始する。

 2005年、ガーナで出会った女性、アジョワと三度目の結婚をする。

 彼は亡くなるまでに3人の女性と結婚し、7人の女性との間に14人の子供をもうけた。

 2005年のサンクスギヴィングは、
 「パパの弱点は女性」
 と笑う彼の子供たち、孫、2人の元妻、現在の妻、全員が集まり、皆で祝った。

 大きな愛を与え続ける、Issac Hayesならではのエピソードだ。

最後に・・・

 Isaac Hayesは、2008年8月10日に脳梗塞で亡くなる。
 65歳だった。

 最後に、ドキュメンタリー映画、Wattstax(ワッツタックス)の映像です。
 1965年、ロスアンジェルスのWatts市で大きな暴動が起こった。
 暴動から7年が経った1972年8月20日、StaxはWattsの人々を元気づけ、称えるために、このコンサートを企画した。
 Staxのアーティストが続々と登場した後、トリを飾るのは、もちろんIsaac Hayesだ。
 Shaftのテーマ曲から始まるけれど、このビデオは登場場面から見て欲しいなぁ。 
 2曲目の”Soulsville(ソウルスヴィル)”では、その歌詞に合わせて、黒人街の様子が映し出される。

 ショウの終わりに、MCのジェシー・ジャクソンが、

「I am somebody!!!」

 のスピーチをする(I am somebody の詩)。

 奴隷だった彼ら黒人は、この国で大切にされることがなかった。
 殺されても構わない生き物として扱われた。
 彼らの多くが自分の価値がわからず、自分自身を見失っていた。

「I am somebody!!!」

 父親を知らないIsaac Hayesが、14人の子供たちに教えてきたことだ。

「I am somebody!!!」

「私は貧乏かもしれない・・・

 それでも価値のある、ひとりの人間なんだ(I am somebody )!!」

「私は特別な技術を持っていないかもしれない・・・

 でも、他の人と同じように、ひとりの大切にされるべき人間なんだ(I am somebody )!!」

「私は美しく・・・誇り高い黒人だ!!」

「私は敬われるべき存在なんだ!!」

「私は神の子だ!!」

「I am somebody !!」

 Isaac Hayesは音楽を通して、黒人の強さ、美しさ、そして誇り高く生きることを、ブラザーとシスターたちに伝え続けた。

「I am somebody !!!」
 

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!