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光る君へ」第26回 「いけにえの姫」 夫婦の危機で露わになる価値観の相違

はじめに
 パートナーを選ぶ一番の条件はなんでしょうか。ティーンエイジャーから20代前半くらいですと、ルックスであったり、学歴であったり、収入であったり、それらすべて兼ね備えたハイスペックを望むことを求めがちです。そして、年を経るごとにそれがどれだけ身の程知らずだったか、を知り、徐々にそうした外形的な条件は削げ、「優しい」「楽しい」など内面的なものへ移っていき、その結果、行きつくのが「価値観が合う」…というのがよくあるパターンですね(笑)

 しかし、「価値観」とはなんでしょうか。例えば、金銭感覚は最重要の価値観だと言えますが、それだけではパートナーを選ぶのは味気ないですね。それでは、笑いのポイントが同じでしょうか、それとも会話のテンポが合うこと?趣味が同じこと?etc…どれも大切なものではありますが、決定的ではありません。強いて言うならば、そのすべてだということになるのではないでしょうか。となると、ここで言う「価値観」とは、様々な好き嫌いの基準を総合したものということになるでしょう。

 では、自分と好き嫌いの基準がすべて同じ人など存在しているでしょうか。親族、友人など見回してもまずいないでしょう。あるいは、同じ趣味ならばどうでしょうか。おそらくは、個々で楽しむポイントや目指す方向性が違います。趣味話で盛り上がったとしても、何となく合うポイントだけで盛り上がっているだけです。
 となると、パートナーの条件として、よくあげられる「価値観が合う」というのは、実は不可能に近い、恐ろしく難しい条件を出していると言えるでしょう。つまり、厳密に「価値観の合う」人を探し続ける夢追い人は、永遠に相手を見つけられないまま終わります。

 したがって、「まあまあ価値観が合っているような気がする人」という曖昧な妥協にならざるを得ません。特別、モテなくても、恋人の途切れない人という人が世の中にいますが、それは「とりあえず付き合ってみよう」「このあたりでよいか」という判断がサラリとできるからでしょうね。
 ただ、当然、実際は細かく価値観が違うので、より妥協するか、あるいは衝突の末に決着をつけるということになります。既婚の友人、知人たちからは、結婚当初、スリッパの置く位置、またはタオルの畳み方で大喧嘩になったという話を聞くことがたびたびありました。つまらないことと思いがちですが、生活習慣はその人の人生を支えた文化そのものです。ですから、価値観そのものの争いになってしまうことは不思議ではありません。

 このように見ていくと、結婚とは、文化の違う、価値観の違うもの同士が共に新たな生活を築くことだと言えるでしょう。となれば、必要なことは価値観の合うところを探すのではなく、お互いの価値観が違うことを許し合えるかどうかが鍵になってきます。そして、それがお互いを理解するということの一面でもあるのでしょう。とはいえ、私は独身なので、耳半分で聞いてください(笑←

 さて、「彰子入内」という政治生命の岐路となる難問、そして当の彰子のなんとも不可思議なキャラクターのインパクトのおかげで見逃されがちですが、今回、道長が直面した中で一番の難事は、倫子との夫婦関係でした。そして、新婚のまひろの側は、「源氏物語」にて嫡妻に灰を投げつけられた髭黒を彷彿させる宣孝の無様なビジュアルに象徴されるように盛大な夫婦喧嘩をやらかし、犬も食わぬ状態です。まひろと道長は、それぞれに夫婦間の溝に直面したのです。
 そこで今回は、それぞれの夫婦に横たわる価値観の相違について注目しながら、まひろと道長の悩みについて考えてみましょう。

1.外堀を埋められていく道長の苦悩
(1)晴明に覚悟を促される道長
 タイトル後は、日食と地震が同時に起こる大天災の後、晴明から献上された天文密奏を見た帝が「朕のせいなのか…」と落胆するところから始まります。天文密奏は劇中で説明があったように、異常な天文現象に対して、その事実を天文学と占星術によって分析した結果を記し、帝へ内々に出される報告書です。これは天の動きは国家を象徴するため、その異変は国政の異変の前兆と捉えられていたからです。したがって、帝は天子ですから、天文現象から天の意思を汲み取り、政に活かすことが使命と言えるでしょう。
 因みに本来、陰陽頭が提出するものですが、非常時は天文博士自ら奏上したとも言われるため、この場に晴明がいるのは当然です。天文密奏が実際にどれほど政治的に影響したかはわかりませんが、密奏の性質上は、国家の行く末を決める指針になりかねないものと言えます。

 かつて晴明は「我が命が終わればば、この国の未来も閉ざされましょう」(第5回)と兼家に言い放ちましたが、こうした仕事が国の将来を決めると自負するからでしょう。また天文密奏は淡々とした分析を書いたものですが、そこに今の政への批判を織り込むことも可能でしょう。そうなると、これは晴明なりの帝への諫言とも取れます。天変地異が自身のせいと悟った帝の落胆を見れば、帝の言葉に晴明が黙して語らずというのは当然でしょう。帝に現実を見せる、諫言するという目的は密奏で達せられましたから、これ以上話す必要はないのです。

 ただ、これが一条帝を政へ再び邁進させる効果があるかと言われると、彼の表情、その後の譲位をほのめかす言動から見て、かえって逆効果かもしれません。彼は内裏には戻ってきたものの生気はありません。後の場面で薬師が通うなど体調が思わしくない様子も窺えますが、精神的なものでしょう。
以前のnote記事でも、定子への執着は定子への深い愛情だけではなく、定子を追い詰めた自らの政への悲観があると触れましたが、彼は政そのものに向き合いたくないのだと思われます。定子はその逃げ場所でもあるのでしょう。

 そのことは後の場面で行成に「朕が政を疎かにしたせいで、多くの民が命を失った。このままでよいとは思えぬ…」と憂いたときにも顕著に表れます。彼は「責めを追って譲位し、中宮と一緒に静かに暮らしたい」と責任論を口にするのですが、そのとき、定子との穏やかな生活を前に微かな笑みを浮かべてしまいます。彼の言う譲位は、責任を取るよりも、定子との愛の生活に溺れることにあります。こうした彼の言動が、周囲に定子を「傾国の中宮」(実資)と言わせて、追い込んでいるのですが、彼は気づきません。
 だからこそ行成は「たとえ譲位なさろうとも今のまま中宮さまをご寵愛あそばせば、中宮さまのお立場も、修子内親王さまのお立場も危うくなります」と、その思い違いの問題を正します。

 このように自信を失い、現実逃避で自己保身を計る今の帝には、自身のミスの大きさ、不甲斐なさを直視することは耐え難いく、かえって厭世観は高まると察せられます。今の一条帝の心の闇は深く、払うのは生半可ではなさそうです。一条帝の御代には荒療治が必要なのです。晴明は、その辺りも帝の反応から見て取り、道長に進言をすることになります。

 帝の厭世的態度、その泥を被るのは、結局、実務に携わる道長です。建物の倒壊など都の死者が100人を超えるとの報告に道長は危機感を募らせます。彼の握る書類にも、鴨川社、二条大路、四条大路、 七条大路など各所の被害が記されています。特に宣孝支配の山城国、その水損田の被害が「卅六町」以上という記述はかなり具体的で目を引きます。1町3000坪(1万㎡)は、大体、野球場のグラウンドぐらい。その36個分の広さの田畑が被害にあっているのです。
 道長は深刻な表情をしつつも「人夫を増やして、まずは堤を急ぎ築き直せと山城守と検非違使に伝えよ」と迅速な対応に出ます。ここで大雨になれば、更なる災害が予測されるからです。因みにここで言う山城守とは、宣孝のことです。彼は右衛門権佐(検非違使のナンバー2)を兼任していたので、検非違使と共に動くよう差配したのです。理にかなった指示で、決してまひろを取った宣孝への嫌がらせではありません(笑)

 そして、道長の勘通りに降る大雨の中、収まる気配のない天災に業を煮やした道長は、自ら陰陽寮の晴明を尋ね「天変地異はいつまでつづくのだ?お前の見立てを聞かせてくれ」とストレートに聞きます。晴明は、いつものごとく小首を傾げて道長の顔を窺うように「帝の心の乱れが収まれば、天変地異もおさまります」と、先日の「帝を諫めたてまつり、国が傾くことを妨げるお方は左大臣様しかおられませぬ」(第25回)に類する返答をします。時折、晴明が、見せる小首を傾げる仕草は、事態に対する言動から為政者の人相を観察しているのでしょうね。人は難しい局面になればなるほど本性が表れます。そして、その為政者をどういう形で支えるかが、晴明の「この国の未来」を見定める晴明の使命なのでしょう。

 晴明の前回同様の答えに道長は渋い顔をしながらも、「中宮さまのもとに昼間からお渡りになり、政を疎かになさっていることは先日お諌めいたした」とやるべきことをやったぞと、その先の対策を促します。すると、晴明は「天地の気の流れを変え、帝の御心を正しきところにお戻しするしかございませんな」と、最早、諫言ではなく、実力行使に出るときであると告げます。道長を注視する表情のまま、首をすっと真っ直ぐにするあたりに彼が、道長を試すのではなく、事実を伝えようとしているのが窺えます。

 晴明は「いかがすればよい?」と聞く道長に対して、いつもの煙に巻く言い方はせず「左大臣さまはよきものをお持ちと申しました。よきものとは左大臣様の一の姫・彰子さまにございます」と答え合わせの答えを明言しました。遂に彰子入内を口にした晴明の横顔のアップから切り返すように道長の横顔のアップへ移るだけでも、対決しているかのような緊張感が演出されますが、そのバックには大雨のせいか、それとも道長の心象か、雷鳴が轟きます。いよいよ、入内させた娘を背景に絶対権力者へと上昇していく、教科書で見られるような藤原道長のイメージが始まる瞬間…それを印象的にしていますね。

 内覧右大臣に就任に始まる道長の政の正攻法を見れば、道長が兼家と同じ手法を取ることを嫌うことは目に見えています。ですから、晴明は、腹芸抜きで「出家とはあの世に片足を踏み入れるということ。最早、后足り得ぬ中宮さまによって帝は乱心あそばされたのです。今こそ穢れなき姫君を」と、陰陽師として正当な理由を述べます。

 前回note記事でも触れましたが、晴明が出家した定子を問題の中核と見るのは、一条帝が政を疎かにした執着の原因というだけではなく、彼女が出家によって中宮という朝廷を支えるシステムとして機能不全を起こしているからです。例えば、蝕穢と先例を重視する貴族社会の反発に見る内裏の混乱。あるいは、本来、中宮が担うべき神事が滞っていることがあげられるでしょう(神事のことは、後に彰子の中宮立后の根拠ともなります)。

 そもそも、許可もなく行った定子の落飾は、それ自体が一条帝、ひいては朝廷の権威を傷つける短慮でした。あの時点で、自身の寵愛を堪え、定子に厳しい裁可をくだしたことは、帝として間違った判断ではありませんでした。にもかかわらず、自らの執着心から自身の下した裁定を覆す数々の言動は、自身でその威信を穢す自傷行為に等しいのです。こうしたことを総合すると、晴明の「后足り得ぬ中宮」という遠慮のない表現も妥当なものであると言えるでしょう。

 晴明の言葉に「義子さまも元子さまもおられるではないか」と道長は抵抗しますが、晴明は「お二人の女御さまとそのお父上には何の力もございません」と現実を直視せよと辛辣な返答です。道長は、倫子の差配で元子と帝の縁を結ぶよう土御門殿で管弦の会を催しましたが、まったく功を奏しませんでした。彼女たちが、帝の寵を得る力がないことは既に証明されています。そして、それは、後ろ盾になっている父親たちにそれだけの政治力がないことも大きく作用しています。殊に元子の父、顕光は右大臣でありながら、道長に物申すこともできない体たらくであることは、前回の大雨の一件でも描かれていましたね。晴明の返答には、道長も思い当たることがあるでしょう。

 ですから、「左大臣さまの姫君であらねば」というトドメの一言に追い詰められた道長は、思わず立ち上がってしまうのです。その言葉の言外にある、左大臣道長の政治力を背景にした女御でなければ、帝へのプレッシャーにならないという意味がわかるからでしょう。そもそも、晴明は「お宝をお使いなされませ」と言った時点で、「左大臣の姫」という血統を重要視していましたが、今回、道長から、既に諫め、帝を内裏に戻したと聞いたことで、その政治力も見定めたのではないでしょうか。つまり、帝に対抗できる実質的な力を持ち、この国のために身を切る覚悟を持つのは道長だけという。あの小首をかしげるいつものポーズの裏には、そんな見極めるものがあったのかもしれませんね。

 晴明の進言に思わず立ち上がった道長「ふう~」と一拍おいて平静を装い、「できぬ」と言下に否定します。晴明の「私には見えます。彰子様は、朝廷のこの先を背負って立つお方です」と陰陽師の本領らしき先読みにも、「そのような娘ではない」と怒ったように吐き捨てるものの、動揺は収まらず、目はキョロキョロと宙を彷徨います。
 そんな状態での「引っ込み思案で、口数も少なく…何よりまだ子どもだ!」という抵抗も、娘を巻き込みたくない気持ちだけが先走るだけで、晴明に通じるものにはなっていません。

 娘を政の道具にすることを渋る道長に、淡々と「おそれながら入内は彰子さまの背負われた宿命にございます」という事実だけを突きつける晴明が上手いですね。彼は、彰子の背負われた宿命という言い方をしましたが、この裏にあるのは「彰子に宿命を背負わせた」のは内覧左大臣となった道長であるということです。つまり、晴明は道長に対して「左大臣としての宿命を受け入れ全うせよ」と、覚悟を迫ったのですね。

 だからこそ、道長は真顔のなかに怒りを滲ませ、震えるのです。それは、彰子入内を進言する晴明に対してだけでないのではないでしょうか。自分の政が結局、娘を入内させるものだったという現実、娘をそういう立場にしたのが自分であったということ、それに対して戦慄したこともありそうです。娘を入内させない方法は、道長が内覧も左大臣も投げ出し、隠居することです。しかし、それは現実的ではありませんし、また彼はその志ゆえに一条帝と同じことはできません。思い悩む道長は、早速、姉の詮子に入内を回避する別の策を相談しようとします。

(2)詮子の弟への重い期待
 しかし、詮子は「お前もそろそろそのくらいのこと…したら?」とあっさり、晴明の案に乗るべきだと返答します。「女院さままで何ということを…」と道長が絶句するのは、詮子こそが入内によって、自分の思いや運命を踏みにじられた犠牲者だからです。その姉を見てきたからこそ、彼は常々、入内はおなごの不幸と思い、彰子のそれも躊躇するのです。
 にもかかわらず、詮子は、娘を入内させよと父、兼家のようなことを言い始めたのです。道長に「身を切れと言うことよ」と真意を語ろうとする詮子をナメる形で不満げな道長の表情が強調されますが、その顔、そして女院を見上げるその表情にあるのは、左大臣道長ではなく、詮子の弟ですね。それだけ感情的になっている…そうなれる数少ない相手とも言えます。

 詮子は「お前はいつも綺麗なところにいるもの。今の地位とてあくせくと策を弄して手にいれたものではない。運が良かったのでしょう。何もかも上手くいきすぎていたのよ」とこれまでの道長の政をツキがあっただけだとバッサリ切り捨てます。
 道長が公卿の頂点に立った第18回を思い返してみましょう。この回、彼は内覧右大臣の地位に就くことになりますが、この回の道長は、兄、道兼の死にショックを受けて放心状態になっているだけでした。ライバル伊周を退け、道長が内覧になれたのは、詮子が夜分に帝のもとへ訪れ、泣いて懇願したからです。詮子が、道長を為政者の道へと導いたのですから、彼女だけは、彼の政を運だけだと言い放っても許されるでしょう。

 note記事では、そうしたことも含めて道長の人徳によるものとしましたが、弄せず地位が転がり込んだのは事実です。その後の政務で道長の正攻法が通じたのは、道長の人徳ですが、道隆の専横に対する反動も少なからずあったでしょう。そして、彼が長徳の変で左大臣になったことも、同様です。そもそも、この政変は伊周の自滅とそれを利用した斉信の謀です。つまり、ここでも彼は特別、その地位を自ら欲して、勝ち取ったわけではありません。政変を収めた立場だったため、その結果として左大臣になったに過ぎません。

 詮子の容赦のない言葉に息を呑む道長は「身を切る覚悟は常にございます!」と反論します。前回、帝に辞表を叩きつけたことも、政を第一に考えるからこその言動です。「民を救う」政のために、人生をかける心持ちに偽りはありません。そうでなくては、まひろを諦めた意味がありませんから。ただ、その自らの修羅の道に娘を巻き込むことはありません。満身創痍になるのは自分だけでよい…その自己犠牲的な思いが、「されど彰子はまだ子ども…」と娘を庇う台詞に滲みます。

 しかし、詮子は「子どもであろうとも、それが使命であればやり抜くでしょう」と一喝します。詮子自身、16歳で入内し、円融帝との間に皇子を産み、その子を帝の地位につけ、兼家の栄華に寄与しました。実際に「使命」をやり抜いた詮子の言葉は重く、反論を許さぬ力がありますね。それでも、そのために彼女が深く傷ついた事実を知る道長は、「惨いことを仰せられますな」と自分の味わった悲劇を彰子にも課すのかと非難します。

 道長の非難がましい物言いにも詮子は、「ふ、それそれ」とそれを逆手に取り、「そういう娘を庇うよき父親の顔をして、お前は苦手な宮中の力争いから逃げている」と、彼の入内反対の心底にあるものが、娘を思う気持ち以上に、父のようになりたくないばかりに醜い権力争いに手を染めることを恐れていることだと看破してみせます。
 聞いた道長の表情がギョッとしたものになるのは図星だからです。姉をチラ見するその目に怯えが混ざるあたりも、彼が今、詮子の弟になってしまっていることが窺えます。

 そんな弟の目の前まで進んできた詮子は、道長の目線に合わせるように腰を落とすと「私は父に裏切られ、帝の寵愛を失い、息子を中宮に奪われ、兄上に内裏を追われ、失い尽くしながら生きてきた」と権力闘争に明け暮れた自身の後半生が、望むような結果を得られなかったと淡々と述べます。今の彼女は、ときに帝を動かすほどの力を持っていますが、彼女の大切なものを守るための闘いにおいては何一つ守れなかった敗北の結果、残ったものでしかないのですね。

 しかし、道長は違います。その人徳と運の強さで、ほぼ無傷で権力も公卿らの人心も掌握しています(まひろとの失恋が、志につながっていることを詮子は知りません)。つまり、彼の覚悟次第で思う政をなせる状況にあるのです。だからこそ、詮子は「それを思えば、道長もついに血を流すときが来たということよ」と諭します。彼女は、道長に「お前はまだ本気を出していない」「ないふり構わず、やるべきことをしなさい」と叱咤しているのですね。

 詮子が、道長の恐れを厳しく指摘したのは、かわいい弟への期待があるからです。兼家があらゆる悪にも手を染めてようやく得た権力の頂点を正攻法だけで手に入れた道長は、実はある意味、既に父を超えているのです。詮子のこの見立ては、晴明の「あなた様には誰もかないませぬ」(第20回)にも通ずるものですね。

 すべてを手に入れている道長が、すべきことは持てるものを遣いきって、目指すべき政を成す、それに尽きます。「怒ることが苦手」な優しい道長は、兼家を反面教師とするでしょう。ですから、手段を選ばないだけだった父とも、守りに徹しても奪われるだけだった自分とも違う世界を見てこいと言うのですね。

 詮子の叱咤に言葉もない道長に、改めて詮子は「朝廷の混乱と天変地異が収まるなら、彰子をお出しなさい」と、政の頂点に立つ為政者として人生を捧げる覚悟を決めるよう促します。朝廷も家庭も守る中途半端さでは、目指す政は行えないということです。それは、つまり、彼の進む為政者の道は、愛する者も道具にする、愛する者を遠ざける孤独な道になることを意味しています。しかし、それができる人間は、宿命を背負った人間だけです。選び選ばれてしまった道長は、もう引き返すことができないのです。

 道長は「姉上がそのように私を見ておられたとは…知りませんでした」と言うのが精一杯です。好き勝手なことを道長に言う詮子の奔放さは、一面的なもので、その実は、道長の才覚に期待し、その危うさも含めて、時に助けながら、ずっと見守ってきたのです(呪詛とか余計なものもありますが)。姉の眼力、そして優しさには感服する他ないのです。

 詮子は、観念したような道長に「ふ…大好きな弟ゆえよく見ておっただけよ」と微笑みます。彼女は、優しい弟にとって、苦難が待つことを知ってなお、いや、そんな彼だからこそ、後事を託すのです。あまりにも重い姉の愛情から覚悟を迫られた道長は、唇を噛み、うつむきます。こうして、道長は、為政者に全振りして政へと邁進する方向性へと舵を切らざる得なくなっていくのですね。

 この後、やんちゃは長男の田鶴が、姉弟の会話に闖入したのをきっかけに、倫子と子どもたちがやってきます。このとき、押し黙り、何も言わない彰子の様子を眺める詮子と道長の眼差しが印象的ですね。彼らの目は、既に彰子を道長の愛娘として見ていません。入内したとき、どういう女御となるか、使い物になるのか、そうした品定めの目つきになっています。よくも悪くも、この姉弟の根底を支えるのは、政治家としての価値観なのですね。

(3)夫婦の亀裂の始まり
 晴明と詮子の二人に説き伏せられた道長は、それでも未だ決め兼ねる自身の心情をとりあえず横に置き、具体的に動き出します。続く天変地異は、内裏を支配する倦怠と共に政を蝕み、切羽詰まっています。これ以上、放置することもできない。取り返しのつかないことになる前になんとかしなければならない。その事実は、道長も政治家としては認めざるを得ません

 まずは彰子を入内させない確認を口にしてまで気持ちを共有していた彰子の母、倫子に方針を告げることです。これまで夫婦喧嘩らしい夫婦喧嘩のない夫婦です。それは二人の気質による面もありますが、道長は土御門殿内のことは倫子に任せ、これに従い、倫子は政や妾など外のことに口を挟まないと棲み分けをしてきたことも大きいでしょう。
 互いの立場を尊重することで、衝突を避けてきたのです。この関係は、倫子の側が道長の顔を立て、資金援助をしてきたから成立しています。倫子の賢妻ぶりありきの夫婦関係。そういう彼女の娘への思いを裏切る判断を告げるのは気が重いでしょう。

 閨では、倫子が「お痩せになられましたね」としみじみ気遣います。元々の激務に天災対応が加わり、端から見てもわかるほど心身共に憔悴しているようです。この状況で、晴明と詮子に彰子入内という心理的負担を突きつけられたことは、お気の毒という他ありません。
 道長の心中を知らない倫子は、疲弊していく良人を心配しながらも「肩をお揉みいたします」と切り出すのは、職務に真摯な彼が放棄するはずがないことを知っているからです。だからせめて労ろうとするのです。

 そんな嫡妻の心遣いにも心あらずの道長は、それを断り「それより相談がある」とぽつりと呟きます。瞬間、倫子は「相談?いつもお胸のうちをお明かしくださらぬ殿が、私に相談とは…」とぱあっと顔を輝かせます。そして、しみじみその幸せを噛み締めると「嬉しゅうございます」と笑顔を見せます。道長の肩をナメたレイアウトでカメラが捉えた倫子の幸せそうな顔を、道長は勿論、見ていません。

 しかし、道長は、この彼女の心からの笑顔を見て、自身の不徳を知るべきだったかもしれません。倫子のこの幸せに満ちた笑顔は皮肉にも、とても哀しいものです。何故なら、それは、夫婦になって10年以上、道長が自分に胸襟を開くことをずっと待ち続けて、ようやく叶うという喜びの表情と思われるからです。つまり、道長はずっと妻子を傷つけないことを口実に、本心を彼女に明かさずに過ごしてきたということになります。

 鈍感な道長はわかっていませんが、頭のよい彼女は、彼が本心を語らないことにも、胸に秘めた女性がいることも、そのために嘘をつくことも全部気づいています(勝手に文箱開けたのはアレですが)。それでも、道長を心から慕うがゆえに、自分に向ける優しさと信頼、そして愛情めいた振る舞いを信じて、彼女は辛抱強く待っていたのでしょう。
 そこには、道長が心中に住む想い人に負けまいと思い、嫡妻たるべく、そして自分にしかできない形で支えようとした自負と努力と健気が窺えますね。

 一方の道長は、こうした倫子に感謝し、大切に扱っています。夫婦仲も良好だと言えるでしょう。しかし、倫子が夫婦関係に一番望むことに道長は応えてはいません。ここからは推測になりますが、彼が胸襟を開くに至らない理由は、倫子に対する引け目ではないでしょうか。まず、二人の初夜は、道長がまひろと別れた捨て鉢の気分で行われました。まず、このことに後ろめたさがあります。あのとき、まひろを頭に思いながら、倫子を抱いたことは決して知られてはいけません。
 そして、倫子は自分より財が多く、救い小屋などで多くの援助をしてくれています。呪詛騒動など迅速な対応で協力してくれてもいます。つまり、賢妻すぎて頭があがらない状態です。この二つがもたらす引け目から、倫子を心安らげるものと思えないのかもしれません。

 もっとも、それは道長の勝手な話で、倫子には何の罪もありません。ただ、道長が逃げているだけです。それどころか、悩むときには明子の元に逃げ込み癒しを求めるのが、最近の道長の慣習になっていますね。癒し目的とはいえ、明子により胸襟を開いている形でしょう。そして、このことにあの明子女王が自信を深めていることは容易に想像できます。
 道長からすれば、悩みを明かすか明かさないかは愛情の深さに関係ないでしょう。複数相手がいれば、見せる顔もそれぞれに違う、そういうものかもしれません。実際、道長は嫡妻の倫子を立てるものの、倫子に向ける情と明子に向ける情は大差がなく、等しく優しく、等しく距離があるでしょう。二人の妻との間の子の数が同じことも偶然ではないと思われます。

 しかし、これらは複数の妻を持つ男の側の理屈です。道長には二人の妻ですが、倫子と明子はそれぞれにとって「ただ一人の殿御」です。一方的に自分の得たいものをそれぞれから得ながら、彼女らの欲するものは与えないとすれば、道長は二人の妻たちに本当の意味で寄り添えているとは言えないでしょう。平たく言えば、彼は自分に都合よく妻を扱い、その気持ちは蔑ろにしてきたと言えます。等しく、公正に妻たちと接する道長のあり方は、一見、優しさに見えて、無自覚な残酷さも持っています。

 倫子は穏やかですがその裏には強い意思と自負があります。明子は強い自尊心と激しい情念を隠そうともしません。二人が、道長の情の残酷さに気づくとき…それは近いかもしれません。それにしても、道長の周りは、どうしてこう強い女性たちばかりなのか。彼女らに守られていることを自覚しないと酷い目は必至です。

 話を戻しましょう。悩みに捕らわれる道長は、嬉しいと応えた倫子の嬉しさがどこから来るのか察する余裕はありません。「嬉しい話ではない」と吐き捨てると、覚悟を決めて座し、「彰子を入内させようと思うのだ」と切り出します。
 意外過ぎる話に息を呑む倫子に構わず「続く天変地異を沈め、世の安寧を保つためには彰子の入内しかない」と一気に理屈を語ります。一気に語るあたりには、落ち着いたように見えながら、妻子への後ろめたさに負けてしまいそうな道長の苦悩が窺えますね。為政者として進まねばならないという理屈に、感情はまだ追いついてはいないのでしょう。

 しかし、そんな道長の葛藤などわからない倫子は、「お気はたしかでございますか。入内して幸せな姫などおらぬと、いつも仰せでしたのに」には努めて冷静に諭そうとするものの、夫の唐突な心変わりを計りかね、「今もそう思っておる。されど…」と道長の言い訳を遮り「嫌でございます」と感情的に明言します。倫子には、夫の言う世の安寧などよくある建前にしか聞こえず、権勢に狂い娘を道具にするように見えたのかもしれません。

 「あの娘には優しい婿をもらい、穏やかにこの屋敷で暮らしてもらいたいと思っております」と訥々と語ります。このシーン後、穆子にも語っていますが、倫子は、現状、自分の意思で手に入れた道長との暮らしを概ね満足し、幸せと感じています。つまり、土御門殿で穏やかに生きることが、倫子の考える幸せの絶対的な基準なのです。ですから、それと同じものを娘に与えようと考えるのでしょう。勿論、ここには、自分の意思を強く示すことのない彰子の性格を心配する親心も入っています。
 ただ、土御門殿以外の世界を知らない倫子の言葉は、娘の将来を語りながらも、実は彼女の価値観そのものが語られていることにも留意したところです。

 ですから、「俺も同じ思いであった。されど今は入内もやむ無しと思っておる」と親心より政の理屈を優先する道長の弁にはまったく聞き耳を持たず「よくお考えください。中宮さまは出家してもなお帝を思いのままに操るしたたかな お方。そんな敗けの見えている勝負など…」と、娘が女性として愛される将来を軸にして反論します。勝負という言葉を持ち出すのは、この入内が道長と帝との政治的な争いと読んでのことでしょう。かつて、雅信に政争のために入内を持ちかけられ、言下に断ったことがある彼女ならば、そう思うのも自然です。

 倫子の誤解を耳にした途端、「勝負ではない!これは、生贄(いけにえ)だ」と改めて強く否定します。「生贄」との強い言葉に、息を呑む倫子に「手塩にかけた尊い娘ならばらこそ…値打ちが…ある」と、娘への情は決して変わらないことを織り交ぜながら、あくまで政を正す神聖な供物であり、邪心はないと主張します。続く、「これ以上、帝のわがままを許すわけにはいかぬ。何もしなければ、朝廷は力を失っていく…」との言葉と表情には、葛藤と苦悩が溢れていきます。

 冷ややかに「朝廷がどうなろうと、あの娘にかかわりはありま…」と返そうとする倫子の言葉が終わらぬうちに「そうはいかぬ、私は左大臣で、彰子は左大臣の娘なのだ!」と叫び、涙を滲ませて、訴えます。為政者ゆえにその立場と力のすべてを政に注ぎ込まねばならず、それは家族も同様である…これが、晴明が突き付けた彰子入内の真実であり、また政に苦しめられた詮子の願いです。しかし、それは道長を苦しめています。ですから、倫子に返した涙目のこの言葉こそが、道長が心のうちの苦悩を包み隠さず吐露した瞬間です。

 しかし、道長の為政者の哀しい宿命と苦悩は、倫子には政争を繰り返す男たちの屁理屈にしか聞こえないのでしょう。「不承知にございます」と突っぱねます。取りつく島もない様子に道長は「そなたが不承知でも…やらねばならぬ」と言わざるを得なくなるのですが、これは完全に火に油を注ぐ行為でした。

 完全にブチ切れてしまった倫子は、追い打ちをかけるように「相談ではございませんでしたね!」と責めたてます。結論ありきであれば相談とは言えないからですが、この言葉には、愛しい人が胸のうちを明かすという期待、娘を道具にしないという長年の信頼、その二つが裏切られたことも含まれています。
 ですから、「相談ではない」という字面通りの意味にだけ「許せ」などと言われても、許せるはずがありません。思いを踏みにじられたと信じる倫子は、「殿、どうしても、彰子を生贄になさるのなら私を殺してからにしてくださいませ。私が生きている限り、彰子を政の道具にさせませぬ!」と命がけの拒否と決意を突きつけると、驚きに目を見張る道長を置いて、走り去ります。

 一応、道長に代わって弁明すれば、彼としては入内の問題、そしてその苦悩を夫婦で共有し、一丸となって対応を考えたかったのでしょう。それを話し合うから「相談」と口にしたのでしょう。しかし、その甘い見通しは拒絶され、流れでどんどん悪い方向へ流れていってしまい、相談どころではなくなってしまったのです。

 これまでは、道長は政を家庭に持ち込まず、二つを切り分けて、家庭の差配をすべて倫子に任せていました。これは公明正大な政を行うことで、民も家庭も守れると考えていたからでしょう。しかし、政は非情でした。我が家を巻き込み、手を汚さねばならないものと悟った今、彼は二者択一の結果。彼は為政者としての道を選ぶことにしました。

 しかし、倫子はその過程を知りませんから、あまりの唐突さには戸惑いと怒りを覚えるのは当然です。さらに倫子の「朝廷がどうなろうと、あの娘にかかわりはありません」の言葉からもわかるように、彼女の価値観は土御門殿で穏やかに生きることが最優先であり、政へ完全に軸足を移そうとしている今の道長とは相容れません。

 ただ、夫婦に胸襟を開いた会話が日々、なされていれば、ここまで拗れることはなく、妥協点を探れたかもしれません。結局、これまで道長が政への苦悩を倫子に明かしてこなかったことが、裏目に出てしまったのですね。ですから、この顛末は、自業自得と言えるかもしれません。今になって、この夫婦は、価値観の違いが顕在化してしまったのですね。

 しかし、先に述べたように、倫子が娘の女性としての幸せを願う基準は、あくまで倫子個人の体験という偏ったものです。外の世界をあまりにも知らず、道長の政の理屈を私欲と断じてしまう倫子の価値観もまた極端なものでしょう。さらに道長を慕うがゆえの期待感の裏返しで、彼女にしては珍しく冷静さを欠いてしまった面もあります。となると、喧嘩が拗れた原因は、倫子の側にもあるのです。ここに来て、倫子の母、穆子の泰然自若、動じない態度が活きてきます。
 彼女は、彰子にも自分と同じ幸せを与えたいという倫子に対して、「そうね」と一度は頷きながら、「そうだけど…入内すれば、不幸せになると決まったものでもないわよ」と、視野狭窄に陥っている倫子を窘めます。

 しかも、「帝は疎かになれるほど中宮さまに色香に骨抜きにされて」いると聞いても、「ひょっこり中宮さまが亡くなったりしたら?」とか「中宮様は帝より4つもお歳が上でしょ。今は首ったけだけど、そのうちお飽きになるんじゃない?」と不謹慎極まりない発言をあっけらかんと述べ、倫子を呆れさせます。長年、土御門殿の女主人でもあった彼女は、男女の激情などは、はしかのようなもので移ろうものでしかないとの達観があるのでしょうね。夫と赤染衛門との関係を疑ったこともありましたし。人生経験豊かな人の言葉はバカになりませんね。

 そして、彼女が話したもっとも大切な言葉は、「何がどうなるかはやってみなければわからないわよ」でしょう。つまり、案ずるより産むが易し、ということですが、穆子は、孫娘の彰子が案外、やれるかもと思っていることも仄めかされているように思われます。両親は心配げですが、祖母だけが彰子の素養を見抜いていたとしたら、年の功とは大したものですね。ともあれ、道長に激高していた倫子は、母によって、再考を促されます。

(4)彰子入内を巡る人間模様
 年が明けたら改元したいという道長の相談に、実資は「長保」を勧め、「左大臣さまの世は長く保たれましょう」と彼にしては珍しく道長に阿るようなことを言い出します。「帝の御代であろう?」と道長が訝るように返すのは、朝廷という社稷に忠実で、慣例を重んじる彼が不敬な発言をするのは珍しいからです。
 すると、実資、包み隠さず「帝は傾国の中宮に御心を誑かされておりますので…このままでは…」と危惧を口にします。だからこそ、左大臣道長に頑張ってもらわねばならない、「左大臣さまの世は長く保たれましょう」の言葉には、そのような含意があることが窺えるのではないでしょうか。

 実資の苦言に「そうなのであるが…」と逡巡する答えをする道長は、先夜の倫子との夫婦喧嘩が尾を引いているようです。晴明や詮子の正しさはわかっていますが、彰子を入内させたくないのが彼の本心です。倫子の想像以上の強い抵抗に、彼の心もぐらついているのです。そんな道長の心中を知る由もない実資が「もし左大臣さまの姫君が入内されれば、後宮の内もまとまり、帝の御運も上向いて、御代も長く保たれるのではございませんか?」と思いも寄らぬ進言をしてきます。道長は耳を疑うように「中納言どのは、真にそう思われるのか」と真顔で聞き返してしまいます。

 何故なら、入内は兼家も道隆もやってきた典型的な権力掌握の手段です。彼らは、それによって専横を極め、貴族らの反発を招きました。道長が、彰子入内に躊躇する理由の一つは、父と兄の二の舞を恐れるからです。そして政においては、清廉潔白で私利私欲に浴することも否定的な実資は、彰子入内に真っ先に反発すると、道長は思っていたことでしょう。
 しかし、実資は、晴明と同じ理屈で彼に娘の入内を進めてくるのです。彼は、まずは政の正常化が急務であり、そのためには最も有効な手段を早く講じるべきだと考えているのでしょう。ですから、道長の「中納言どのは、真にそう思われるのか」との問いにも、「勿論にございます」と当然と言わんばかりに、顔面にも言葉にも力が入りまくります。

 その言葉に瞠目した道長は、彰子入内へと大きく傾いたようです。公明正大な彼すら入内に賛成したことは、彰子の入内が持つ政治的な正当性は確かなもの、自分の独り善がりな考えでないと確信が持てたのではないでしょうか。
 もっとも当の実資は、進言してみたものの、道長の人柄では娘を入内させないと思えたようで、自室で「入内…ないな…ないない」と呟いていました(オウムに真似され、真似し返していたのが笑えますが)から、後で知ったときは内心驚き、そして自分の進言を受け入れたように見える道長に感心したかもしれませんね(笑)

 一方、倫子もまた道長との喧嘩、自分の考えとは真逆な母のアドバイスなどからぼーっと思い悩んでいます。そこへ田鶴が、「母上、姉上はぼんやりものゆえ婿も来ないのですね」と、子どもゆえに容赦のない悪口を言ってのけます。口さがない物言いを「姉上をそのように言うてはなりませぬ」と叱りつけますが、田鶴は「琴だって少しも覚えてなくて、お師匠さまが怒っておりました」と薄ら笑いを浮かべます。おませでやんちゃな彼からすると、彰子は頼りなさげで、変わり者すぎるのでしょう。

 口の減らない我が子に倫子は「田鶴はこの家を継ぎ、父上の跡を継ぐ大切な嫡男。姉上は、帝の姫となるような尊い姫なのですよ」と自覚を促そうとして、思わず突いて出た言葉に「…あら…」となります。「帝の后となるような尊い姫」…彰子の穏やかな婚姻を望んでいたはずの自分が、帝の后になる彰子の姿をイメージしていたことに気づいてしまいます。穆子の「やってみないと分からない」という助言に心動かされ、彼女のなかにあった「手塩にかけた尊い娘」という自負の気持ちが頭をもたげてきたのかもしれませんね。

 かつて、倫子が道長に彰子を入内させたくないという旨を伝えたとき、道長は、ぼんやりした彰子の性分を見て「この子に帝の后は務まらん」と答えました。しかし、倫子は、化けるかもしれないと彰子を庇いました(第16回)。彼女は、入内の如何にかかわらず、どこかで娘に秘めたるものがあると期待していたところが昔からあり、それは今も変わっていなかったのでしょう。それは、「我が娘」ならばという彼女のプライドの裏返しとも思われます。

 その物思いがまとまらぬうちに、田鶴が倫子の口真似をしてふざけてきて、挙句「母上は父上と喧嘩しているのですか」と単刀直入に聞いてきます。もしかするとこの子は、そもそも、両親の不仲を察して、ふざけてきたのかもしれませんね。子どもは夫婦喧嘩を察知すると、自らリトマス紙の役割をするものだとは、さくらももこ「ちびまる子ちゃん」に描かれていたことですが、後に彼が頼通になることを考えると、そういうことをしてもおかしくはありませんね。

 とはいえ、今はやんちゃな長男。夫婦仲を突っ込まれてムッとした倫子が「していませんよ」と返す揚げ足を取り「いつもプンプンしているから」父上と喧嘩になったのでしょと揶揄します。「していません」とムキになりながらも、倫子は近々、道長の真意を確かめなけばならないと思ったのではないでしょうか。自分の娘に朝廷を鎮める力があるとしても、当の道長が野心家へと変貌していたのであれば、娘は不幸になりますから。

 一方、道長のほうは、実資の進言に後押しされたのか、着々と入内に向けた動きを進めていきます。まずは、彰子本人です。嫡妻にして、彰子の母倫子の説得は失敗しましたが、彰子自身の意向を確かめたうえで、説き伏せなければなりません。難儀が予想されましたが、「父はそなたを帝の后にしたいと考えておる」との言葉にも、彰子は無反応です。「驚かんのか?」と訝しむ父に「仰せのままに」と実に簡単に承諾してしまいます。

 呆気ない返事に 「母上は固く不承知なのだが…お前は真によいのか」と思いだけは聞くぞと聞き返しても、「内裏に上がれば、母上や田鶴らとも気軽に会うことはできなくなる。されど、この国のすべてのおなごの上に立つことは、晴れがましきことでもある」とメリット、デメリットについて話しても、「仰せのままに」と繰り返すのみです。

 彰子が何を考えているのか、はたまた何も考えていないのか、それは現時点ではわかりません。ただ、その後、平安期最大の文学サロンを創り出す彰子が白痴とは考えづらいですから、自己表現が恐ろしく不得手な女性であろうと察するのみです。彼女が、その本心を露わにしていく手助けをするのがまひろということになるのでしょうから、彰子が掘り下げられるのは、まひろの出仕まで待たなければなりません…って、劇中で5年以上先…それまではだんまり彰子が続くんですね…

 道長は「あのように何もわからない娘を入内させられるのか」とは思うものの、他に妙案もありませんから、娘からは了承を得たと信じ進めるしかありません。「また話そう」とは彼女に言いましたが、結果は同じことでしょうから。
 道長が、次に手を打ったのは、入内の相手、一条帝への牽制です。先にも述べましたが、天災による多くの民の死でさらに厭世的になった帝は譲位をほのめかし、定子との余生に逃げ込もうとしますが、それを見越した道長は「円融院の御筋は絶えてはならぬ」という理をもって、譲位を思い留まらせるよう命じています。道長が行成を人選するのは、彼が一条帝の覚えめでたいからですが、同時にその優しい心映えが、道長では伝えきれない真摯な思いを加えられるからです。

 実際、行成は、道長の命を告げるだけでなく、まず帝に寄り添い、定子と内親王のために譲位はしないほうが賢明と伝えていますね。さらに行成は「ご譲位ではなくご在位のまま、政に専念なさるお姿を皆にお見せくださいませ」と訴えていますが、帝を敬愛する彼が「政に専念なさるお姿」を見せてほしいと思うのは本心です。だから、帝は憂鬱な表情をしながらも、「そのほうの考えはわかった。譲位はせぬ、されど我が皇子は中宮が産むことを望む」と譲歩するのです。

 行成は、道長への報告のなかで「中宮さまへのご執着はなかなか…」と詫びますが、「いや、一歩進んだ。行成のおかげだ」と労います。道長に褒められて、ぱあっと顔が明るくなるところが行成のかわいいところです。行成は内裏の空気を換えるためにも入内を公表してはと提案しますが、まだ時ではないと読む道長は、内々に進めるためにも「これからも行成の力が欠かせんのだ。頼んだぞ」と頼みます。彰子入内は、秘中の秘の謀、失敗は許されない。そんな思いがあります。

 しかし、そんな慎重さが裏目に出ます。ある日、晴明から「中宮さまはこの正月にご懐妊あそばされたようにございます」との占い結果を聞かされた道長、「なんと!」とさすがに呆気に取られます。「内裏での逢瀬のせいでございます」というのは、年明けて長保元年、帝は事もあろうに遂に定子を内裏に引き入れてしまったのですね。帝の定子への執着という暴走、それによる内裏の混乱は、ここに極まれりといったところです。
 その結果、皇子が産まれるのですから皮肉なものです。生まれ来る皇子(敦康親王)に罪はありませんが、定子に心狂わされた帝という悪評がさらに内裏を支配することは間違いありません。しかし、皇子が産まれたら彰子入内は、その悪評を祓う効果が薄れてしまいます。

 「皇子なのか…」と絶句する道長に、晴明は事もなげに「呪詛いたしますか」と切り出します。かつて、彼は兼家と彼と結託した公卿の総意で、花山帝の折に忯子をお腹の子ごと呪詛しました。今、公卿らを掌握している道長であれば、同じ手を遣えますが?とお伺いを立てたのですね。しかし、道長
は迷うことなく「父上のようなことはしたくない!」と即答します。

 すると、晴明「よう申されました!」と変わらぬ道長の誠実さを褒めたたえます。思わず、「今、私を試したのか?!」と嫌な顔をする道長に、ニンマリと笑った晴明は「呪詛せよとお命じあれば、いたしました」と答えます。どの選択肢であっても、道長の命に従うとの言葉には、晴明の道長への期待感が窺えます。
 そして、試すのは、今ここから、呪詛をしないとしてどういう選択をする?と晴明は言うのです。彼は、ずっと道長のような導き甲斐のある正しく悩める為政者が表れるのを待っていたのかもしれませんね。もっとも、道長が呪詛を頼んだときは、過去の例からすると、引き受けはするものの必ず相応の見返りを求めたでしょうね(笑)

 晴明の挑発に「ふー、むう…」と思案する道長は、「彰子は入内して幸せになれるであろうか…」とポツリ、本音を漏らします。問われた晴明は「私の使命は、一国の命運を見定めること、人一人の幸せなぞは預かり知らぬことでございます」と突き放したような返答をします。兼家のときから彼の立場と主張は一貫しています。ただ、今回は「知ったことか」と突き放しているように見えて、その真意は「入内が彰子の宿命である以上、その入内がこの国のため最大限の効果となる方法を考えなさい」ということです。そして、彰子の入内がこの国のためになったとき、自ずと彰子は入内による幸せを得ることができるのです。すべては道長の思案次第なのですね。

 甘やかさない晴明の言葉を正しく受け取った道長は「ち…ふむ…」と暫し考えた後、「わかった…」と閃くと「中宮さまが子をお産みになる月に彰子の入内ぶつけよう」、邪気の中宮が皇子を産むそのときに光の女御の入内でその政治的インパクトを相殺、いや圧してしまおうというわけですね。決めてしまえば早いもの、早速、晴明に「よい日どりを出してくれ」と頼みます。見事に答えをひねり出した道長を、晴明はじっと見つめていた晴明は、満足気な顔をすると命に服します。晴明は、本当によい弟子ができたような気分であるのかもしれませんね。

 こうして、彰子の入内は11月1日と決まり、道長は動かすことのできぬ決定事項として、倫子に伝えます。この間、長らく夫婦の関係が、ギクシャクとしたものであったろうことは、画面内の道長と倫子の距離に表れています。しかも立っている道長が手前でクローズアップ、座る倫子が後方に映し出されていますから、力関係は道長のほうが上で、倫子は逆らえない状態にあるレイアウトになっています。

 しかし、娘を思う倫子は負けていません。「中宮様のお加減がお悪いと噂でございますが、まさかご懐妊ではありませんよね?」と挑発し、道長の決意の程度を計ります。そのことをとうに知っている道長は「ご懐妊であろうとも、入内は決行する」と動じることもなく即答します。すると、倫子は「ご懐妊ならば、そのお子を呪詛し奉ってください」ととんでもないことを願い出ます。さらに「呪詛は、殿のご一家の得手でございましょ?」と痛烈な皮肉もぶつけてきます。

 娘の幸せが最優先である倫子ですから、定子の御子を呪詛してでも守ってやりたい気はあるでしょうが、本気でそれを願うような女性ではありません。そのようなことをすれば、当然、この家が疑われるだけです。それは、かつて倫子が封じた詮子の手口を真似ることに他なりません。土御門殿の主として、それはできないでしょう。それでも、それを口にし、さらに道長の親族を貶める一言を投げつけたのは、道長の真意を確かめたいからです。呪詛を承諾するようであれば、断固反対するつもりだったのではないでしょうか。
 しかし、道長は「そのようなことはせずとも彰子が内裏も帝もお清めいたす!」と力強く宣言します。その言葉には、もう迷いはありません。静かに「いけにえとして?」と聞き返す倫子に「そうだ」と答えます。彼の揺るがぬ決心に「殿の栄華のためではなく、帝と内裏を清めるため、なのでございますね?」と改めて真意を問います。

 首肯する道長に、立ち上がった倫子は、道長と同じ位置に並び、向かい合うと「わかりました。私も肝を据えます。中宮様の邪気を払いのけ、内裏に彰子のあでやかな後宮をつくりましょう」と協力を申し出ます。
 かつて、高階貴子が定子の登華殿のために、さまざまな工夫を凝らしたように、彼女もまた同じことをしようとするのです。ただし、貴子がそれをしたのは、愛する道隆の政のため、中関白家の隆盛のためでしたが、倫子は違います。「気弱なあの娘が力強き后となれるよう私も命をかけまする」との言葉にあるのは、あくまで倫子は娘、彰子の幸せのために、それを成す覚悟だということです。朝廷のためでも、国家の安寧のためでもありません。

 つまり、彰子入内の問題は、夫婦間で一端、収まりはしたものの、国家安寧を第一とする道長と娘の幸せが第一である倫子の価値観は、相変わらず埋めがたい溝があります。二人の共闘が噛み合っているときは良いのですが、齟齬が生まれるようなことがあったとき、再び、この夫婦にすきま風が吹き、今以上の軋轢が生じるかもしれないのですね。その意味では、この夫婦には不穏が残っているのです。

 こうして、夫婦の意見のとりあえずの一致を見たところで、彰子入内は正式に帝に申し入れられ、帝は悩んだ末に受諾します。その際、彼は「鴨川の堤の決壊に始まる天災の数々、我が政の未熟さのゆえであった。左大臣には大層、苦労をかけた」と述べ、その労いとしての入内であることを明言しています。公卿らの反発を抑えるために、道長との蜜月を強調することは、内裏を安定させることであり、それは定子と娘を守ることになる。そうした政治判断があったことを意味しています。

 すべてが整うと、道長は倫子と共に、公卿らを招いて、彰子の盛大な裳着の儀を行い、彰子入内の寿いだ印象を内外に示します。裳着の儀の終了時、道長は「これも神仏の守護、そしてみなのおかげだ」と公卿らに礼を述べることで、朝廷の安寧のための協力を求めます。すべてはこれから、彰子入内は始まりにすぎません。

 今回、宴席で同じ席にすわる形で初めて揃った、後に四納言として道長政権を支える公任、俊賢、斉信、行成は、出世の先を越され面白くない斉信を除いて、道長に期待を寄せているようです。公任の「左大臣は己のために生きておらぬ。そこが俺たちとは違うところだ。はは、道長には叶わぬ」という言葉に同意する行成と俊賢の姿には、それが象徴されています。公任は、前回、職御曹司での道長と帝のやり取りのなかで、改めて道長の無私の姿、帝を諫める姿を見ていますから、改めて感服するところがあったのでしょう。
 一方で、彼は、職御曹司で暗躍する伊周の野心も知っているので、定子側の動きも注視する発言をしています。ある意味では、公任が今、一番、状況が見えているのかもしれません。

 実際、裳着の儀の情報は、公卿らのなかにいる日和見主義の者たちから伊周に漏れています。また、定子は帝の寵愛を信じて動じなくなる程度に心も快復していますし、清少納言とのシスターフッドな関係は、定子を利用しようとデカい態度を取っている伊周を怯ませるほどです。彰子が本当に内裏を清めるのかは余談を許さない、そんな雰囲気になっています。

 ところで彰子の裳着の儀は、夜という場面に照明が映え、じっくり映された衣装など荘厳な雰囲気として演出されていました。そして、それを彩るのがパイプオルガンというのが興味深いですね。映画音楽でパイプオルガンが印象的なものに、「ゴッドファーザー」の洗礼と粛清が同時に行われる場面、あるいは「さらば宇宙戦艦ヤマト」の帝星ガトランティスが迫る場面などありますが、成立した帝国の圧倒的な力を象徴しています。
 そうしたことを考えると、彰子入内は、これまで清廉潔白、公明正大であった道長が、いよいよ自らの絶対政権を作り上げていく、その栄光と悲劇の始まりなのかもしれませんね。

2.夫婦に必要なもの
(1)宣孝との婚姻で得た安心感
 震災の被害はまひろの住む為時宅でも甚大だったようですが、人夫たちで活気づき、修繕が着々と進んでおり、災害後の茫然自失や暗い気配はありません。まひろたち表情にも希望が窺えます。裕福な宣孝との婚姻は生活の安定以上の精神的な余裕をもたらしています。いとも驚く裕福さは、彼女の言うとおり「不吉な日食も大水も吹き飛ばす頼もしさ」なのでしょう。先立つものは金という現実を考えれば、まひろの婚姻は妥当な判断だったわけです。

 ただ、前回、自分のパートナーに富を求めないと言っていたいとが、その裕福を頼もしいと誉め、震災時にまひろを庇う姿に胸打たれたと宣孝を激賞したのは、単に経済的に助かったことを喜んでいるわけではありません。話の間に挟まれた「福丸はぐらりと揺れた途端に私をほっぽり出して逃げていきましたけど」と恋人をなじる気持ちが主です。つまり、彼が逃げ出したがっかり感の裏返しで宣孝を誉めており、パートナーの条件を宗旨変えしたのではありません。

 ですから、「福丸さんが来られましたよ!」との言葉を聞き、面目なさそうに「どうも…」と頭をかく福丸を見てしまうと、宣孝の話題など放り出し「もう~、どこ行ってたのよぉ~!」と駆け寄ってしまいます。なじる口調にも、やっぱり戻ってきてくれたという喜びと安堵、そして甘えが入り交じっていて、信川清順さんの芝居の巧さを感じますね。「まあまあまあ」といういい加減な言い訳でも許されてしまうのところが、福丸のかわいげ、いとが彼を愛おしむ気持ちが表れていますね。

 因みにまひろは、いとが宣孝を誉めそやす言葉に対して「そうね」と生返事を繰り返すだけでした。家の修繕に気を取られているからですが、宣孝の裕福さや頼もしさは彼女が彼に求めるものの主ではないからでしょう。勿論、援助は助かるし、ありがたくは思っていますが、長年、貧窮の中、やり繰りしてきた彼女は、無いなら無いなりにやる逞しさもあるのです。

 この婚姻は結果的に宣孝に強引に釣り込まれたものですが、まひろが受け入れる決意をしたのは、退路を絶たれたからだけではないでしょう。彼の「愉快でお気楽なところ」に救われ、楽になれるかもと、彼に揺れた自分もいたからです。つまり、まひろはもっと精神的な面で、宣孝との婚姻を受け入れたのでしょう。その願いはある程度、達成されていることは、「おお、だいぶ進んでおるな」と様子伺いに現れた宣孝を見た途端「お帰りなさいませ」と笑顔で迎える姿から察せられます。政務の合間を縫ってまひろのもとへ訪れることからも、今は彼女に首ったけなのでしょう。今日も「とっておきの贈り物」を持ってきます。

 「毎度の贈り物はもう…」とまひろが恐縮するのは、災害時という状況もありますが、男性からのプレゼント攻めに馴れていない初心(うぶ)と勿体ないという貧乏性によるものです。ちょっとした価値観のズレですが、宣孝は慣れたもの「わしがしたいのだ、断るな」と茶目っ気たっぷりに、恐縮して気に病むことはないとフォローします。自分の言葉に「ふ…ははははは」と朗らかに笑う宣孝にすっと力が抜けるまひろは自然と笑い返します。こうした手慣れたおっさんの安心感に救われる点もあるようですね。

 さて、宣孝の今日の贈り物は、よく磨かれた高価な鏡です。コスメ絡みが多いのは、女性が喜ぶのはコスメという単純な発想があるのでしょうが、その裏にあるのは、好きな女には綺麗でいてほしいという自身の願望です。この感覚に有害な男らしさがちらつくのは、女性のためよりも、惚れた女が着飾り綺麗になっていくことでそれをしてやれた自分の自負を充足させるほうに軸足が乗っているからでしょう。惚れた女を自分好みにする…光源氏と同じですね。

 この点は、かつて若き日の道長が、家刀自に勤しみ、蕪を洗い、汗を拭うまひろを見て、ときめいてしまったこととは対照的です。道長は、地味な作業を溌溂とするまひろから、生命力、内面の美しさといった本質を認めたのですね。道長は決してまひろを自分色に染め上げることはしません。彼女の持つそのままを愛しているのです。まひろは気づいていませんが、道長もまた宣孝とは違う形で、まひろを「丸ごと受け入れ」ているのではないでしょうか。

 金持ちの中年男らしいプレゼント攻勢ですが、今回の鏡が多少、まひろ寄りの贈り物になっています。何故なら、彼女の好奇心をくすぐるものになっていたからです。目を丸くしながら「このようなよく映る鏡で自分の顔をまじまじと観たことはありませぬ。嬉しゅうございます」というまひろの言葉には、素直な感動があります。しげしげと鏡を覗き込むまひろをさらに覗きこむように宣孝は「我ながら、かわいいであろう」とニヤニヤしながらからかいます。まひろが、一寸、戸惑いながら「まあ、思ったとおりでございます」と努めて素っ気なく返すのは、照れ隠しでしょう。

 こういう隙を逃すことなく「自信があったのだな」とツッコミを入れる宣孝は、どうにでもまひろを「かわいい女」にしてしまいたい、早く愛でたいと思うからですね。「また、そのようなお戯れを」と呆れ気味の言葉を逆手に「ならば、もっと戯れよう」と御簾を下げ、吉高由里子さん言うところのバックハグで抱き抱え、押し倒します。真っ昼間からお盛んなことです←

 「きゃっ♡」と応えるまひろの反応はまんざらでもないことが窺えます。彼女は人生で初めて、ただただ受け入れられ愛でられる幸せを知ったのでしょう。「自分の生まれてきた意味」など見つけずとも、今の彼女には安心できる場所があるのです。それが気休めであっても、一時しのぎの儚いものであっても、苦しむことに疲れたまひろには必要なものだったのでしょう。

 強引に婚姻に釣り込まれた初夜こそは緊張を強いられましたが、その後、宣孝は持ち前の男振りでまひろに幸せと安心を与えたように見受けられます。彼の言ったとおり「楽になれ」たのでしょうね。ただこれは、新婚ならではの浮かれた気分と、今、この瞬間を楽しみたいと二人の気持ちが一致していることによるもの。いつまでも長続きするものではありません。

(2)自分本位な宣孝の価値観
 天災の影響が続くある日、まひろは握り飯をたくさん作り、生き延びたものの身寄りのない子どもたちに振る舞います。当時の貴族が個人的にこうしたことをすることはありません。民に文字を教えようとしたときに通ずるまひろの博愛的な性分の表れです。自分が足りているのであれば、誰にでも分け隔てなく与えるのがまひろの考え方です。

 宣孝との婚姻で経済的に余裕ができ、多くの贈り物をもらうまひろですが、それを一人で享受する、また富貴を楽しむという性分ではありません。彼女には「忘れえぬ人」道長と共有する「民を救う」志があります。彼女が白楽天の「新楽府」を「ためになる」からと読むのも、一条帝を前に忌憚のない思いを伝えたのも、その志が彼女の半生の支えとなっていたから。
 ですから、自分に余裕があれば、貧しき者たちと分け合うのは当たり前のことです。そしてその本質は、宣孝の妾になったからと変わるものではなかったことがわかりますね。

 そこへやってきた宣孝、貧しい身なりの子どもらがわらわら出てきて散っていく様子に戸惑い、「何事か」と問いかけます。 事情を聞いても、渋い顔のまま「穢らわしい」と言い放つ宣孝に「あの子らには親もいませぬ。誰かが食べさせてやらねば、間違いなく飢えて死にます」と訴えますが、宣孝は「それも致し方ない。子どもの命とはそういうものだ」とにべもありません。

 彼は、他の一般貴族同様、貧しい民の命を重んじるような性質は持ち合わせてはいません。自分たちには関係のない、取るに足らない存在でしかないのです。そこには、貴族として、自分が富貴を楽しむのは当然というある種の傲慢さが窺えます。だから、災害で都が喘ぐなかでも、喜々としてまひろに贈り物を贈る精神的な余裕があるのでしょう。

 こうした貴族特有の冷淡さは、贈り物を渡すときにも表れます。今回の贈り物は、丹後の栗でしたが、「皆喜びます」と言うまひろに「いやいや、お前に持ってきたのだ」とわざわざ言います。せっかくのまひろへの贈り物を、乳母や下男、下女と分かち合うことはない、というのが彼の発想です。富貴は、自分たちのためにあると信じる宣孝には、財と食べ物を貧しき民と分かち合うという発想がそもそもなく、その必要性も感じていないでしょう。
 しかし、まひろにとって彼らは貴族ではなくとも、それ以前に家族です(この点は為時も同じ考えですね)。幸せは分かち合うものなのです。まひろの民への分け隔てない思いも、この延長線上にあるように思われます。結局、道長とは共有できた価値観が宣孝には通じません。年齢差以上にまひろと宣孝との間には、埋めがたい価値観の溝があることがほのめかされます。

 そして、その後のやり取りで、二人の価値観の差はさらに浮き彫りになってしまいます。宣孝は「そなたの文をあるところで見せたら、その女が見事な歌だと酷く感じ入っておった」と得意げに語り始めます。「あるところで?誰にお見せになったのです?」と問い質すまひろの口調に険があるのは、直感的に別の女に見せたと気づいたからでしょう。

 宣孝は「ある女だ」と惚けますが、「ある女…」と疑わしいまひろの様子に「よいではないか、男か女かと聞かれれば女だというだけの女だ、さあ食え旨いぞ」と、男女関係にない女だと言いつつ、話をすり替えようとします。まあ、誤魔化し方からして、怪しいですね(苦笑)今はまだそういう関係でなくても、「ある女」とやらは少なくとも宣孝が狙っている女性なのでしょう。

 ですから、まひろは誤魔化せれません。そもそも、心に秘めたる思いを形にするのが、文であり、和歌であり、今のまひろにとって「書く」ということです。それは、若き日の代筆業(第2回)のときに学んだ変わらぬことです。心のうちをさらけ出したそれは、得意げにひけらかすものではありません。まして、それを宣孝の他の女に見せるなどもっての他でしょう。

 厳しい顔つきのまま「二人だけの秘密を、見知らぬお方に見られてしまったのは、とんでもない恥辱でございます」と怒りを滲ませます。そして、「見せられたお方とて、いい気分はしなかったに違いございません」とも付け加えます。ただでさえ、好きな人が他の誰かとの惚気話をするのを楽しめるというタイプは少数派でしょう。
 まして、深い仲にあるなかで別の深い仲にある相手を褒めそやすことを聞くとなれば、相手と自分を比べられたような気がして傷つくでしょうし、嫉妬も湧くでしょう。精神的なダメージは少なくない。同じ女性として、相手の女性の気持ちまで察してしまいます。彼女は、宣孝に嫌われないため、まひろの文を褒めるしかなかったのだと。

 あまりに女心を理解しない、デリカシーの無さに「そういうことを殿はお考えにならないのでしょうか」となじるまひろですが、宣孝は「お考えにはならないよ。良いではないか。褒めておったのだから」と悪びれることなく、軽々しい言いようで返します。彼からすると、経緯はどうあれ、誉められたから結果オーライなのです。その褒め言葉に女の苦悩があるかもしれないとは、露とも思いません。何故なら、まひろの文が褒められ、自分が嬉しいからです。まひろも、相手の女もハッピーなはずと思っているのでしょう。

 彼の「お気楽」な性格は、物事を深刻に捉えすぎないという美徳がありますが、反面、あまりにも自己本位で他人への想像力がない面があるようです。先の貧しい民の子に対する冷淡な態度にしても悪気はありません。自分が富貴を楽しむことの埒外の存在に対して、まったく想像力を働かそうとしないのでしょうね。ですから、まひろは「お考えが浅すぎます」と腹を立てるより、呆れてしまいます。

 宣孝は頑ななまひろの態度にさすがに不味いと思ったのか、「わしは、お前のような、学に優れた女を妻にしたことを皆に自慢したいのだ」と本音を話し、宥めにかかります。自分のせつない純粋な恋心を告げれば、惚気たい自分の心情をわかってくれるだろう…この甘い目論見自体が自己中心的で何にもわかっていませんね(苦笑)

 ここには宣孝のいくつもの思い込みがあるように思われます。一つは自分が楽しければまひろも楽しい、価値観を共有できているというものです。精力的な中年男性は年老いても若い気でいます。ですから、身の程知らずにも若い女性と価値観を共有できていると錯覚しがちなのですね。
 もう一つは、女は誉めておだてれば喜ぶものだという老害全開の女性観です。性別に限らず、人は誉められば悪い気はしませんが、時と場合によりけりですし、雑な誉め方は逆効果、宣孝のような結果オーライは問題外。そもそも、まひろは、宣孝の文を他人に見せた行為そのものを問題視しており、結果なぞは二の次です。つまり、彼は女性の気持ちを汲むことなく、自分の気持ち優先で物事を進めているのです。

 結果、「ゆえにお前の文を持ち歩いて、あちこちで見せておる」と、新たな燃料投下をした挙げ句、「それほど自慢されて本望であろう?」と共感まで求めてしまいます。方々で文を見せている…まひろが夫だけに見せた生々しい心のうちが、世間に知られている。これは、夫婦の夜の生活が言いふらされているに等しいことです。人々が噂し、あることないことを思い描いていたら…土足で他人に心を荒らされる嫌悪感は筆舌に尽くしがたいでしょう。

 そもそも、宣孝は、送られた文をまひろの学才の表われと思っていますが、あれは、まひろの心そのものだということを失念していますね。ここでも思い出されるのは、道長です。彼は、まひろからの文を後生大事にそっと文箱に隠していますが、いつもその文字からまひろの想いを探っています。それは、為時の申し文をまひろが代筆したときも同様で、その意図を汲もうとしていましたね(第21回)。どうやら、宣孝が恋愛巧者であるのは、勝ち取るという駆け引きの上での話であって、相手の気持ちを慮るというレベルにおいては、道長のが上手のようですね。

 ともあれ、怒りと恥ずかしさが頂点に達したまひろは、遂に「殿に送った文、すべてお返しくださいませ。そうでなければ、お別れいたします」と最後通告をするに至ります。何が悪いのか、まひろが何を怒っているのか、さっぱりわからない宣孝は「なにを言っておるのかわからぬ…」と狼狽えます。そもそも、文が褒められた話をまひろが喜ぶとしか思っていなかった宣孝です。喜んだまひろが、「きゃー♡」と抱きついてきて後は…というのが青写真だったと思われます。ですから、「今日はお帰りくださいませ」とまで言われ、「まあまあ。怒った顔もかわいい」とご機嫌取りに出て「おやめください」とさらに火に油を注ぎます。こういうときは欲を捨て、さっさと帰るのが正解なのですが、諦めきれなかったのでしょうね(苦笑)

 「難しい女だ…せっかく褒めておるのに」と最後までわからないままの宣孝は、「これまでに送った文をすべてお持ちくださいませ。そうでなければ、お目にはかかりませぬ」という追い打ちの言葉を突きつけられ、途方に暮れて帰っていきます。まひろの扱いを思いあぐねたか、宣孝の足は遠のくことになります。

 この一件に関しては、明らかに宣孝の失策と思われます。おっさん特有の恋愛観、女性観をまひろに当てはめたアプローチも問題ですが、恋文、あるいは「書く」ことに対するまひろの心情に寄り添おうとも、理解しようともしなかったことが原因の主でしょう。ただただ自分の新婚の浮かれ気分だけを優先する自分本位な価値観が裏目に出たということです。
 次回、描かれるかわかりませんが、史実では、宣孝は最終的に紫式部の怒りに負けて、すべての文を返却しています。彼は、彼女の価値観は理解できずとも、それでも彼女に合わせて譲ろうとしたのですね。

(3)不実な夫婦の不毛な大喧嘩
 宣孝の足が遠のいてからも、まひろの生活はこれまで通りです。相変わらず、家刀自も勤しむ彼女は、今日も洗濯を干しています。私がやると申し出る、乙丸の妻きぬに「いいのよ、きぬは厨のほう頼むわ」と事もなげに返します。富貴を楽しむことではなく、日々の暮らしに幸せを感じる彼女の価値観が表れています。

 そこへ久しぶりに惟規が遊びにきます。未だ任官のない惟規に「父上がお戻りになるまでには、頼むわよ」と言うまひろに返事だけはよい惟規。まひろは思わず、「そういうとこ、素直なのにやることはやらないのだから、惟規は」と揶揄しますが、口の減らない惟規は「あのさあ、男のそういう痛いとこ、つつかないはうがよいよ」と逆に苦言を呈します。

 いつもの会話のようですが、実は惟規は、宣孝に新しい女に反物を買ってやっているところを清水の市で見かけてしまって、心配になり様子を見に来たのです。ですから、先ほどの苦言は、弟なりに姉の欠点を指摘したつもりなのでしょう。
 いつも、口答えをしては、頭の良い姉に理屈でコテンパンにされてきた惟規だからわかるのです。論理立てて相手を追い込むことに長けた彼女は、相手の反論を許さず、やり込めてしまいます。その強さが身を助けることもありますが、逆に嫌われるもとになる、独り善がりとして相手を不快にさせることもあったはずです。


 まひろが、その強さを発揮したばかりに、宣孝は他の女に気が向いているのではないかと思ったのでしょう。実際、「このところ、放っておかれてるの」と聞いた惟規は、躊躇したもののやはり伝えようと、来ない理由が「姉上よりもずっとずずーっと若い女」が出来たからと教えてやります。まひろは、驚き、「私だって宣孝さまよりずーっとずーっと若いのに。私よりもずーっとずーっと若い女なの?」と目を丸くします。自分に首ったけだった男が、あっさりとさらに若い女に乗り換えるという現実に呆然としています。
 本当は腹立たしいけど、聞かなかったことにすると物分かりのいい女になろうとするまひろに「宣孝さまのこと、一度、ひっぱたいてやりなよ。それでもあの御方は姉上のこと、手放さないから」と、本音をぶつけることを伝えて去っていきます。なんだかんだでお姉さんっ子ですよね、彼。


 惟規が返った後、まひろの顔は暗くなり、雷鳴が響きます。彼女の心に嫉妬の嵐が訪れます。宣孝相手ならば、嫉妬はすまいと高を括っていた彼女ですが、そうはなりませんでした。結局、文のやり取りは、この嫉妬心も絡み、「許す。許さない。」や「別れる、別れない」の言葉が繰り返される不毛なものになっていきます。彼女は、ありえなかった嫉妬心を持て余し、結果、致命的な大喧嘩を起こすことになります。


 ある日、久しぶりにやってきた宣孝は、安易ですが、いつものようにプレゼント作戦です。「これを見た途端、まひろに似合うと思うてな」と絹の反物を広げます。相手の魅力を一番、わかるということ、そして、離れていても思い出したということ、この二つのアピールです。一瞬、喜びかけたまひろですが、それが清水の市で買い求めたと知った途端に冷めた表情になり、「若い女子に反物を買われたついでに、私にも。ありがとうございます」棘のある皮肉で礼を言うと、さらに「多淫は身体によろしくないそうですよ」と、彼の気の多さを理屈と知識でなじります。
 ただ、当時の常識で言えば、宣孝と清水の女の関係を浮気と呼ぶのかは微妙でしょう。そもそも、まひろ自身が宣孝の妾。嫡妻やそれ以前からの妾から見れば、彼女こそ宣孝の浮気相手のようなもの。ですから、まひろの言葉は露骨な嫉妬心から出たとても嫌みな言葉ということになってしまいます。


 だから、逢って早々、嫉妬心を剥き出しにして、理屈と知識で問い詰めてくるまひろの遣り方は、宣孝からすると「かわいくないの…」でしかありません。何故なら、それほど学問に打ち込んでこなかった宣孝は、彼女に反論する材料がないからです。返答に窮した宣孝は、そんな知識を「誰に聞いたのだ?」とだけ聞きます。当然、そんな言葉が聞きたいわけではない彼女は「誰でもよろしいでしょ」とつっけんどん。ますますプリプリと怒れてくるといった感じでしょう。


 そんなまひろに「あの宋の薬師に聞いたのか?」と問うたのは、越前で見た周明にライバル心が少なからずあったからでしょう。「ええ」とどうでもいい感じのまひろの答え方も、彼には腹立たしいだろうと思われます。責められっぱなしで、せめて一矢報いないとプライドが傷ついたままだからです。そこで、「あの男とも怪しげであったの」と揚げ足を取り、お前こそ気が多くて、多淫の気があるのではないかと嫌味を返します。
 もうこうなると、売り言葉に買い言葉ですね。申し訳ないと思うどころか、開き直った物言いの宣孝に「嫌らしい勘繰りはなさらないでください!」と眦(まなじり)をあげてしまいます。


 ここまで言ってしまったところで、宣孝はさっと引きます。彼は仲直りのために、ここへ訪れたのです。ですから「そう絡むな。わしが悪かった」と調子は軽いですが、素直に負けを認めます。そして、ここまで焼き餅を焼いているのであれば、かわいがってやろうと思ったのでしょう。「せっかく久しぶりに来たのだ。もっと甘えてこぬか」と素直になれ、楽しもうと呼びかけます。まあ、これが、男の理屈による頓珍漢な反応であるのは、間違いありません。

 まひろが求めているのは、愛されていると実感することで、精神的に楽になれることです。つまり、自分の気持ちに寄り添い、わかってもらうことです。贈り物や睦み合うことは副次的な要素でしかありません。婚姻して当初は、宣孝の「丸ごと受け入れる」を実感して、幸せでいたのでしょう。自分の話をたくさん聞いてくれて、面白い話をしてくれる。もっともっと素朴なことをまひろは求めているのです。自分本位な愛情を押し付けていることに気づかない宣孝は、そこがわかりません。文を見せびらかした件から何も反省していません。

 ですから、上から目線で「甘えてこい」との言葉に、まひろは「わかっていない!」とますますヒートアップしてしまいます。元来が潔癖なまひろは、経済的は助けられていても、精神的な面では宣孝とも対等に向き合っているつもりだったのでしょう。まして、不実な態度の宣孝に、何故、私が彼を喜ばすような、しなを作ったり、媚びを売ったりせねばならないのか。たまりかねた彼女は「私は、殿に甘えたことはございません!」とまで言ってしまいます。


 これは宣孝にとっては致命傷でした。宣孝は、惚れた女性を大切にし、かわいがる、綺麗にする、喜んでもらう、こうしたことで自分のプライドを満たし、満足するタイプの人間です。甘えてくれる分にはどれだけでも甘えてよいのです。それで彼は満たされます。しかし、それをまひろは拒絶します。さらに今までも「甘えたことはない」と言うなら、この婚姻関係は何だったのか、今までの楽しかったことはなんだったのか、急速に虚しい気分が宣孝の胸を占めたでしょう。
 怒らせてしまったものの、こうしてやってきたのは、まひろが好きだからです(一途ではないですが)。にもかかわらず、理屈と知識で不実を徹底的になじられた挙句、詫びることも、罪滅ぼしに睦み合うことも許されそうにありません。八方塞がり、打つ手なし、プライドも壊された…この途方に暮れた様が、宣孝の本音でしょう。

 宣孝がわかってくれないこと、自分の嫉妬心、このことに腹を立てるあまり、まひろもいつしか、宣孝と同じく、自分の気持ちばかりで、相手を慮ることを忘れています。これは「丸ごと受け入れる」という宣孝の言葉に甘えすぎているということでしょう。
 その結果、まひろは、宣孝の見栄っ張りの部分の痛いところを突き、理屈と知識で不実を責めたて、これまでの婚姻生活での宣孝の心遣いも否定し、宣孝を追い詰めてしまったのです。惟規が、今のまひろの有様を見たら、だから言ったじゃないかというところでしょう。


 さて、追い詰められ、打つ手の無くなった宣孝は、そっぽ向くと、苦し紛れに「お前のそういうかわいげのないところに、左大臣様は嫌気がさしたのではないか」と、わざわざ最も踏んではいけない地雷を鮮やかに踏み抜きます。まひろは思考停止したように止まってしまいますが、ものすごい轟音が響いています。逆鱗に触れられた彼女の心のなかの音でしょう。
 言ってはいけない一言を言ったうえで、さらに「わかるな~」などとうそぶく宣孝…瞬間、彼の顔面と全身は灰まみれになります。怒り心頭を通り越して、完全にブチ切れたまひろが灰を彼になげつけたからです。

 いくらなんでも、これはいけませんでした。人には絶対触れてはならない領域があります。まひろの場合は道長との思い出のすべてが、それに当たります。彼と心の底から通じ合い響き合ったこと、嬉しくて哀しい睦み合い、「民を救う」という約束、それらは神聖な思い出として今も彼女を支えています。夫とはいえ、宣孝が軽々しく土足で踏み込めるものではありません。さらにこの思い出が、彼女の後悔と慚愧にもなっていることを忘れてはいけません。

 まひろは、道長を辛く哀しい選択をするように追い込んでしまったこと、自分の心からの思いに殉じて彼に委ねなかったこと、彼を深く傷つけたことをずっとずっと悔いています。また、自己肯定感の低い彼女は、自分がかわいくないと必要以上に自覚しています。だからこそ、心のどこかでこう恐れるのです。道長さまは、私が嫌いになったのではないかと。勿論、それが杞憂であることは理性ではわかっています。しかし、彼を深く思うからこそ、後悔は消えず、その恐れが拭えないのではないでしょうか。

 こう考えると、宣孝の「お前のそういうかわいげのないところに、左大臣様は嫌気がさしたのではないか」がいかに不味い言葉であったかがわかるでしょう。道長が一生の想い人、過ごした日々が大切という単純で甘いものではなく、彼女のアイデンティティにかかわる問題なのですね。


 ただ、宣孝の最後のやらかしは弁解の余地がない、下の下の下、アウト・オブ・ザ・アウトであることを大前提としても、まひろの側も相当に宣孝を追い詰め、傷つけ、禁断ワードを引き出したことも事実です。峻厳で潔癖なまひろは、父為時が危惧していたとおりに傷つき、そして過剰反応によって、取り返しのつなかいような大喧嘩へと発展させてしまったのです。
 ですから、先の文を見せびらかした件とは違い、どっちもどっちの側面があることも留意すべきです。二人はお互いに自分の価値観を譲れないものとして押し付け合っているという点では同じだからです。


 こうして、完全にまひろの元から宣孝の足は遠のいてしまいました。まひろは、書物を読むでもなく、心ここにあらずで、所在なげに無為に日々を過ごしています。彼女の心中は複雑です。自分は悪くない。宣孝が悪いのだと頑なに信じていることは、その固い表情が語っています。宣孝は、彼女の「忘れえぬ人」が道長であることを知っています。つまり、その叶えられなかった思いに秘められたさまざまな感情があることも理解しているはずです。「丸ごと受け入れる」とは、それごと受け入れるということでした。にもかかわらず、逆鱗を逆鱗と知った上で敢えて触れてきた。許しようがないことでしょう。

一方で、宣孝を失った喪失感も大きいものです。短い間にすっと入り込んできた宣孝は、たしかに彼女を受け入れ、物心ともに助けてくれました。勝手で無理解なところはあるにせよ、ただただ愛される喜びと安心感を彼は与えてくれたのです。「宣孝さまだと、おそらくそれ(嫉妬)はなく」(第24回)と思っていた彼女にとっては、大きな誤算でしたが、それが日々の生活の糧になっていったのでしょう。だからこそ、自分より若い女といたという惟規の話に驚き、嫉妬したのでしょう。居場所がなくなってしまったような。そして、この自分の嫉妬が、この取り返しのつかない大喧嘩の始まりです。彼女は自分でこの顛末を招いたのです。宣孝を許せない思いと、宣孝を求める思い、平行線をたどる二つの思いにゆえに、まひろは身動きが取れなくなっています。


そんなまひろの様子を察したのでしょう、いとが、打開策として「殿さまにお詫びの文をおだしになってはいかがでございましょう」と提案します。彼女にも後悔の念があると見たからです。しかし、まひろは無表情のまま「悪いのはあちらだけど」と強い言葉で拒否します。宣孝が先に謝るべきなのに何故、頭を下げなければならないのか、筋の通らない話です。

まひろの強情は今に始まったことではありませんから、いとは、めげずに「ご自分をお通しになるのもご立派でございますけれど、殿さまのお気持ちも少しは思い遣って差し上げないと」と今度は、夫婦喧嘩はどちらが悪いではなく、意地の張り合いにしかならないと訴えます。しかし、宣孝を許せない思いを処理できないまひろは、「どう思い遣れって言うの」と、方法がわからないと応じます。


譲れないと言うまひろの言葉には、プライドの高さが窺えます。だから、いとは「御方さまは賢くていらっしゃいますので、おっしゃることは正しいのですけれど…」と彼女の主張をある程度、認めた上で「殿さまにも逃げ場を作って差し上げないと…」と、その「正しさ」に宣孝は追い込まれてにっちもさっちもいかなくなっているのだと教えます。だから、正しい側が手を差し伸べるしかないのだと言うわけですね。許すのは勝者の権利なのです。しかし、頑ななまひろは、「なぜ…?」とそこまでしなけらばならない理由はないとまで言いますが、これはもう意固地になって、自分のなかにある宣孝への情を忘れようとしていますね。


まひろの「なぜ?」に対する、いとの答えは「夫婦とは、そういうものだからでございますよ」とシンプルです。それだけに「え」とまひろは振り向きかけます。彼女は、宣孝といて楽しそうに過ごすまひろを見ていますから、夫婦としての情はあるとみたのでしょうね。「思いをいただくばかり、己を貫くばかりでは、誰とも寄り添えませぬ」と、そろそろ宣孝に甘えるだけではダメだと諭します。

いよいよ、はっとしたまひろは「己を曲げてでも、誰かに寄り添う?」と問い返します。譲り合うこと、妥協することを「己を曲げる」としか思えないあたりが、まだ青いまひろですが、一歩前進です。いとは、「それが愛おしいということでございましょう」と優しく言い、好きならば、自分は彼になにができるのか考えてみては?と言うのです。愛おしければ、してあげたいというのが人情ですから。さすが、逃げ出した福丸を許し、仲良く過ごせるいとの言葉には重みがありますね。


 まひろは、宣孝の文を読み返します。それは「たけからぬ 人かずなみは わきかへり  みはらの池に 立てとかひなし」(意訳:立派でもない平凡な私が、非凡なあなたに腹を立てても勝ち目は無いね)というもの、随分と自分卑下しているこの一首を見ただけで、彼が必要以上に自信を無くし、落ち込んでいることが窺えるでしょう。まひろの側が、気持ちを何とか整理し落ち着けるしかないのですね。


おわりに
 まひろは、いとの助言と、宣孝がやってこない寂しさを抱えたことで、いつの間にか自分が宣孝を慕う気持ちが湧いていて、その嫉妬心から夫婦の危機を迎えていることに気づきます。さらに二人には、埋めがたい価値観の違いもあります。それらをどう譲り合い、妥協すべきなのか、それは単純なことではありません。改めて、彼女は多数の妻を持つ宣孝の妾になったことの難しさと辛さに直面してしまったのです。

 ここでまひろのなかで思い出されるのが、石山寺で出会った「蜻蛉日記」の作者、藤原道綱母、寧子です。思えば、彼女に言われた「妾はつろうございますから、できることなら嫡妻になられませ。高望みせず嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなされ」(第15回)とのアドバイスを結局、生かせず、彼女のように「命を燃やして」思う道長でもない男の妾になってしまったまひろです。ですから、今一度、、石山寺に行き、自分の思いを見つめなおし、あの場所で寧子の思いにも胸を馳せ、考えてみようと思うのは自然なことです。乙丸×きぬ、いと×福丸も連れて、一家総出というのが、まひろらしさです。

 一方、道長は、正攻法な政の限界、帝の中宮への執着に始まる内裏の混乱から、「彰子入内」という自ら手を汚す政を覚悟せざるを得なくなり、後へは引けなくなりました。その吉凶も見えず、起きるであろう権力闘争に不安を覚えているのが現在の彼です。ただでさえ、胃が痛むような政治判断をするなか、心の見えぬ娘、そして倫子との価値観の違いの顕在化という身内のなかでの不安も増してきています。彼もまた疲弊しきっています。
 彼が石山寺に来たのは、そんな迷いを祓うためなのかもしれません。

 ともかく、夫婦の危機を経験した二人は、石山寺で出会ってしまいます…前回noteで、まひろと道長のダブル不倫の末、、娘賢子(大弐三位)が産まれる「源氏物語」の藤壺コースという戯言のような予想を書きましたが、まさかもうこんな早く、その答え合わせが来ることになるとは…再来週からの展開に目が離せませんね。

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