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「側室をどうする!」~瀬名の苦しみとお葉のキャラ設定との関係~

はじめに
 「どうする家康」第10回は、お葉、こと西郡局のキャラクターが際立っていました。彼女は鵜殿長忠の娘として側室になりましたが、家臣の加藤義広の娘を養女にしたとも言われ出自は不確か。だから田鶴の方との縁戚関係を避け、話を複雑にしなかったのは正解でしょう。
 とはいえ、督姫しか産んでいない史実を逆手に自由に発想を広げ、同性愛者だったとしたのは多くの人が驚いたことでしょう。
 何故、お葉をこのようなキャラクターにしたのか。そこに今回のテーマと今後に向けた種まきが見えてきます。今回は、その点について見ていきましょう。

1.主役は瀬名!
 美代を守綱から救うイケメンぶり、猪殺し&捌きの豪快さ、四角四面な動き、閨での家康との攻防(笑)、などお葉の言動のインパクトのせいで見過ごしがちになりますが、第10回で焦点が当たっているのはお葉ではなく、家康の正室、瀬名です。

 オープニング後、蝶を追っていくと瀬名が独りで佇んでいます。今まで彼女の周りにいた竹千代も亀姫もいません。そこは築山、三河一向一揆での経験を踏まえ、彼女なりに民の声に耳を傾けようと家康から賜った場所です。従来説を取らず、瀬名自らの前向きの判断による善意によって築山に居を構えたことになります。
 民の声に耳を傾けるのは「家臣と民」が守るべきものだと言う家康の弁を引き継いでのものですが、一方で子どもたちが自分の手を離れたことも大きく作用しているでしょう。両親と共に故郷を失った瀬名は三河で生きていく他ありません。子どもが手を離れた今、正室としての自分の役割を新たに模索しているのです。その善意と必死さが、「誰でも来てよい」築山邸という場所を作ったのです。

 さて、この愛妻の元を家康が訪れます。ここでのやり取りは注目すべきことがいくつもあります。まず、瀬名は聞き取った民の声を家康に伝えるのですが、彼は愛妻の元でくつろげる喜びで上の空です。三河一向一揆編での的確な苦言でも分かりますが、彼女は守られるか弱い妻ではなく、家康と共に三河を盛り立てていく同士としての力も十二分に持っています。しかし、その部分は家康に求められることはなく寧ろ敬遠されました。家康にとっては、あくまで守るべき可愛い妻でしかありません。家康はとても優しく大切にしてくれる人ですが、どこかで瀬名を理解していない夫なのです。
 「聞いてくれてもいいのに」というような瀬名の諦めにも似た穏やかな対応ゆえに前々回のように衝突することは少ないですが、二人の間にはわずかに隙間風が吹いています。三河一向一揆で露呈した夫婦間の溝は、前回ラストでひとまず収まりはしたものの完全には埋まっていないのです。その上、子どもたちもここにはいません。民たちの来訪は多くても彼女自身は民にはなれません、存外、瀬名は孤独です。

 また築山には基本的に主だった家臣たちが来ていません。坂井忠次以外のレギュラー家臣を登場させないことで、松平家家中の瀬名が何気に孤独であることを強調しているのです。更に彼女が、心の底から大笑いしていたのはよりによって秀吉と会っていたときだけです。ここにも彼女の孤独が表れていますし、家康にとって最も信用がならないこの男を招き入れてしまう瀬名の心の隙でもあります。

 因みに来訪者の築山屋敷の「誰でも来てよい」状態に家康は警戒すべき、来るものの素性を知るべきだと軽く注意をしているシーン。結局、来訪者は強引、横暴の於大の方だったため夫婦揃って渋面になるというユーモアにしていますが、実は不穏の種だったりします。
 というのも、後年、築山殿が武田との内通を疑われる件は「歩き巫女」の存在があります…となると誰がここを訪れるのか?劇中には既に言葉巧みに人心を操る歩き巫女が登場していますね。秀吉の件でもお話したとおり、無防備な築山に住む孤独な瀬名には心の隙があるのです。
 だから、このシーンは、民の声を聞くという瀬名の善意が危機を招くかもしれないと示唆する伏線の可能性があります。穏やかに見える築山での序盤に不穏な空気が混ざっていて、箸休めの回だと安心させてくれません。


2.瀬名の生きづらさ

 そのように内心孤独を抱える瀬名の元に突如降りかかるのが、今回の話のメインである側室選びです。瀬名はかなり能力の高い女性です。心穏やかでも主張すべきところはきちんとする芯の強さ、嫡男を産み、家康の顔を立て、彼の健康にも留意し、家臣や民の気持ちを慮る(一向一揆編で描かれています)、然したる落ち度は見当たりません(奥向きは人任せですが)。

 そのハイスペック瀬名に、三人目が生まれないことを理由に「おなごとして、しまいということじゃ」と突き付け、「もっと、こうポンポン、ポンポン産むおなごをめとりなされ」と側室を持つことを提案する於大の方の言い様は、彼女の存在を全否定していることに他なりません。普段、穏やかな瀬名が於大の方に殴りかかろうとするほどに怒りに震えるのは当然です。側室を「見繕ってしんぜましょう」と言われたときの、瀬名の絶望的な表情を有村架純さんが丁寧に演じています。

 勿論、於大の方はかなりぶっちゃけすぎているものの全く悪気はなく、松平家のために言っているに過ぎません。つまり当時の感覚を分かりやすく語っているだけですが、それだけに瀬名をとおして、「女性は子どもを産む道具」というリスキーを女性たちに強いる「生きづらさ」へとよりくっきりと焦点が当たっていきます。

 まして、冒頭で見たように「民の声を聞き、家康に届ける」という出産、子育て以外の自分のやりがいや役割を見出しつつある瀬名です。それを認めてもらえないことはなお辛い思いがするはずです(現代的な働く女性の心情に近いものとして描いているかもしれません)。
 つまり、当時の常識であったにしても、そこに生きる女性たちも、産むことだけで自分の価値を語られたくはないし、また家のためでも他の女性が夫といることに心穏やかでいられないだろう、そうした現代人的とも思える普通の感情が今回の話の軸になります。


3.瀬名の苦悩を浮き彫りにするお葉のキャラクター設定

 さて、奥向きを預かる正妻という役割意識、また全く知らない女性に家康を任せたくないという個人的な想いから、自ら側室選びをする瀬名。ハイスペックな彼女のお眼鏡にかなう、同性として仕方がないと思える女性は、当然ハイスペックな女性にならざるを得ません。ここで彼女が、家康がビビッて出来なかった猪殺しをするお葉を見た瞬間に側室として見初めたくだりが興味深い。それを観た瞬間、瀬名は「カッコいい!」「我が意を得たり」という表情をします。

 ここでお葉が見せたのは勇ましさと果断さです。そして、その後、素性を聞けば鵜殿家で血統も良く、更に非常に気配りの利く人間であることも分かり、側室はお葉でなければ嫌なんじゃとまで宣い土下座します。つまり、瀬名が側室に選んだ女性とは、夫、家康にはない力強さと目立たずに家康に気配りをする能力を持つ人間だったのです。勿論、これらは瀬名も持っていない能力です。自分にはない、自分が羨む能力を持つ人間を選びました。したがって、瀬名にとっての側室選びは、自分自身のコンプレックスと家康への不満とがない交ぜになった切実な思いの裏返しだったのです。

 言い方を替えるなら、今回の側室になるキャラクターの条件は、まず瀬名という女性が惚れこめる女性であること、家康とは違う魅力を持つことだったということです。お葉はレズビアンだから男性っぽさを持たされていたのではなく、あくまで瀬名が選んでもおかしくない、寧ろ羨むスペックであること、そして瀬名の側室選びで抱える辛さと不満を表現するために、こうしたキャラクターを持たされているのです。そして、女性である瀬名が惚れこむ女性であったこと、これが結末の伏線にもなっています。


4.家康とのやり取りに見る夫婦の不和

 さてユーモアがふんだんに盛り込まれた紆余曲折があって、お葉はおふう(督姫)を産みますが、瀬名についてはその後の家康とのやり取りが注目ポイントですね。

 ここで家康はウキウキしながら側室の元に渡る許可を瀬名に得ようとします。当人は瀬名の嫌がることをしないための配慮と思い込んでいますが、これはあまりにも無神経。家康が、松本潤くんでなかったら、ぶん殴る視聴者もいそうです。
 瀬名にしてみれば、正室という奥向きを取り仕切る立場、しかも自ら選んだ側室ですから、最初から否定することはできません。既に側室の自慢話を無邪気にする夫にやるせない表情をしていた瀬名の顔はどんどん曇り、憤懣やるかたない様子になります。
 自分が招いてしまった側室、しかも自分にはないものを持つ側室、お葉に全く罪はないけれど、それでも膨れ上がる嫉妬とそういう自分が正室としてどうなのかという葛藤。そして、そんな自分を理解しない無神経な夫への不満。しかし、それは誰にも見せてはいけないし、見せてはいけないという孤独。それら全てを含み込む有村架純さんの細やかな演技が光ります。

 しかし、それでも最近、渡り過ぎではないかと揶揄するに留める瀬名に視聴者だけは心を痛めます。そう、視聴者だけが瀬名の気持ちが分かるのです。この場面の演出的な巧さは、薬湯を作るため茶釜に向かっている瀬名を画面正面に置き、家康はその背後にいるという構図にあります。家康は瀬名の辛さも葛藤も全く見えず、ひたすら無邪気に喋りまくります。常に二人の思いは交わらないのです。
 つまり、この構図は、家康と瀬名が夫婦として向き合えていない、腹を割って本音を話すことができない関係であることを端的に説明するものにもなっているのです。今後の彼らの関係を予感させる不穏さを持っています。

 ただ、こうしたある人が配偶者の思いに全く気付かず善意で最低のことをしてくるというのは夫婦あるあるでしょうが、戦国時代らしくはないかもしれません。その意味では夫婦関係自体が、視聴者寄りに作られているとは思います。そこは評価の分かれ目かもしれません。

5.お葉の言葉に癒される瀬名
 結局、今回の側室問題は、お葉がレズビアンであったこと、思い人の女性がいること、その告白を受けて終局に向かいます。「吐き気が…」とまで言われ「そんなに…」と答える家康…瀬名への無神経を考えれば、これくらいの天罰はあっても良い気はしますね(笑)その後、自分の内にしまっておくことで済ます判断をしたのは家康の生来の優しさです。今回いいとこ無しの彼ですが、ここだけは皆さんも褒めてあげましょう。

 さて、家康は、ことの顛末を瀬名に報告するとき、お葉は「小柄で控えめで、か弱そうに見えて実は芯が強い」女性が好みだと伝えます。瀬名は自身が女性の生きづらさを知るだけにお葉に生きづらさを強いたことには悔いがあります(頭の良い瀬名が気づけないとしたら同性愛の設定しかなかったでしょう、その点も瀬名を考慮していますね)。

 その上で何故、彼女が嫌で嫌で仕方がない側室を引き受けたのか、その理由が「瀬名がお葉の好みだったから」だと気づくのです。ここには二つの意味がありそうです。一つは、コンプレックスを感じるほどに自分が惚れこんだ女性が、瀬名自身が自認する瀬名の良さに気づいてくれたことです。今回、側室選びで傷つけられまくった彼女の自尊心を回復させるには十分なものだったに違いありません。彼女はこのままでいいと言われたようなものだからです。
 そして、もう一つは、家康の側室が家康よりも自分を好いてくれたということ。夫よりも自分のが魅力的だったことは、家康に対する秘かな意趣返しになりますから。こんなことは家康には言えませんから、笑うだけです。そして、側室問題が振り出しに戻り、その心配がしばらく無くなったことに安堵するのです。

 このように、瀬名の女性としての生きづらさと苦悩に焦点をあて、それをお葉という女性の生きづらさというフィルターをとおして描いたのが、第10回「側室をどうする!」という話でした。
 この第10回に瀬名を主役にした話が入ったのは、今後の悲劇を想定してのことでしょう。棚上げになった側室問題も、すぐにお万の方が控えています。松井玲奈さんが演じるようですから、家康の鼻の下が伸びまくるのは明白です。一目見ただけの清水あいりさんに対してすらあのざまですから。また次回からは、瀬名の幼馴染の親友、田鶴の方との戦いが家康には待っています。家康と瀬名、夫婦の危機は、これから風雲急を告げます。そのための地ならしと種まきが今回なされたのです。

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