シロクマ文芸部 掌編小説「月を吸う」
月の色が一瞬、赤く膨れて、現れ、
俺の無意識な瞬きの間に
薄い雲を靡かせながら、
また白々しく
綺麗な満月の装いに戻っていった。
俺には金がなかった。
数多のギャンブルに
口座ごと焼き尽くされてしまったのだ。
何回目の全焼だろう。
しかし今月は特に負けに負け
給料日までまだ10日余りも残っている。
空腹で眠れず
深い夜の小さな公園のベンチに腰掛けた俺は
ポケットの中でくしゃくしゃになった
タバコの空き箱を未練がましく弄っていると、
そんな俺の醜態を晒すように
頭上から月光が降り注いでいるのに気付いた。
あまりに綺麗な満月が
流れの速い雲のまにまに顔を覗かせてはまた隠れ、
その妙なよそよそしさに
俺は煩わしさを覚えると
今度は道連れのため、
月を吸ってやろうと奮い立った。
ベンチに仰向けになって
人差し指と中指の間に満月を挟むと
そのままゆっくりと口元へ近づけ、
顎を少し上げながら
俺は思いきり息を吸い込んだ。
「おい!そこで何をしている!」
静かな月夜に響き渡った怒号と共に
月の光より鋭利な懐中電灯の光が
俺に向けられた。
その眩しさに一瞬怯むと
「動くな!」と2人の警官が俺の方に近寄ってくる。
「一体何なんです!?」
突然の出来事に俺は半ばパニックに陥りながら
警官に向かってそう叫ぶと、
そのあまりに腑抜けた声と表情に
警官は少し安堵したのか、落ち着いた口調に戻って
「たった今、強盗の通報が入ったんだ。」
とベンチに座る俺の前に立った。
「そうなんですか。でも、俺じゃありませんよ。」
「じゃあ、今一体何をしていたんだ?何か、不審な動きに見えたんだが。」
警官の問いに俺は少し躊躇ってから
「いや、タバコを買うお金もないんで、紛らわすために月を吸っていました。」
と正直に答えると
警官は緩んだ緊張感をまた張り直したかのような態度になって
「何を言ってるんだ?」
と重々しく口を開いた。
月を吸う、
と言ったばかりに
話しはややこしさを増し、
取り調べのため、
警察署まで連れて行かれた。
月を吸っていた、
なんて何故俺は言ったのだろうか。
結果的には容疑は晴れたが、
あの時適当に誤魔化しておけば
あんな執拗な取り調べはなかったかもしれない。
だが、俺は確かに月を吸ったのだ。
人差し指と中指の間に挟んだ月を吸い込んだとき
月が一瞬赤く燃え上がり
タバコを吸った時のような
高揚感が肺の中で広がったのだ。
警官に嘘はつけない。
いや俺の中であの光景を
確かなものにするために
明らかなものにするために
そう言ったんだ。
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