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子どもの本来の力

『こども』という言葉は、“人間や動物の親から生まれたもの”を表す『こ』に”複数”を表す言葉『ども』が付いたものです。昔は『こども』という漢字がいくつもあったそうですが、明治時代以降は、現在の漢字の『子供』に統一されました。この『子供』の『供』という字ですが、いわゆる“当て字”で特別な意味を持たないそうです。

子どもは、関わればかかわるほど、人間としての逞しさと生きる力をもっていることが感じ取れます。
始終の坊主です。

私たちは、「子ども」といえば非力で、一人では生きていけなく、助けてあげなければならない、か弱い存在ではないでしょうか?

よちよち歩きが精いっぱいの赤ちゃんが、泣きながらしっかりとブロックの上で力強く直立していたのです。
ブロックからおろした時には、また立つことが不安定な赤ちゃんに戻っていました。

その時に、「子ども=か弱い」という考えに疑問を持つこととなりました。

その出来事から、さまざま書籍や海外の研究、講演会を聞くことで一つの答えにたどり着きました。
直立した赤ちゃんの姿を思い出しながら、自分の中ではっきりと「子どもたちは生きようとしている」ことを実感したのです。

子どもたちは、生きようとしているんです!
力が非力であろうとそれを武器にして、泣くことで注意を惹き、笑顔で大人たちを虜にする。
小さな頭で、大人たちの顔色を窺い、心の様を見透かし、子どもという大人の価値観に身をひそめながら、生きることに精一杯、それこそ命をかけて過ごしているのです。

ですから、私たちは子どもだからと言って、子どもたちから選択肢を奪い
価値観を押し付け、私たちが描いた「こども」の姿に矯正することはやめて

こどもにリスペクトを持ち、子どもという可能性を広げられる関わり合いを持つことで、子ども本来の力を引き出すことが、私たち大人の仕事ではないかと思います。

先人たちはすでにそのことに気が付き実践していました。
今こそ「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」を一人でも多くの子どもたちへ体験させるべく

今日もかかわりあっています。         合掌

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