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20分で書く文章の魔法:構成か自由か?

20分で記事を書こうと決めて取り組んで気がついた事がある。

20分くらいでさらさらとかけた時と、書けなかった時の違いに気がついた。

かけた時は自由に赴くままにかいている。

書けなかった時は最初に構成を考えて、目次を作ってから書いている。

これにはびっくりした。

だって20分という短時間に書き切るために、構成を作って、余った時間で肉付けしていけば良いと思っていた。
20分で書き切るための方法論として実践したにもかかわらず、その方がうまくいかないことの方が多かったのである。2倍、3倍と時間がかかっていた。

なぜ時間がかかったのか、考えてみると理由がある。

最初に構造を作っておくと、そこに肉付けしていく際、キーボードを叩く指が重く感じることがある。「こんな方向性で書こうね」と自分で決めた形に沿わせようと、いざ書き始めると、もうそっちに行きたくなくなっている自分がいることに気がついた。

行きたくない方向に、がんばって行こうとすると、時間がかかる。重い指を無理に動かすから。

でも構造を先に決めていない時は、「こんな方向で書こう」と決めて書き出すけど、文章の中に柱を作ってから書くのと違って、指の赴くままに書くことができる。すると、自分でも思いもよらなかった場所に到着したりするけれど、割と説得力を持って辿り着くことができるような感じがする。

そういう文章の方が、読み返して、なんとなくうまく書けたような気がするし、時間もかからない。


ふ、と思い出したことがある。

宮﨑駿さんは、映画の設計図である絵コンテを、大体こんな感じでいこうねっていうのだけ決めて、ストーリーの詳細な構造を決めずに作り始める。

宮崎さんが絵コンテを4分の1程度描き進めた段階で、映画作りも本格的に始動する(全部描き切るまで待っていたら、制作が終わらないからだ)。

作っている製作陣も、宮崎さん本人すら、映画がどう進んでいくのかわかっていないのである。

「もののけ姫はこうして生まれた」の中でインタビュアーになぜそのような方法で映画を作るのかを問われた際に、宮崎さんが答えていた。

詳細な物語設計なんかを全部決めてから作り出したこともある。だけど結局作っているうちに、変わっていってしまう。全部作り直しになってしまう。作り出さないとわからないことがある。大事なのはいかに説得力をもって終点にたどり着くかということだから、絵コンテが完成しないまま、作り出すというのは自分なりの効率的な方法なんだ。

というようなことを話されていた。

それを思い出して、ああわかるなぁと思った。それで、ちょっと嬉しくなった。私は宮﨑駿さんが大好きなのだ。

(完成まで24:00)



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