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「光る君へ」第25回 「決意」 清濁を併せ呑む宣孝の強さに翻弄されるまひろと道長

はじめに

 自分の半生を振り返ることはあるでしょうか。大抵、自分のこれまでの失敗を思い返す、この手の振り返りでありがちな発想は、人生、どこで間違えたのだろうという問いかけです。数え始めるとキリがなく、原点を探ろうとすると細胞分裂からやり直すしかなくなるので止めたほうがよいのですが(苦笑)

 それにしても、人は何故、こうも自分の過去の選択を後悔するのでしょうか。いくつか理由があるでしょうが、その一つに選択そのものをしたくないときにしたというのがあるでしょう。言い換えるならば、選択せざるを得ない状況に追い込まれたときの選択です。自分の望むときに、自らの意思で選択したのであれば、その後の経過や結果については思うところがあっても、選択自体には後悔は少ないものです。

 しかし、状況や他人に追い込まれてした選択は、結果オーライでない限りずっと後悔することになるでしょう。だからこそ、人はしたくない選択にも、相応の努力をするのです。後悔したくないですからね。

 一方、決意という言葉は、選択という言葉よりも、非常に積極的なニュアンスが伴い、また覚悟を決めた、腹を据えたというような落ち着きを感じられます。しかし、実は選択とまったく同じものです。決意もまた「する」場合と「しなければらなない」場合があるからです。

 今回、まひろも道長もこれまでのやり方、これまで貫いてきた思い、そうしたものが通じない局面に立たされ、追い込まれています。そういうなかで仕方なく、手を汚す決意をしなければならない。つまり、タイトルの印象とは裏腹に、とてもネガティブな内容だと言えるでしょう。

 そこで今回は、二人は一体、何故、決意せざるを得なかったのか、そして彼らには何が足りなかったのかについて、政の状況と宣孝という人物との関りから考えてみましょう。


1.浮かれ具合に惑うまひろ

(1)まひろを送り返す父為時の心配

 アバンタイトル、為時はまひろを連れら越前和紙の工房へ。そして物語冒頭は租税として納められた完成品と特産である越前和紙の宣伝です。番宣番組「光る君へ 越前紀行」でまひろ×為時を演ずる吉高由里子さんと岸谷五朗さんが、この越前和紙の紙漉き、そしてこの和紙がいかに墨が乗るかも体験なさっていますから、為時の感心、その美しさに目を輝かせるまひろの様子には、演技に実感が重ねられているようにも見えます。

 ただ、この下りで重要なのは、租税として納められた規定の2000張よりも300張も多いということです。毎年、同じ量納められるという紙の束を見て、為時親子はこの余剰分を売り払うことで前任の国守たちが私腹を肥やしていたと察します。民の重税に心を痛める為時は、この余剰分を民に返そうと考えます。

 すると、ただでさえ和紙の美しさに惹かれ、「1枚くらいよろしいのでは?」とくすねようとしていたまひろ、「返すくらいでしたら何枚かわたしに…」とねだります。越前和紙に何かを書きつけてみたい!…まひろのなかにある「書く」ことへの衝動は、多くの辛い出来事、悩む女性たちとの交流を通して抑えがたいものになりつつあることが、ここでは仄めかされています。


 が、それが形になるのはもう少し先の話…物語はまひろのそんな思いより、民からの税を少しばかりいいだろうとくすねようとする娘の卑しさを嘆く為時の「それはならぬと言っておろうが。その考えは宣孝どのに吹き込まれたのか」と咎める言葉のほうに焦点が移ります。
 「宣孝に影響されている」…直面している婚姻問題をまひろはどうするのか、そのことです。為時の揶揄に「そのようなことはございません!」とムキになるまひろの顔は必要以上に怖く、為時は怯みます。勿論、宣孝のそういい加減さに影響されてなどいません。しかし、宣孝からの情熱的な言葉にほだされているのではないかという指摘は図星です、だから必要以上にムキになるのですね。まひろの心は揺れています。


 さて、紙漉き職人の長を呼び出した為時は、余剰分の紙を返そうとしますが、拒絶されます。役人からの報復を恐れるのであれば守る、厳しい租税は是正する、皆に徹底させるとの正論を説きますが、長は「お役人様に頼らねばできた紙をさばけず都へ運ぶこととてかないません。余分な紙はそのお礼」と、この搾取が、事の善し悪しとは関係なく長年続いている越前の流通と経済のシステムの根幹であると言います。間違っていても、それが魚心に水心、越前がうまくやっていける持ちつ持たれつだというわけです。

 万が一、為時がそれを変え一時的に彼らの生活がマシになったとしても、次の国守になれば元の木阿弥。4年任期の彼の正道は、土地に馴染まず、越前に混乱を招くだけ、つまりは為時の自己満足にしかならない。長はそれを指摘すると、跪いてまで「どうぞ今のままにしておいてくださいませ」と懇願されてしまいます。
 為時は、自分が政の理想と理念だけを見ていて、その土地柄と住む人を見ていなかったこと、また国守という立場の限界という現実を思い知らされます。

 彼らのための政をするには、高いところから正論を振りかざすだけでは意味がなく、彼らのなかに分け入り、彼らの理屈に自分を馴染まなければなりません。しかし、それはときに悪習を見逃し、それどころか自身も受け入れ、手に染めることになるだろうことも意味しています。
 そこまでして、初めて彼は本当の意味で人身掌握できるのです。宋人に対抗するために一丸とならねばならないと自ら口にした為時には必要なことかもしれません。勿論、私利私欲に走るのは問題外ですから、その匙加減は難しい。為時は国守として岐路に立たされているのかもしれません。

 以前のnoteにて、道長の都の政と為時の越前の政は相似の関係にあるとしましたが、為時の状況は、道長もまた今のやり方に行き詰まることを示しているかもしれませんね。


さて、宣孝からの恋文に揺れ、気もそぞろに月を見上げるまひろに、「わしは世の中が見えておらぬ」と声をかける為時は意気消沈しています。越前の暗部に踏み込むだけの覚悟と力があるのかと悩むからでしょう。それゆえに自分とは対照的に筑紫では「土地の者どもと仲よくやれば、懐も膨らむ一方」(第21回)だった宣孝を羨ましく思うのです。彼は郷に入れば郷に従い、自らの利を追求することにもまったく逡巡がありません。

 しみじみと「宣孝殿は清も濁も併せ飲むことができるゆえ太宰府でもうまくやっておったのであろう。お前もそんな宣孝殿に心をとらえられたのか」と語る為時に、すかさず「まだ捉えられてはおりませぬ」と返すまひろですが、為時は、前回、まひろから「道長との恋愛は好きすぎて苦しかった」「大真面目に結婚を考えなくてよい」「楽になれる」といった本音を聞いています。ですから、宣孝の四角四面に捉えない、いい加減さ、「お気楽で楽しい」(まひろ)になびき始めていることを感じています。

 だから「まめに都から文を寄越しておるようではないか」と、そうでもなかろうとばかりに話を振り、「こんなに筆まめな方とは知りませんでした」とまんざらでもない娘の様子を感じとると「都へ帰って宣孝の思いを確かめてみよ」と、遂にまひろを自分の手から離す決意をします。
 娘の気持ちが都にあるならば、それに添うようにしてやるのが親心です。また、先ほどの越前和紙の一件もあって、堅物の自分の元にいては、これ以上は幸せになれないとの思いもあるでしょう。

と はいえ、自分に似た堅物ゆえに心配もあり「ただこれだけは心しておけ」と改めて釘を刺すと「宣孝どのは妻もおるし、妾も何人もおる。お前をいつくしむであろうが、ほかのおなごもいつくしむであろう」と、貴族社会の婚姻の常識、しかも妾の立場とは思っているよりも大変であると諭します。
 さらに言えば、プレイボーイの宣孝の女性の愛し方は広く、満遍なく、どの女も大切に扱うというもの。一途に道長を慕ってきたまひろのそれとは、まったく違うものです。友人と娘、二人ともをよく知る為時だけに、その価値観のズレは、まひろを苦しめるように思われるのでしょう。

 最早、止められないとわかるからこそ、為時の言葉に頷くまひろに「お前は潔癖ゆえ、そのことで傷つかぬよう心構えをしておけよ」と精一杯の言葉を手向けます。こうして、まひろは一年ぶりに都に足を入れることになります。


(2)周りの幸せに当てられるまひろ

 為時の言葉を受け、宣孝の真意を探るために帰京するまひろ、、道長以外の恋愛経験のない彼女は、熱烈なラブレターが次々贈られてくるという未知の体験に翻弄されています。その筆まめに戸惑い、ときに宣孝の笑い声が聞こえるかのような文に思わず笑てしまっています。プレイボーイの彼の言葉を耳半分に聞いていたとしても、継続は力、まんざらでもない気分にさせられてしまうのも仕方がありません。

 しかし、だからといって都で政を行う道長への想いが色褪せているわけではなりません。ですから、帰路の船のなか「誰を思って都に帰るのであろう」と物思いに耽るのです。


 まひろの帰宅に待ちわびたように乳母のいとが飛び出します。勿論、弟の惟規もいます。会った途端に「父上と喧嘩でもした?」と軽口を叩くのも相変わらずです。すかさず「勉学は進んでいるのかと父上が心配していたわよ」とやり込めるまひろ。「離れていてもうるさいな」と惟規が首をすくめるまでが、姉弟コントです。

 しかし、まひろが帰宅して驚いたのは、いとに恋人ができたことでした。思わず、「帰ってこないほうが良かったかしら!」と言ってしまったのは驚きゆえです。もっとも、母が殺され、直秀の無残な死を見届け、今や左大臣となった男と恋愛をし、宋人に脅迫をされ…と結構、波乱万丈な半生のまひろが、いとに恋人ができたことが「この驚きは上から三つめぐらいかしら」というのは、さすがに笑ってしまいますね。まひろのなかでは「驚く」の基準がバカになっているのかもしれません(笑)

 まひろがそこまで驚くのは、いとには、これまでそんな素振りもなかったからです。ただ、彼女がそういう相手を作って来なかったのは、一重に為時への憧憬があったからです。一時は為時の妾に嫉妬していたくらいです。「いとは俺だけいればいいかと思ったんだけど…違うんだなぁ」とは惟規の弁ですが、為時という憧れの対象が傍を離れた今、普通に他の男性に目が行くようになったのでしょう。まひろと道長の関係にもすぐに気づいたいとは、割に恋愛体質なのかもしれませんね。

 この福丸、他に妻もいて、いと曰く「たまーにたまーにくるだけ」とのことですが、まひろの旅の荷物の片づけを二人して、「♪お荷物、お荷物、お荷物、お荷物~」と口ずさみながら合いの手を入れて働いているのを見ると仲は良好です。


 また、乙丸もまた伴侶を得ました。越前からウニ取りをしていた海女のきぬを連れてきたのです。前回の、まひろを守るために過ごしていたら結婚する余裕がなかったという乙丸の告白に、彼にも幸せになってほしいと思った視聴者も多かったと思います。こちらの仲も良好で、役宅を案内する乙丸に「お疲れではありませんか」と気遣うきぬ。「お前のほうこそ」「私は身体が丈夫ですから」というやり取りが微笑ましいですね。


 自分を見守ってくれていた大切な家族に急に伴侶ができたことは驚きですが、一気に賑やかになった役宅を見て「世話になった人には幸せになってもらいたい」と惟規に話します。二組の幸せに当てられたまひろは、帰京時の悩みを忘れています。そこへ見計らったように宣孝が「待ち遠しかったぞ!」と酒をもってやってきます。
 送られてきたラブレターの効果、役宅に満ちた幸せな空気感、そして宣孝本人からの熱い眼差しに、まひろもはにかんだように笑ってしまいます。そうか、こういう幸せに浸ってよいのか、その心地よさには、抗いがたいものがあるのだと思います。「世話になった人には幸せになってもらいたい」は本心ですが、その裏には自分も癒されたいという思いが隠されているのでしょう。

 その後の役宅での祝いの席でも、宣孝は陽気です。彼が歌っているのは、催馬楽(さいばら)という古代歌謡の一つ「河口」です。仲良い夫婦二組も幸せそうです。宣孝は、朗々と歌い上げながらも扇子で使ってまひろに惜しげもなく色目を使いまくります。その大胆さにまひろは嬉し気な照れ笑いが隠し切れません。道長との関係にはなかった楽しさ、嬉しみを宣孝は与えてくれます。
 また彼の振る舞いからは、真剣な思いも伝わってきてそれも心地よいのでしょう。遠くの届かぬ「忘れえぬ人」よりも、近くで触れることのできる彼…まひろの心は徐々に宣孝になびいているよう思われます。


 ただ、事情を知らない、このなかで実はただ一人相手のいない惟規は、まひろと宣孝の様子に違和感を覚えています。先ほど、宣孝に挨拶した際もガン無視され、宣孝の目はまひろに注がれていました。え?このおっさん、姉さんに何?と言ったところでしょう。惟規の素直な反応は、視聴者を冷静にしてくれますね。すっかり宣孝にほだされているまひろは、この婚姻でよいかのか、そう投げかけているようにも思われます。

 まひろが本当に宣孝を選ぶべきなのか、この点について示唆的な発言をしたのが、いとです。大水の被害は、まひろの家も例外なく襲いました。幸い、家自体が破壊されることはなく、泥水を掻き出し、片付けを総出で行っています。そんななか、鴨川の様子を見て戻ってきた福丸を労ういとは、「一休みしたら、あちらの庭の泥さらいもお願いね」と気軽に頼み、福丸もそれに笑顔で答えます。

 その阿吽の呼吸を見たまひろは「よく尽くすのね~。福丸は」と感心しきり。いとは、真顔で「この人は私の言うことならなんでも聞きます。そこがよいのでございます」と答えます。その言葉に、「へえ」となったまひろは。恐る恐る。でもいたずらっぽく「惚気てるの?」と聞きます。

 すると、いとは「惚気てるわけではございません。私なりの考えでございます」と、単に感情に走って、男を選んではいないと言いきります。彼女は、最初の家族を亡くし苦労し、またまひろの家に来てからも貧しさゆえに、彼女は相当苦労しています。それだけに、生きていくために一番大切なものに対しては一家言あるのです。

 いと曰く「皆、歌が上手い男がよいとか、見目麗しい男がよいとか、富がある男がよいとか、話の面白い男よいとか言いますが、私は何もいりません。私の言うことを聞くこの人が尊いのでございます」と。
 歌が上手いというのは教養があるというよりも情熱的ということでしょう。見目麗しい…単にイケメンというよりも女性を惹きつける色気かと。富がある、話が面白いはまんまですね…とここまで並べたら気づきませんか??この条件をすべて満たしているのが、宣孝だということに(笑)
 つまり、いとは伴侶の条件として、宣孝の持つ魅力は一つもいらないというのです。

 いとにとって大事なことは「私の言うことを聞く」だと言います。これは、いいなりになる男という意味とは少し違うでしょう(まあ、それはそれで欲しいと思う女性陣は多そうですが)。ここでいとが言いたいのは「自分の気持ちが通じ、それを汲んでくれる人」ということではないでしょうか。それは、大切なときに自分の気持ちに寄り添えるということも含んでいるかと思われます。
 福丸はこの災害時に妻がいながらも、いとのもとに駆けつけているのですから、そういう人だと言えるでしょう。そして、為時に憧れたのも学才ではなく、貧しさゆえに出ていくといった彼女を引き留めた優しさの部分だったと思われますね。


 いとの言葉を見ていくと、まひろにとって「私の言うことを聞く」は、道長しかいません。肝心なときにすれ違ってしまう人ですが、それは向き合い過ぎているからです。道兼を恨む自分を信じると受け入れてくれたとき、直秀を失い、その遺体を二人で埋めたとき、まひろの書いた申し文と気づいて父を越前守としたとき…思えば、いつも道長はまひろの願いを思っています。
 そして何より、彼はまひろの「言うことを聞」き、彼女の願いを叶えるため、「民を救う」政を仕様と努力しています。果たして、宣孝はそういう男でしょうか。
 いとの言葉は、視聴者に対して、まひろが誰を選ぶべきか、仄めかしているよう思われます。

 もっとも、肝心のまひろは「そうなの~」という反応だけ。話聞けよ…と思わなくもありませんが。それだけ、宣孝の熱意にほだされ、その心地よさに身を任せたくなっているのでしょう。しかも、「丸ごと受け入れる」というならば、「私の言うことを聞く」気がしないでもありません。しかし、宣孝はまひろの気持ちとは裏腹に、彼女をものにするため実力行使に出ます。


2.公明正大の政が招いた鴨川の失策

(1)道長を導く安倍晴明の助言

 宣孝の話の前に道長の状況を確認しておきましょう。

 明けて新春、帝の御前に参上した安倍晴明は、「新しい春を迎え、帝の御代はその栄えとどまることを知らず、と天地(あめつち)の動きにも読み取れまする。まことめでたき限りにございます」と一条帝を殊更持ち上げる祝いの言葉を連ねます。真に受けて「うんうん」と笑顔で頷く右大臣顕光とは対照的に伏し目がちの左大臣道長の表情には何もありません。晴明のあからさまな大言壮語をしらーと白けた心持ちで聞き、御前で波風を立てないようにしているに過ぎません。

 どんな状況であろうと新年の事始めに縁起の悪いことは言うものではありません。気分に関わらず、謹賀新年、賀正と言祝ぐのが世の常。官僚である晴明もまた儀礼的に帝に奏上したに過ぎません。
 政務の現場、その陣頭に立つ道長にはそうしたおためごかしは不要です。晴明に期待するのは、星読みによる吉兆の情報という実益です。為政者としては新年であっても、目の前の現実のほうが大切…この辺りに道長の実直さと無私という美徳が表れていますが、気を抜けないその精神状態がいささか心配にもなります。

 現実を知りたい道長は人払いをして晴明と二人きりになります。「何事でございますか」と問う晴明に動じた様子はなく、訝るふりをしているだけとわかります。かつての兼家との蜜月を思えば、いよいよ来たかと内心喜んでいるやもしれません。
 そうした駆け引きに関心のない道長は単刀直入、「仰々しく新年を言祝いでおったが、まことのようには思えなかった」と真意を問います。「見抜かれましたか」という言葉に嬉しい響きが混じるのは、道長が権力を握ったからといって浮かれることもなく、また自らの腹を見てとった…つまり為政者としての資質を感じたからでしょう。

 「やはりそうか」と淡々と受け止める道長に「これからしばらくは凶事が続きましょう」とここは晴明、真顔で答えます。訝るように「凶事とは何だ?地震か、疫病か、火事か、日食か、嵐か、はたまた大水か?」と問いますが、そこにはいかなる事態にも向き合おうとする静かな覚悟が窺えます。短期間で政変をはじめ、思わぬ事態に対処してきたことで道長は確実に為政者として成長していると言えるでしょう。
 ですから、晴明の「それら全てにございます」との衝撃的な言葉にも、悩ましい表情はしても大きくは動じず「ならば、それらを防ぐための邪気祓いをしてくれ」とすぐに冷静に対策を頼むほうへ意識が向かうのです。

 ところが晴明、それには答えず、一拍置くように庭の側に向き深刻な顔つきで「災いの根本を取り除かねば、何をやっても無駄でございます」と話題を転じます。彼は問題は天災ではなく、政治の根幹にあると進言しているのです。
 「根本?」と聞き返す道長に対する「帝を諫めたてまつり、国が傾くことを妨げるお方は左大臣様しかおられませぬ」との言葉には、定子を職御曹司に迎えて以来、政を疎かにする帝とそれを案ずる貴族らの不満が、道長の政を揺るがしているとの的確な指摘がありますね。内裏で噂など裏工作に長けている晴明ですから、こうした情報収集と分析はお手のものでしょう。


 興味深いのは、天文博士にして暦にも長け、災害を予測する晴明が、天災を凶事にするのは人間である、つまり政であるとの認識を示していることですね。
 ご存知のとおり、近年は異常気象により、日本各地でも予期せぬ、あるいは予想以上の災害に見舞われています。天災による悲劇がクローズアップされがちですが、検証していくとまず事前の対策が十全でなかったことが被害を拡大させたことがまま見受けられます。つまり平時の行政のあり方が問われます。

 また、災害後の迅速な救護、支援活動は政治の問題です。これらが二次被害と大きく絡みます。そして、復興のために資金、人材をどれだけ投入するのかも大切です。にもかかわらず、これらが適切に行われず、私利私欲にのみ走る政治になっていることは周知のことでしょう。晴明は、そうした現実を見越し、帝の厭世的な言動を問題視しています。


 加えて、晴明は、そもそも道長が、御前での言祝ぎの言葉を疑った理由を看破しています。帝に頭を悩ませ、苦慮しているからこそ、晴明に助言を請うたのです。晴明は道長の悩みの種の根幹が何かを理解して、返答をしています。
 兼家と晴明は謀略パートナーでしたが、晴明が策を講じるのは、兼家の悩みに答える形が多かったことが思い出されます。陰陽師とは、技術者であり科学者ですが、それを使ったカウンセラーでもあった。その側面が、本作の晴明の造形にも反映されているのでしょう。道長の悩みが手に取るようにわかっていると思われます。
 カウンセラーであれば、人の心理の原因を突き止め、それを操ることも可能です。「政をなす人の命運を操る」とは、こうした心理操作も大きいのでしょうね。

 果たして図星を指され、政の問題へと凶事の予測を返された道長はわずかに苛立ち「私にどうせよと申すのだ」と核心を問います。晴明の物言いに含みがあることは読めるようになった道長ですが、勿体ぶった物言いには翻弄されてしまいます。悩みの種である帝について誠心誠意を尽くし、打つべき手は打ち、帝に譲歩してもきた彼からすれば、これ以上どうしろと?というのが本音だからです。


 勿論、晴明が十分に道長の本音を引き出すのは、弑虐的な楽しみも半分あるように思われますが、それ以上に自身のアドバイスが最大限にそして効果的に響くようにするためです。処方箋は患者の同意が大切ですから(笑)
 そして、とっておきの秘策を授けるように「よいものをお持ちではございませぬか。お宝をお使いなされませ」と告げます。雲をつかむような助言に「はっきりと言ってくれねばわからん」と答える道長は、まだ若く、真っ直ぐな性格ゆえに父のように腹芸を楽しむ余裕はありません。

 そう言われてもなお晴明は「よう…よーくお考えくださいませ」と真顔で言うと彼を置いて、さっさと引き下がります。


 多くの視聴者が察したとおり、晴明が言う「お宝」とは、道長の長女彰子のことです。晴明は、帝が政を疎かにする原因が「定子が中宮だからである」と考えているのです。これは、単に帝が定子へ入れ揚げていることだけを問題にしているのではなく、出家した女がいつまでも中宮の座に居座り続けていることが内裏を混乱に招いているということです。言い換えるなら、中宮という政治的システムが機能不全を起こし、帝というシステムを機能不全としているということです。

 システムの健全化のため、新しい中宮になれる女御を入内させる。しかも、それは道長が政をするにおいて、十二分に機能する存在でなければなりません。彰子が道長に従順であるか否かではなく血統の問題です。他人の娘では帝へのプレッシャーにもならないことは、義子と元子が証明していますから。

 しかし、政を私事にするかのようなこの策を道長は好まないでしょうから、この場で具体的に献策したところで拒絶されるだけです。また、安易にそれを受け入れるようなら、兼家あるいは道隆と同じ轍を踏むでしょう。
 ですから、道長自身が悩み抜き、政のためには自身が手を汚さなければならないことに気づき、決心するのを待つしかないのです。自分の意思を曲げ、夫婦が最も嫌った娘を道具とすることに自分が納得しなければ、この秘策は効を奏しません。迷いは不幸を重ねますから。

 晴明の突き放しには、かつての政治的パートナー兼家の秘蔵っ子道長を導くようなニュアンスが感じられますね。老いてなお晴明は「この国の未来」のため、若き為政者に問いかけるのでしょう。勿論、道長ならばいずれ、自分の真意に気づくとの信頼もあります。



(2)原理原則の限界

 晴明から凶事の予測を受け、道長はまずは洪水対策として鴨川の治水に乗り出します。占いに頼りきらず具体的な対処を試みるあたりが現実主義の道長らしい差配であり、為政者としての資質です。民を思わず、ただ祈祷だけを疫病対策とした兄道隆との執政と対比的に描かれています。

 しかし、その施策はのっけから頓挫します。帝からの許可が下りないからです。彼は道隆の専横による政の歪みと愚かさと不幸を目の当たりにしてきました。私欲のあるなしに関わらず、為政者が独り善がりになることには弊害があるのです。ですから、晴明に「あなたさまに叶う者はおりませぬ」と言われるほどの権力を得ても、その行使には抑制的です。


 陣定を重視し、帝の許可を得るという原理原則を頑なに守っています。法とは権力者の横暴、身勝手を抑止するためのものです。権力者が自分の都合で勝手な拡大解釈をするためのものではありません。近年は法を無視している政治家もよくいますが。

 しかし、今回はその帝を立てる原則を守る王道政治が、逆に道長の足を引っ張ります。政策の許可が下りないためです。報・連・相が機能していないのは、帝が内裏に不在、職御曹司に入り浸っていることが原因の一端です。晴明がしたとおり、天災を凶事としないようにするには、政を行う人が問題になるのです。


 「鴨川の堤の修繕について、勅命はまだ下りんのか!」と苛立つ道長の様子からは、この事案に関する裁可の催促が何度もされていることが窺えます。「帝は急ぐには及ばずと仰せにございます」と申し訳なさそうに、取次役である蔵人頭行成が答えるのを「大水が出てからでは遅いのだ!」と道長は思わず声を荒げると「ち、すぐ取りかからねば…」と思案するよう独り言ちます。
 行成は「そのことも申し上げましたが長雨の季節でもあるまい、と仰せになって…」と取りつく島もない様子を伝え恐縮します。行成も事態は理解していますから、道長の真意を汲み進言はしたのですね。その返答に「く…あれほど民のことをお考えであった帝が情けない…!」と一瞬、口をへの字にして苦り切ります。


 原因が定子であることはわかりきっていますが、口には出しません。彼女を職御曹司に招じ入れたのは、行成の提案を飲んだ道長の判断だからです。帝と女院の頼みに屈した自分に責任があります。今さら悔いて仕方ありません。台無しにしたのは帝が自身を律しないことにあります。とはいえ、やれることはなく「一刻も早くお上のお許しを得よ」と再び、行成に頼むしかありません。

 ここで「叔父上、たまには狩りにでも参りませんか」と現れたのは、隆家です。伊周の弟たる彼は、大赦により許されて後は急速に道長への接近を図り、売り込みに余念がありません。この忙しいときに、道長に狩りに誘う発言をしたのも、根を詰めないようにという気遣いを示すためです。
 道長は、あからさまなへつらいは取り合わず、「そなたは職御曹司にはいかんのか?」と他意なく返します。今の事態は帝の未熟であり、職御曹司にいる定子自身、そしてその親族には責任はありません(道長は伊周が再び野心を抱いていることは知りません)。だから特に揶揄はないでしょう。

 すると、隆家は「あそこは虚ろな場でございます。そもそも遊びよりも私は政がしたいのでございます」と言い切ります。ここで思い出されるのは、香炉峰の雪遊びのとき、帝と中宮、公任らが楽しむなか、隆家一人だけが加わらず冷ややかに酒を飲んでいたことです(第16回)。中宮定子の権威を高め、中関白家の反発を削ぐため、母貴子が始めた登華殿サロン。
 実利、実績の伴わない融和策は、力を持て余す隆家にとっては自己満足にしか見えていないこと、その冷静さについては、以前、note記事で触れたとおりです。当然、そこに嬉々として入り浸りサロン形成の一翼を担う兄の姿は奇異なものに映ったでしょう。

 中関白家が凋落した今、その意向に従う必要はありません。彼は己の立場、なしたいことを名言したのです。中関白家を揶揄し、この難事が山積するなかで「政がしたい」という甥の意外な気概に、道長は目を丸くします。

 叔父が興味を持ったと見た隆家、ここぞとばかりに出雲では土地の者と上手くやれたことを喧伝し、「こう見えて人身掌握に長けておるようで」と自画自賛、自己アピールをします。隆家に関しては、前回のひどく早い帰京もあり、どうにもきちんと出雲に赴任していない可能性があるのですが、一時的に出雲にいた頃は上手くやり、留まった但馬でも上手くやってはいたのでしょう。これまでの描かれ方を見る限り、隆家は起きたことを後悔せず、その状況を受け入れる、あるいは楽しんでしまう柔軟さと豪胆さがありますから。

 また、この場の自画自賛も悪くはないでしょう。生き馬が目を抜く政の世界、謙遜したところで誰も誉めてはくれません。出来るときには自ら売り込むのは賢明です。さらに隆家には不遜なところはあっても嫌みや卑屈がないのはポイントの高いところ。

 ですから、道長も「己を買い被りすぎではないか」と笑って返します。言葉は辛辣ですが、そこには好意的なからかいが混じっています。「買い被りかどうかお試しくださいませ。必ず叔父上のお役に立ちまする」と道長のからかいを逆手に取り、ニヤリと笑う隆家の返し方も上手いですね。その気概を確かめると、道長は「気持ちはわかった」と応じ、隆家も懲りずに「また参ります」と答えます。

 二人のやり取りからは、今の道長に必要なのは、隆家の悪びれもしない自由さ、起きた出来事に柔軟に対応する強さかもしれません。隆家との会話場面前の道長と行成の会話には重苦しい閉塞感がありました。それは、温厚で生真面目な性質の道長と行成では、思いきった打開策が出てこないからです。
 しかし、良くも悪くも破天荒な隆家は枠にとらわれない点に強みがあるようです。おそらく、中関白家の政が恨みを買うとの自覚があった彼には、政に正道も邪道もないのではないでしょうか?清濁を飲み込み、実利と実績…結果を重んじる彼の思考は、大胆な策を生み、どこかで道長の利益になるように思われます。


 さて、真面目な行成もただ正攻法で帝を説得できるとは思っていません。母である女院の力を使う搦め手を使おうと考えたのです。母に弱い帝には効果的とも思えましたが、詮子は再び重病。「まさかここまで…」と行成が驚くほどの病状では引き下がるより他ありません。

 落胆した行成は、打つ手なく夜分の職御曹司へ推参、「帝はお休みでございます」と申し訳なさそうにする清少納言に「左大臣さまから一刻の猶予もならぬと仰せつかっております。何とぞお目通り願いたく」とすがるも、突如、現れた帝に「この時分まで朕を追いかけ回すようなことをして無礼であるぞ!」と叱責、まるで聞く耳を持ちません。行成はすごすごと帰るしかありません。

 翌日は政を省みない帝についての報告ですが、案の定、一刻の猶予もない道長は、怒り心頭の様子を隠しません。行成は「引き続き帝にはお願い申し上げます」と言うしかありません。「ふぅむ」と不満げな道長ですが、勿論、行成を責めているのではありません。しかし、道長の役に立ちたい、帝への敬意もある行成には、どちらに対しても申し訳ない気持ちで恐縮しつつ、退出します。
 ただお願いするとは言ったものの、詮子が倒れた今、万策尽きたようならもの。解決の糸口すら見つからない行成の顔色は冴えません。中間管理職の悲哀が、困り果て、鬱々とした行成の様子に表われ、居たたまれない思いにさせられます。今回、ある意味、もっとも胃の空く思いがしていたのは行成かもしれません。


 ともかく、周りの意見に聞く耳を持たない一条帝の有様は、いたずらに政務を滞らせ、公卿らの反発を招きます。例えば、実直を絵に描いたような実資は、職御曹司に入り浸る帝の政を省みない様子へ不満と怒りを、婉子の助言どおりに日記にぶつけています。しかし、「帝ははなはだ軽率である。中宮は恥を知らんのか」と日記に綴ってみたものの、実資の怒りは収まりません。「非難すべし、非難すべし…」と繰り返すうちに、文字まで乱れていきます。
 そして、飼っているオウムまでが「すべし!」と鳴いているということは、オウムが彼の口調を覚えるほど、不満や怒りを日記に書きつけることが増えているということの表われです。今日が初めてではない、それは政務の滞りが深刻化していることを示しています。

 「その狩衣の下は「土スタ 『光る君へ』特集in京都」で秋山竜次くんが来ていたメルヘンチックなベストかな」などというツッコミを許さないほどに、実資の憤懣やるかたない様子は鬼気迫るものがあります。因みに実資邸のオウムは、献上品のオウムとは声が違いますので、おそらくはオウムに興味を持った実資が個別に買い求めたものでしょう。


 出家した定子が帝を惑わしている…という悪評は、実資のみならず公卿全体の認識となっています。早朝からの大雨で鴨川が増水するなか、公卿の部屋に詰めていた公季が、右大臣顕光らに「中宮さまが職御曹司に入られてから悪いことばかりです」と嘆息していることは象徴的です。帝は定子に「誰にも何も言わせぬ」と言っていますが、結局、彼の定子への過度の寵愛は、定子が危惧していたとおり、その立場を危うくするものにしかなっていません。

 そして、一部の公卿らの不満は「左大臣が帝にきちんと意見を申されぬゆえ、帝はやりたい放題なされておる」と道長へも向けられていきます。彼が帝との顔を窺うばかりで、確固たる意思で政策を実行しない、その優柔不断さが問題視されるのも致し方ないところでしょう。ただし、彼らは彼らで、それを道長に面と向かって言うことはできません。陰で文句は言っても、陣頭指揮を執る度胸も責任感はないのです。ただ励ましにきたと愛想笑いして帰る顕光なぞは問題外ですが、孤立無援の道長は深いため息をつくだけです。

 定子に溺れ怠惰な帝、思うようには動いてくれない公卿ら…求心力を失いつつある道長は、結局、行成は勅命を得られず、帝の裁可を待っていたばかりに取り掛かりが遅れた鴨川の堤の修繕は間に合いませんでいた。大雨のなか、鴨川は氾濫し、大惨事を起こし、多くの人の命、生活の糧となる田畑が失われます。それでも、道長は泣き言を言わず、事後処理に奮闘するしかなくなります。

 このように道長の公明正大に政を行おうという志は、理想にこだわった道長の柔軟さに欠けた対応、なによりも裁可をくだす帝のわがままによって、限界を迎えつつあります。政は、その危機においてこそ、その成果を発揮します。これまで、人の善意と信頼と運で成り立ってきました道長の政は、岐路に立たされ、試されていると言えるでしょう。

 現実は道長に正論や王道以外の道の選択を迫っています。その一つが、晴明の言う「お宝を遣うこと」、道長が最も嫌った娘の入内です。道長が手を汚すことを、時代が求めています。


3.職御曹司の憂鬱

(1)定子の諦観

 さて、ここで道長の頭を悩ます。職御曹司の状況を追ってみましょう。当初は人目を憚り、夜半に職御曹司に忍んで渡り夜明け前には帰っていた一条帝でしたが、今やタガが外れ、大胆にも昼過ぎでも入り浸るようになったようです。これは完全に「源氏物語」の桐壺帝と桐壺更衣の関係が意識されていますね。「桐壺」の序盤、高校古文でも扱う「大殿籠り過ぐしてやがて候はせ給ひなど、あながちに御前去らずもてなさせ給ひし(意訳:お寝過ごしになってそのままお仕えさせるなど、むやみにおそばを離れないように扱われている)」の部分、まんまと言ってよい描写です。まさか、まひろはこれを誰かから人伝てに聞いて、「源氏物語」に反映させるのでしょうか。

 前回note記事でも触れたようにこれは、主に二つのことが原因です。一つは一年半ほどずっと逢えず、心を痛め続けた反動です。もう一つは定子に苦難を強いる裁可を下した自らの政に絶望したからでしょう。こちらは深刻で帝は自らの政で定子を失うことを極度に恐れているのです。つまり、彼は定子への強すぎる愛情を満たし、再び定子を失うことへの恐怖を慰めるため、定子から一時も離れられず、政は忌避すべきものとなったと思われます。


 帝は臥所にて定子を抱き寄せ「内裏におった頃のように、皆が集まれる華やかな場を作ろう」と囁きます。彼にとってもっともプライベートが充実していたのは、登華殿サロンのあのときです。定子が笑うだけですべてが華やぎ、帝も中関白家一同も若き貴族たちも雅やかな世界に耽溺できたあのとき、あの場所はかけがえのないものだったのでしょう。たった数年前であるというのに遠くなったその日を帝は懐かしむのです。
 ただし、登華殿サロンとは帝と定子の美しい思い出の反面、道隆の専横を支える貴族らの懐柔策という謀の一環でした。彼らの雅やかな遊びと疫病で苦しむ民は登華殿サロンの表裏であるとすれば、その華やかさは空々しい中身のないものです。「虚ろな場所」という隆家評は言い得て妙です。そして、そんな昔を懐かしむ帝の思いは過去にあります。現実と未来を見ない後ろ向きの発想でしょう。

 しかし、帝の申し出に定子は彼のなすがままにされながら「もうかつてのようなことは望みません。私と修子のお側にお上がいてくださる…それだけで十分にございます」と静かに応えます。
 精神的に追い詰められた末のこととはゆえ、自身の短慮による突発的な落飾で、定子はドン底に落ち地獄を見ました。人々の温情により、ただこうして帝と逢えるだけで、そして今の生活が守られれば贅沢は言えないと現実を見据えています。彼女にあるのは修子との今であり、修子の未来です。実は抱き合いながら、二人は真逆の方向を向いているのです。

 そんな定子の現実的な見方を弱気と見た帝は勝手に憐れみを抱いたのか朕はそなたを幸せにしたい。華やいだそなたの顔が見たい。これからでも遅くはない。二人で失った時を取り戻そう」と諭します。
 定子を幸せにしたいという帝の言葉には偽りはないでしょう。しかし、その裏にあるのは、定子を苦しめた後ろめたさと定子のいない孤独感&喪失感を埋め合わせたいという独り善がりなエゴす。
 また先にも述べたように「失った時を取り戻す」という物言いは過去に向いています。彼は過去を取り戻さないと未来を見たくないのです。


 帝の必死さに定子は「嬉しゅうごさいます、されど…」と伏し目がちに無理を押し通さないよう諭そうとしますがら、帝はそれを遮り、「伊周も戻ってきたのであろう。顔が見たい」と述べ、登華殿な華やかさを取り戻す具体的な一歩について話を振ります。
 彼からすれば、定子を喜ばすつもりでしたが、定子は血相を変えると「兄までがここを出入りすれば、内裏の者らに何を言われるかわかりませぬ。ここを追われれば私と修子は行くところはございません」と泣きそうになりながら、現状維持を懇願します。

 彼女の願いは、静かに穏やかに生きることなのでしょう。なまじ権力争いの中心にいたばかりに苦しんだのです。清少納言の「枕草子」に命をつながれとき、定子はある意味、生まれかわったのかもしれませんね。娘を無事に産み、気の合う少納言と語らい過ごすなかで、定子はこのささやかさが幸せと悟り、それだけは守りたいのでしょう。

 しかし、帝は、定子の今の幸せを失うことを恐れる面だけを哀れともいじらしいとも思い、強く抱き寄せると「誰にも何も言わせぬ」と宣言します。それは、内裏の公卿ら、左大臣道長との対決を辞さないという物騒なもの。ますます不安を煽られた定子はなおも「されど…」と言いかけますが、帝はその口を接吻で封じると、彼女を優しく組み敷きます。こうなると定子には抵抗する術は、心にも身体にもありません。

 静かに穏やかに生きたくとも、後ろ楯のない帝の温情にすがるしかない定子は、根本的に帝の意向に身を任せるしかありません。さらに本心のどこかでは、帝の愛情に身を委ねた溺れていたいという欲求もあるでしょう。結局、彼女は一条帝の激情に浮草のように流されていくしかないのです。


(2)清少納言の憂鬱

 そして帝は「誰にも何も言わせぬ」との宣言どおり、まずは大宰府から帰った伊周に職御曹司への出入りを許可します。それにしても帰京した伊周、渡りを歩く姿だけでもその傲慢な性質が抜けていないことが窺えるのが苦笑いですね(笑)三浦翔平くんの憎々しげな芝居の賜物でしょう。

 さて、職御曹司に来た伊周は、定子に勧められたのでしょう。少納言の書いた「枕草子」を読ませます。彼女にしてみれば、自らの命を救ってくれたもの。兄に経緯を話す流れで、ただ戯れに読ませたくらいのことだったのでしょう。
 伊周が読む間、なんとなく定子と清少納言がアイコンタクトしているようなのが興味深いですね。「兄上は面白がるかしら」「さあ、どうでしょ」というような会話でもしているのでしょうか、二人の関係性が深まっていることが仕草に表れます。読み終えた伊周は「少納言が書いた徒然話は実に趣深く機知に富んでいて面白い」と激賞。定子はほっとしたように「まことに、これに命をつないでもらったようなものだわ」と微笑します。


 しかし、定子の心を慰めた「枕草子」に綴られた美しい思い出は、皮肉なことに、伊周にはかつての栄光、取り戻すべき過去を思い起こさせたようです。もしくは帰京したときから、復権の足掛かりだけを探していたのかもしれません。伊周は、ふと思いついたかのように「そうだ、これを書き写して宮中に広めるのはいかがであろうか」と頒布を提案します。思わぬ事態に「そんな…それは中宮さまだけのために書いたものにございますれば…」と慌てます。
 ききょうにとって「枕草子」は、推しである中宮と少納言としての自分をつなぐ絆です。そして、そこには定子をひたすら案じ、思い続けるききょうの想いの丈が込められています。つまり、彼女の心のうちそのものです。それを他人さまにひけらかすなど耐え難いことでしょう。また密かな二人だけの絆が、世間の目に晒されるのは汚されるような思いもあったのではないでしょうか。


 ですから、伊周から「これが評判になれば、ここに面白い女房がいると興味を持とう」と言われても訝るように無言になってしまいます。伊周は、そんな少納言の反応には構わず、自分の思いつきにいたく満足げに「皆が集まれば、この場も華やぐ」と言い出します。伊周のその言葉に定子が暗い表情になり目を逸らしたのは、兄のその言葉にこの職御曹司を第二の登華殿、つまり、中関白家の政治的な新たな拠点にしようという政治的な意図を感じたからでしょう。

 案の定、伊周は「さすれば、中宮さまの隆盛を取り戻すことができる」と少納言を諭そうとします。定子にかこつけていますが、無論、定子のことよりも自身が再び政治の中枢に返り咲くことだけを考えての発言でしょう。彼の妹への思いは、父譲りの「皇子を産め」発言(第18回)でその底の浅さが露呈していますから。


 おそらく、母の死を目の当たりにし、傷心のまま太宰府に送られた伊周は、おそらくそのプライドの高さもあり、土地の人々と馴染み、交わることもせず、ただただ中関白家の過去の栄光にすがり、過ごしたようです。土地の者と馴染み、過去を割り切り、自身の将来を新たに見極めようとする隆家とは対照的です。そんな彼だから、隆家が遊びとバッサリ切り捨てる登華殿サロンの復権に固執するのでしょう。

 帝とは目的もレベルも違いますが、過去にしか目が向いていないという点では伊周もまた同じです。定子は中宮であるかぎり、どこまでも過去に縛られ、翻弄されるしかないのかもしれません。定子の意向を確認することもなく、伊周は、「早速、書写の手配をいたそう」とそそくさ立ち上がると清少納言に「少納言、お前は次を書け」と命じます。


 推しのために書いた薄い本(=同人誌)だった「枕草子」が、強引に大手商業誌への連載にされたかのようなこの瞬間、清少納言の表情は陰鬱さがが混ざった複雑な表情を見せます。定子のもっとも悲惨な時期を支えてきた清少納言です。帝のお渡りがあるとはいえ、中宮のまま落飾したという前代未聞の身分はどこまでも不安定です。
 ですから、定子の境遇が改善されること自体は、清少納言の望むことです。また「中宮さまの隆盛を取り戻す」と言われれば、乗らざるを得ません。また、あのサロンのような文化交流は彼女が学才が好むところです。

 しかし、それは定子が本心から望むこととも思えず、また彼女がどん底まで落ちたのは結局のところは、男たちの政の道具とされた結果です。定子をそして彼女と自身の絆とも言える「枕草子」を政争の具としてしまうのはためらわれる。そうした葛藤があると察せられます。どちらにせよ、定子だけでなく清少納言も、政のなかに取り込まれていくことになります。

 因みに「枕草子」跋文(=あとがき)によれば、「枕草子」を広めたのは源経房(俊賢と明子の弟)とされていますが、頒布の際に編纂されたとも言われ、実際のきっかけは不明とされます。そこを逆手に取り、本作では伊周が政治的に利用して、頒布したとしたのでしょう。伊周が政で利用したのだとしたら、跋文にある「人に見えけんぞねたき(意訳:(この草子が、)人に見られてしまったのが悔しい)」という言葉の意味がより感慨深くなりますね。史実においても彼女は、個人的な思いを綴ったこの草子を見せたくなかったのです。


(3)道長の辞表と帝の弱さ

 職御曹司では、風雅に生きる公卿、公任が招かれ、龍笛を披露しています。その美しい音色に帝と定子は顔を見合わせて笑っていますが、ここでそのつないだ手がクローズアップされるのが意味深です。二人の手は握り合っているというよりも帝のほうが手を離さないのです。この辺りもやはり桐壺帝っぽいですが、やはり彼が定子に執着していることが問題です。彼は自身の執着によって、定子が内裏にて妖婦、悪女の類いとなってしまっていること、かえって彼女の立場を危うくしていること、そのことに気づいていません。彼自身は彼女を守っているつもりでしょうから。

 ともあれ、公任の龍笛の音の美しさは見事であることに変わりはなく、伊周も少納言もすべてを忘れ聞き入ります。帝の褒め言葉に、卒なく公任は「お上には遠く及びませぬ」と答えます。


 そんな公任に伊周は、少納言との和歌の勝負をしたことについて話を振ります。「噂の少納言で挑んでみたくなりまして」と笑う公任は、少納言の見事な返しに素直に感服したと話します。この件は「枕草子」でも出てくる話です。

 旧暦2月、女房たちに「少し春ある心地こそすれ」(ちょっと春になった気がする)という句が送られ、上の句をつけて返せとの挑戦状が届きます。これが「白氏文集」の七言律詩「南秦の雪」の四句目「二月山寒少有春」(意訳:二月になっても山は寒々として、春らしい季節は短い)からの引用と分かった清少納言は、漢籍である以上、自分への挑戦と見抜き、応じることにします。

 彼女が困ったのは、原文は「春が少ない」という意であるのに、公任が「春めいた」の意へとわずかにずらしていることです。この部分をどう対応するか悩んだ挙句、ままよとひねり出し返したのが「空寒み花にまがへて散る雪に少し春ある心地こそすれ(意訳:空が寒いので、花と間違えるように散る雪に少し春めいた心地がする)」です。これは、同じ「南秦の雪」の三句「三時雲冷多飛雪(意訳:春夏秋の三時も雲は冷え冷えとして、雪を舞わせることが多く)」を使い、なおかつ舞う雪を花に見立てることで公任の「春めいた」に応えたのです。

 因みに律詩という形式では二句一組で聯(れん)を構成しているのですが、頷聯(がんれん)を構成する三句と四句は対句になっています(漢字の並びを見るとよく似た形になっていますね)。ですから、対句を利用したという意味でも少納言の返しは秀逸だったというわけです。


 まさに当代随一の文化人たちの教養と心映えのすべてを遣った粋なやり取りだったと言えるでしょう。因みに、過ぎたことだけあって、劇中の少納言は上の句を澄ました顔で諳んじていましたが、実際はかなり必死だったようですけどね。そして、この少納言の見事な返しには明子女王の兄、俊賢も感心したと言います。当然、漢籍に通じた帝と中宮定子は、二人のやり取りが「南秦の雪」であることを見抜き、感心で顔を綻ばせています。元々、教養人である彼らにとって、こういう教養の語らいは、やはり心の静養になるのでしょう。


 ただ、伊周がこの件をわざわざ、この座で振ったのは純粋な好奇心によるものではありません。伊周は「私は公任どの才知に憧れております。これからは師として私に指南してくださいませ」とあからさまな阿りを見せます。無論、自分の陣営に彼を取り込もうという策であることは言うまでもありません。伊周が、公任をターゲットにしたのは、芸術関係で帝の名で呼べば呼び出しやすいこと、貴子の死の際に伊周に見せた心遣いから情にもろいと見たこと、そして、元関白の息子である家柄から道長に対抗意識があるだろうと踏んだのではないでしょうか。三番目の理由については、公任は道長と争うことから降りているのですが、伊周はそれを知りません。


 伊周のあからさまな世辞には「伊周どのは十分、腕を磨いておられましょう」と、公任はこれまた無難に返します。これはおためごかしではなく、伊周の漢詩の才、和歌の才は高いものだったのです。しかし、伊周、これで諦めはしません。
 「中宮さま、ここで公任どのの歌の会を開くのはいかがでしょう」と、公任の意向を聞かずにさっと帝と定子に話を振ります。途端に意図を察した公任は、さすがはかつて出世に躍起になっていただけあって勘が鋭いですね。伊周は「ここ(職御曹司)」に貴族たちを集めると言ったのです。それは、職御曹司を派閥の拠点とするという意思表示に他なりません。


 勿論、伊周は、帝と定子にそれと悟らせるようなことはしません。だからこそ、まず龍笛を聞かせ、少納言とのやり取りを聞かせ、文化的な味わいを楽しませておいたのです。この提案においても「男も女も共に学べる場を設けたら喜びます」と添えます。「男も女も」という言い方で政治的意図が出ないよう、純粋な学問の場を強調します。
 昔の登華殿サロンのような話に帝は定子と顔を見合わせると破顔、「それはよい、頼んだぞ公任!」と喜び、定子もまた「私からもお願いいたします」と、まんまと伊周の口車に乗ります。帝はかつての幸せを取り戻すことばかりを考えていますし、訪れる者もいなかった定子もまたずっと深い教養に触れる楽しみがなく飢えています。上手く欲求をくすぐられ、利用されたというところでしょう。定子はともかく、帝は利用される自分の立場をよくわかっているはずで、今の彼は冷静さを失っていますね。

 この場で伊周の意図を正確に見抜いたのは、公任だけです。「しまった、深入りさせられた」という歯がゆい表情をしていましたが、帝に頼むと言われれば、この場は笑って収めるより手はありません。とびっきりの笑顔をつくって「恐れ多いお言葉、痛み入りまする」と一礼する公任の内心は、伊周にしてやられたことへの苛立ちがあるでしょう。


 そこへ左大臣道長の来訪が告げられます。その場に緊張が走り、華やいでいた座も白けます。道長が政に関する諫言に来たのは間違いないと思われたからです。帝が責められる材料とならぬよう定子がそっとその手を外すあたりには、道長に対する定子の恐れが見えます。自身の思いがどうであれ、帝がここへ入りびたり政を疎かにしているのは事実。何を言われるかわかったものではありません。
 定子から手を外された帝も伏し目がちになり、顔色が一気に悪くなります。先ほどの伊周の話が政治的であることに気づいた公任も神妙です。彼自身に後ろめたい点はありませんが、巻き込まれるのは勘弁したいところです。

 道長はすっと座り込むと「お上、お願いがあり参上いたしました」と静かに告げます。その顔には、帝を責めるような雰囲気も怒りもなく、淡々としており静かな決意を感じさせます。帝の目は、そうした道長の風格に気圧され、目を泳がせながらも「ここで政の話はせぬ」と拒絶します。職御曹司は、今や彼が政から逃げて、閉じ籠る場所になっていることを窺わせます。
 自分の責任と感じる定子は、その場を立ち去ろうとしますが、「中宮もここにおれ」と帝に引き留めあられます。この行為は二つの側面があるでしょう。定子のために、この職御曹司の雅やかさを守るという決意、そしてその反面、定子がいなければ道長に太刀打ちできないという弱さです。


 道長は、定子や公任らの存在には一切構わず「一昨日の雨で鴨川の堤が崩れ、多くの者が命を落とし、家や田畑が失われました」とただ起きた事実を述べます。その悲惨な状況は、脚色の必要もありません。まともな為政者であれば、それだけで心が痛むはずです。案の定、定子も帝も目が泳ぎ、動揺を隠せません。二人は、民が大水で苦しむ最中、公任の龍笛を楽しむという浮世離れに興じていたのですから。
 そんな二人の反応にも道長は興味を示さず「堤の修繕のお許しをお上に奏上しておりましたがお目通しなく、お願いしたくともお上は内裏におられず、仕方なくお許しなきままに修繕につき進みましたが、時すでに遅く一昨日の雨でついに大事に至りました」と、帝の不在が問題であるかのように続けます。

 不敬になりかねない言葉ゆえに公任は、帝の様子を窺いますが、事態が事態ゆえに、帝は黙りこくるしかありません。何を言われても仕方のない状況です。しかし、続く道長の言葉は、帝と一同の予想に反するものだったでしょう。
 道長は悲痛に満ちた表情になると「早く修繕を始めなかった私の煮え切らなさゆえ民の命が失われました。その罪は極めて重く、このまま左大臣の職を続けていくことはできぬと存じます」と帝の補佐役である内覧左大臣である自分自身の責を問います。そう、道長は、自分の意思で始まったわけではない長徳の変における望まぬ結果も、自分の政がしでかしたこととしてきちんと見届け、受け止めました。また、それが斉信の仕掛けたことであったとしても、彼を責めるのではなく、彼らの上に立つ器にならねばと自身の問題としてとらえていました。道長は、政の失敗の責任を他人に押し付けないのです。

 ただ、鴨川の氾濫は道長には相当堪えたようで、訴える口調にも苦渋が窺えます。というのも、これまでの執政の失敗は、貴族間同士の争い、内裏のなかだけでの悲劇に過ぎませんでした。怒り得ることだと受け止めることができました。しかし、今回は内裏のなかの話ではありません。救うべき多くの民を死なせた、生活苦に追い込んだのです。「民を救う」志を持ち、そのために邁進してきた道長にとって、自身の不首尾で多くの民を不幸にしたことは、取り返しのつかないものだったのでしょう。
 直秀たち散楽の者たちを自らのミスで死なせた…あのときのトラウマが思い出されたのではないでしょうか。彼の優しさと実直さ、そして権力そのものに固執しない人間性は変わっていません。


 ですから、自らの責任問題を告げ、辞任を願うため、敢えてプライベートな職御曹司へ推参したのです。公卿のトップの責任を問えるのは帝だけですから。勿論、自らの辞任によって、帝が道長に向けていた不審を捨て、また民を思う政をしてほしいという懇願と叱咤もあってのことでしょう。

 意外な道長の願いに帝は狼狽え、言下にこれを棄却します。なおも「どうかお願い申し上げます」という道長に「朕の叔父であり、朝廷の重臣であり、朕を導き支える者はそなたでなくして誰がおろう!」ともっての外との弁を返します。この言葉が出た時点で、帝の職御曹司の入り浸りが、子どもじみた反発であったことが露呈していますね。


 一条帝の道長への不審は、前回note記事で触れたとおり、やはり期待の裏返しです。そして、もう一つは、道長の正論に応えらえない自身の不甲斐なさもあったのでしょう。すべては道長に甘えているからの行為。ですから、当の道長がいなくなるとは、考えも及ばなかったのです。

 しかし、道長も頑なです。「お上のお許しなきまま勝手に政を進めることはできませぬ。その迷いが…」とまで言ったところで、彼の目には民を死なせてしまった哀しみの涙が滲んでいます。そして、きっぱり「此度の失態を生みました」と自身の責任を明らかにすると「これ以上は無理でございます。どうかお許しくださいませ」とひれ伏します。


 これを見た公任は、やれやれといった表情になっていますが、あまりに真っ直ぐな道長に半ば呆れ、半ば感心しているのかもしれません。あきらかにこの一件は、帝に非があるのですから。帝もまた「そなたの言いたいことはわかった…朕が悪い。こたびのことは許せ」と申し訳なさげに言い、とにかく辞任を思い留まるような宥めます。それでも答えない道長に再度、「許せ、左大臣」と声をかけ、どうしたものかと困り果ててしまいます。
 それでも、道長の決意は固く「辞表は蔵人頭行成に介して提出しておりました。内裏にお戻りになられましたら、ご覧くださいませ」と、内裏で政務を執るよう促すと去っていきます。


 この顛末に対する伊周と定子の反応は対照的です。横目で眺めていた伊周は、最終的にほくそ笑みます。彼が、道長と帝のやり取りに見たのは、二人の間にある亀裂です。道長が帝の信任が薄くなっている今であれば、帝に働きかけて公卿に復帰、定子次第では中関白家が復興できる、そんな野心を膨らませたと思われます。

 定子は真逆で沈鬱な表情です。彼女は道長の権力に執着しない人間性、帝を責めずして諫めた貫禄、そして実際は道長にさまざまな面で頼っている帝の姿、そして、職御曹司に帝が入り浸ったことで多くの民が死んだという事実、これらを定子は感じていると思われます。つまりは、とても道長には叶わぬこと、そして鴨川の氾濫によって公卿や民の批判が自分に集まるであろうことを感じたのでしょう。そして、それでもなお帝にすがるしかない自分の立場の危うさも思ったのでしょう。


 結局、道長からは三度の辞表が出さたものの帝がこれを受け取らず、道長は再び政務に戻ります。史実でも道長は病弱ゆえに辞表を出しているのですが、本作ではその裏にこうした政治的な駆け引き、責任を感じる道長の傷心があったとしています。まあ、辞任理由が帝のせいとは書けませんから、こういう解釈も成り立つのかもしれませんね。

 ともあれ、今後も一条帝が職御曹司へ入り浸ることがあれば、同じことが繰り返されます。政務に戻ることにしたとはいえ、道長の頭は痛いでしょう。


 このように職御曹司は、出家した中宮という問題のみならず、政の失策、政権の不安定の要因となり、公卿らの反発を買っています。そして、それは道長自身の政治姿勢に対する公卿らの不満となり、彼の求心力の低下を招きかねない状況です。加えて、再び野心を膨らます伊周が何やら暗躍しようとしています。

 つまり、定子は、本人の意思にかかわらず、周りがそれを利用するため、彼女が存在するだけで政治の混乱のもとになってしまっているのです。つまり、出家した中宮という長と半端な定子の政治的機能を封じることが、道長の政では急務であることが仄めかされています。その切り札が、彰子の入内となっていくのでしょう。道長は、まだ晴明のいう「お宝」に気づいていませんが、状況は既に道長に手を汚すことを迫っています。やはり、道長が「決意」させられるのも時間の問題なのです。


4.清濁を呑み下す宣孝の強さ

(1)元カレへの計算高い対策

 鴨川の大水の事後処理に大わらわの道長のもとへ「右衛門権佐兼山城守藤原宣孝」が参ります。下々の民たちの苦難は日々の現実です。自分たちが辞表騒動のすったもんだをすることになっても、政に空白を空けることができないところに道長の人間性が表れています。まひろが、この人こそと期待をかけたのは、こうした貴族も民も等しく自分事と思える点なのでしょう。そして、彼は、今も10年以上も前にまひろに言われたこと(民を救うという約束)を忠実に聞いているのです。

 ですから、宣孝との面談に臨む直前まで「鴨川の堤の修繕はどれほどのかかりとなるか急ぎ答えを出せ」と指示を飛ばしています。政務の間に、さまざまな思惑で接近する貴族らとの面談に応ずるこの様子が、道長の日常そのものなのでしょう。


 そんな道長に宣孝は「お忙しいところ申し訳ありません」と詫びながら、鴨川へ直接行き陣頭指揮を執る道長の精力的な活動を誉めそやしますが、大仰な世辞を並べ立てても社交辞令の域を出ません。そもそも感心する暇があったら、自分にやれることをしようとするでしょうから。道長はこうしたおためごかしは日常茶飯事、聞き流して「何用か」と話を促します。
 「前の除目で山城守を仰せつかりましたので、御礼を申し上げに参りました」と慣例的な挨拶であることを告げられ、道長もまた「お上のために励んでもらいたい」と型通りの台詞を、書類を見ながら返します。寸暇を惜しむ今の彼はどうしても通り一辺倒の挨拶への返答はどうしてもなおざりになります。


 そうした態度は、宣孝から見れば身分が低い貴族を侮るものですが、宣孝には想定済み。寧ろ、自身に気を向けていない油断している隙を狙っていたのだろうと思われます。唐突に、そしていかにも自然な流れであるかのように「親戚である藤原朝臣為時」の話を始め、上手く勤めているようだと世間話を始めます。これもまた道長の気を引くものではありません。宋人の問題で越前の為時は直接やり取りをしていますから、宣孝よりも事情は飲みこんでいるからです。

 そして、道長の気持ちに十分隙ができたのを見計らって、宣孝は「おかげ様で為時の娘も夫を持てることになりました」という道長にとって衝撃的なことを告げます。よくよく考えれば、宣孝とまひろは婚姻の流れにはなってはいるものの、まひろ自身は明確な返事をまだしてはいないように思われます。宣孝からすれば、帰京自体が色好い返事だとも言えますが、「忘れえぬ人」がいる彼女の逡巡も容易に読めているでしょう。婚姻にはもう一押しが必要なのです。そこで宣孝が講じたのが、公務という公の場で婚姻を披露してしまい、婚姻を既成事実化してしまうことです。しかも、元カレの前で。これで、彼女は逃げられません。

 すべては宣孝の計算ずくと考えるのが妥当でしょう。


 前回note記事では、まひろの「忘れえぬ人」が身分違いとわかっても相手が道長とまではわかっていないのではないか、と書きましたが、この点は読み違えてしまいました。あまりにも明確な証拠が足りなかったからですが、それぐらい宣孝がそのことにいつ気づいたのかはわかりません。
 それについて今後語られるのか、語られないのかはわかりませんが、おそらくはさまざまな出来事を総合的に見て推理したのではないではないでしょうか。まひろが身分違いの恋をしていることは大前提として、例えば長徳の変の黒幕が道長という推理を話した際のまひろの神妙な反応は過剰だったかもしれません。何せまひろはすぐに顔に出て、分かりやすいのですから。

 また、為時の越前守任官までの経緯の唐突さと不自然さは、端から見ても奇異に映ったはずで、それもまた邪推の材料としては十分だったでしょう。いとなど為時家の家人が宣孝の口車に乗って、つい漏らしたということもなくはありませんが、彼らは主に対してそこまで不注意ではないでしょう。
 勿論、宣孝自身も確信はなく推測の域が出ないまま、道長にカマをかけたという可能性もありますが、どのみち勘づいて対処に動いたことに変わりはありません。


 さて、これを聞いた道長、さすがに驚きを隠せず、手を止め宣孝を見てしまいます。が、それも瞬時のこと。「それはめでたいことであった」と、まひろとの関係を気取られぬよう、愛想笑いまで浮かべて祝いの言葉をさらっと返します。しかし、最初から道長をまひろの元カレと見て、事を仕掛けている宣孝には、道長が一瞬、見せた驚きの表情だけで十分です。彼を明らかに動揺させる一撃を食らわせたとわかるからです。

 してやったりの宣孝、顔から喜色が上ってくるのを止められません。彼にとって、まひろの婚姻自体は軽いジャブに過ぎません。とっておきの、トドメの一撃がまだ控えているのです。ジャブですらかなりの動揺を瞬時に見せました。彼は元カレに対して、圧倒的な優位に立っています。
 トドメの一撃が、目の前に時の権力者、左大臣にどんな心理的ダメージを与えるのか…想像しただけで期待に胸が高鳴ってくるのでしょう。鼻までひくひくさせる佐々木蔵之介さんの演技には、宣孝の喜びが窺えます。


 その何か言いたげな喜色めいた笑みを訝しみながらも、内心の動揺を隠すため、道長はつい「なんだ?」と呼び水を向けてしまいます。それが宣孝の術中とは気づくよしもありません。ですから、「実は私なのでございます」と言う宣孝に、道長は不思議な顔をして「何が私なのだ?」と聞き返すだけです。思考停止しているのではなく、まひろの婚姻という情報と宣孝の今の言葉がまったくつながらないだけです。
 この様子に宣孝は、喜色が満面に零れてしまいます。宣孝は、道長のこのきょとんとした顔が見たかったのです。自分の愛した元カノが、目の前にいる50歳近いおっさんの妻になるのだと微塵も想像できていないその無防備な顔…!さればこそ、彼を奈落の底に叩き落とせるというものです。

 弑虐的な喜びを見出だす宣孝は、得意気に、そして勿体ぶるように「為時の娘の夫にございます」と高らかに宣言します。

 瞬間、見えぬ机の下にある手がぐしゃっと紙を握り潰してしまいます。音はせずともそれは道長の心が潰れた比喩でもあるのでしょう。衝撃のあまり首をぐっと引き、本当に?と顔をしてしまい、動揺を隠すことができません。全力で宣孝の見たいものを提供した形です。目が泳ぎながらも、自分の動揺を誤魔化すように「ふ…それは何より」と笑いながら、左大臣の鷹揚さを辛うじて維持していますが、これが精一杯でしょう。
 この道長の自分の動揺を誤魔化す「ふ…」という漏れるような笑いは、判然としないまま複雑な感情が一気に駆け抜けた結果かもしれません。まひろはずっと自分を待っているのではという勝手な期待。また、彼女のこんな唐突に聞くのかという皮肉、無理やりでも妾にすべきだったかという後悔…そうした埒もない思いに対する自虐も含まれていたかもしれません。

 そんな道長の表情に浮かぶかもしい悔恨、衝撃、嫉妬…負の感情を読み取ろうと顔色を窺う宣孝の目線が、自分の成果を確認するような満足感に溢れていますね。ここまでの入念な道長潰しにあるのは、若い妻を娶る年寄りの惚気ではありません。元カレの道長からまひろを取り上げたことを喧伝するマウント取りが成功した満足感でしょう…つまり、まひろも標的ですが、道長も別の側面で標的なのです。まひろは左大臣の女である…このことが宣孝にとって大切な問題なのです。


 ここに宣孝のまひろへの求婚にかかわる思惑というものが透けて見えてくるでしょう。勿論、大前提として、まひろを好きになったということを疑う必要はないでしょう。聡明で奔放なまひろに惹かれ、彼女と過ごすのが楽しい…越前で語った口説き文句も大袈裟ではあっても嘘ではありません。あからさまな嘘であれば、付き合いも長いのですし、まひろは見抜けるでしょう。

 また、筑紫から帰ってきて以降、宣孝を見る目は異性としての目になっていきました。彼女に似合うコスメを探せるのは、情報通であることと同時に彼女を気にかけている証です。まあ、そもそも、好きな女性にはいつも綺麗でいてほしいという発想自体がいかにも古臭い男っぽさだとは思いますが、彼、所詮はアラフィフの平安男ですので、そこは諦めましょう(苦笑←


 ともあれ、宣孝が、現在、まひろに対して真剣であるのは事実でしょう。ただ、宣孝がまひろに求婚までした動機には、「惚れた」という感情に分け難く、不純なものが入り混じるということです。これ自体は、現実の恋愛でも同様ではないでしょうか。なんの打算もない恋愛…即ち純愛が尊ばれるのは、珍しいからです。大方は程度の差はあれ、打算があるものです。ですから、問題は、宣孝の打算が何かということです。

 宣孝の打算…ざっくり言えば、まひろが「左大臣の女」であり、そして若い女であるからこそ、妻にまでしようと思ったのです。一緒にいて楽しいだけならば、今の友人の娘と陽気なおじさんの関係でも十分です。そこを乗り越え、惚れていくのは、まひろの成長と同時にそのような女性に彼女を変えた左大臣の存在があるのです。
 得難いものだからこそ価値を感じていった側面があるのですね。だから、「左大臣の女」であることを丸ごと引き受けるのです。つまり、宣孝にとって、自分には釣り合わぬ女を妻にしたということが、ステイタスになる。これが「惚れた」ということと不可分にあるのです。

 レベルはまったく違いますが、「左大臣の女」であることと惚れた女であることが不可分という点では、実は宣孝と周明は同じですね。越前での出会いは、対比的な二人の出会いであったということかもしれませんね。


 話を戻しましょう。ものすごく大雑把な括りをしてしまうのは男性陣には心苦しいのですが、今も昔も総じて、男性なる存在は見栄っ張りです。例えば、お付き合いしていた男性が普段は優しいのに、よくわからない理由で拗ねてしまったという経験をした方もいるでしょう。これは、この「よくわからない理由」こそが彼のプライドにかかわるものだったからです。また、自立した女性よりも甘ったれたいかにも面倒くさそうな女性のほうがモテるというのも同じです。男はアンポンタンなので、「俺がいなきゃダメ」に弱いのですね、自分のプライドが満足できるから。実資が、婉子の甘えに翻弄されっぱなしになっているのも、そうした面があります。


 つまり、男社会とはそうした見栄をいかに満足させ、維持させるかに腐心しています。どれだけの富を得たか、どれだけ出世したか、どういう女性と関係を持てたか、そんな話に明け暮れているのは、「光る君へ」の男たちも大差ありません。思い出されるのは、打毬の後の公任と斉信らの会話です(第7回)。斉信は女性をルックスでのみ語り、公任は「家を繁栄させ次代につなぐ」という貴族の使命から「女こそ家柄が大事だ。そうでなければ意味がない」と言い放ち、そんな男たちの心無い言葉に物陰でまひろが心痛めた場面です。平安貴族の男たちにとって、女性はトロフィーワイフという現実が、あの場面には凝縮されていましたね。無論、彼らに悪気などはありません。だから根深いのです。


 さて、何度かnote記事で指摘したことですが、宣孝こそは平安の貴族社会に最も順応し、謳歌している人物として描かれています。ということは、打毬のときの男たちの価値観をごく自然に内包して、人生を楽しんでいるのです。ただ、彼は何事もほどほどに上手くいっている彼は、大きな出世を求めることはありません。彼の楽しみは、いい女を妻にすることなのでしょう。それゆえに「左大臣の女」であり、凡百の女よりも賢く、自分を驚かせてくれる面白い女であるまひろは、希少価値なのです。


 ただ、簡単に言えば、上司の女に手を出すことにはリスクが伴います。長らく妾にもせず、宙ぶらりんのまま彼女を放置しているのですから、「わしが手を出しても構わんだろう」(この認識自体が女性を軽んじていますが)とは思っても、焼け木杭には火がつかないとは限らない。そうなると、相手は権力者、何をしてくるかわかりません。縁のない彼からすれば、道長は長徳の変の黒幕ですから。

 ただ、一方で自信家の宣孝はこうも思ったはずです。まひろを妾にもできず放置する左大臣などよりも、自分のほうが余程、彼女を慈しみ、幸せにできると。この自信が、「ありのままのお前を丸ごと引き受ける。それができるのはわしだけだ」(第24回)と言わしめるのです。この強い欲と自信が、宣孝に必勝の策を思いつかせます。


 それが、任官の挨拶という公的な場でまひろとの婚姻を話題にし、既成事実化するというこの面談なのでしょう。道長は左大臣です。政を執る為政者にとって気をつけるべきは、求心力を失うことです。昔の女が取られたことを理由に宣孝に何か不利益を働いたという悪評を立つことは避けねばなりません。ですから、堂々と半ば正式に認めさせた形となれば、下手に手を出すことはできなくなる。そういう算段をしたのだと思われます。男社会が見栄の世界だからこそ成立する策です。となれば、この策は、まひろを婚姻から逃げられないようにするだけでなく、元カレにも認めさせるという二重の狙いがあったということになりますね。


 当然ですが、道長がまひろに手出しをすることがないよう徹底的に手を打っておくのが賢明です。例えば、まひろの婚姻について、「おかげ様で」と道長が為時を任官させた結果だと強調したのは、彼の自己責任の意識をチクリと刺すためでしょう。殊更、道長の動揺を誘うやり方であるのは、「グズグズしておるからわしがお前の女をものにしてやったのだ」と敗北感を植え付けるためだと思われます。

 無論、そうした計算高さだけでなく、「左大臣の女」をものにしたという満足感と優越感を最大限に味わうという楽しみもそこにはあります。そうした下卑た思いは、道長が追い込まれるた表情をするたびに喜色を表に浮かべ、輝いていく宣孝の表情が証明しています。彼は、「惚れた」まひろを確実に妻にすると同時に、「左大臣の女」というトロフィーワイフを得た喜びも、左大臣道長を遣い、存分に味わうのです。


 また、彼のある種の狡猾さは、これに留まりません。部下が上司に結婚を報告するとき、それは祝いを期待する打算が働いているものです。私腹を肥やす商才に長けた宣孝が、これを思いつかないはずはないでしょう。まして、左大臣であれば、その祝いは家格にかけてそれなりの物を贈ってくるのは間違いありません。道長のまひろを思う気持ちが本気であればあるほど、それをせざるを得ない心情に駆られることも計算ずくと思われます。

 道長を散々嬲って、優越感と満足感を味わった挙句、祝いの品までせしめるとはまったくもってズルい男です。そして、こう公になっては、道長はまひろのためにも、宣孝を粗略に扱うことはない。それなりの出世すらあり得ます。一石二鳥どころか、五、六鳥は落とすようですから、宣孝は笑いが止まらないことでしょう。


 案の定、道長は、ショックの余り、迎えの車が来ても帰る気にはならず、一人、内裏で仕事をする旨を配下に伝えます。いつもならば何か悩むときは、明子のもとへ慰めを得に行くのが道長の定番ですが、さすがにまひろを失った喪失感は他の女では埋められませんし、それはまひろ、そして彼女との思い出や約束を穢すことのように思うのでしょう。彼女への一途な想いが純粋であるゆえに、彼はこの喪失感と絶望に一人耐えるしかありません。

 深く、太いため息を漏らしながら、どうしたものかと悩む顔をします。妾が嫌だと拒絶したあのまひろが、あんな50男の妾になるとは信じられない思いでしょう。しかし、あれからあまりにも時間が経ってしまいました。「民を救う」という彼女との約束を果たせないどころか、死なせてしまった今の自分に彼女を迎えに行く資格はありません。

 また、彼女との約束を守る方便から始まったとはいえ、自分は二人の妻を持っています。今なお彼女ら二人よりまひろを思ってはいますが、子をなし、家族を持つという幸せを得たことは彼にとって大きなことです(冒頭に一家団欒が挿入されたのはそれを示すためでしょう)。自分だけが彼女を差し置いて、人並みの幸せを得ていることは、後ろめたいものがあるでしょう。彼女が婚姻という幸せの形を得ようとすることをどうして止められようか…根が優しい道長はそう考えたのではないでしょうか。

 あのまひろが、彼との婚姻を決めたのであれば、彼が余程に優れた心映えであるか、あるいは何らかの深い事情があるに違いない。それならば、それを信じて送り出す、祝福するのが、左大臣たる自分のできることではないか。そう行きつくことも想像に難くありません。まひろが宣孝にまんまとハメられたという想像まではいかないあたりが、青いところです。そうして、宣孝の目論見どおり道長は、大人の対応をすることになります。



(2)「忘れえぬ人」とのつながりを潰す宣孝の不実

 道長の決断は、まひろを思ってのことであろうことは察しがつきますし、また彼の成長と見ることもできるでしょう。その一方で、どうしてこういう肝心なときに、道長は強引に呼び出さないのかと、もやもやした方もいらっしゃったのではないでしょうか。
 思えば、二人は互いを想い、想い過ぎた挙句にどちらかが半周先にいてすれ違うことを繰り返してきました。越前に旅立つときは、比較的きちんと話せましたが、他は大抵、圧倒的に言葉が足りません。実は、相手を傷つけたくないとの思いは、逆にそのことで自分自身が傷つくことへの恐れでもあります。平たく言えば、二人はこの期に及んで勇気がないのです。


 しかし、これを責めにくいのは、結局、それで互いが傷つき、それによりさらに相手への想いを深め、純度が高まっていくということです。まひろが言った「道長さまとは、向かい合いすぎて、求め合いすぎて、苦しゅうございました」(第24回)とはこういうことではないでしょうか。
 二人の恋愛は、高まれば高まるほど成就しないという矛盾を孕んでいます。下に恐ろしきは人の思いとはよく言ったものです。


 そして、この純度の高さゆえに成就しない恋愛であることが、まひろと道長が、宣孝に勝てないある種の弱さです。多くの女性と浮世を流してきたと思われる宣孝は、手練手管に長けた恋愛巧者です。恋多き男の恋愛観は、よくも悪くも一人を一途に思い、その先に結ばれるというような、まひろと道長の恋愛観とは大きくズレています。現実主義の彼にとって恋愛とは成就させてなんぼです。成就しない恋愛なぞに価値はない…とまでは言わずとも、ゴールを目指して、あらゆる手を尽くすのが常道です。平たく言えば、欲しいものは何がなんでも手に入れる。その強さが、宣孝にはあるのです。


 当然、恋敵を潰すことには容赦は要りません。おそらくは彼は一人の女性を取り合うなどという修羅場も多く経験してきているのでしょう。負けたこともあったやもしれませんが、その経験からの学びは、彼をプレイボーイとして成功させたはずです。そして、敵が誰であろうと、それが欲しいのであれば怯まないという度胸もあります。

 それが対道長戦では、その度胸と手練手管がいかんなく発揮されていますね。本作の道長は、まひろ、倫子、明子の三人の女性から深く愛されているという点ではモテる男ですが、彼自身が恋愛らしい恋愛をしたのはまひろただ一人。まして女性を取り合うといった経験は皆無。手段を選ばない遣り口、その経過を楽しむような肝の太さ、必ず欲しいものを得る貪欲さ、どの点においても勝ち目はなかったでしょう。


 そして、恋愛成就のためならば手段を選ばない強欲さは、恋敵に対してのみ向けられるものではないことは、既成事実化の策に表れています。ときには恋愛対象の思いを踏みにじることもしてみせます。恋愛関係を進展させることが難しいのは、それは発展するというよりもそれまでの関係を毎回、壊して再構築するようなものだからです。だから、進展させるはずがちょっとしたことで取り返しのつかないことになり、修復不能になるということがままあります。それゆえに、相手を気遣うのですが、それだけでは成就しないことは、道長とまひろが証明しています。どのみち壊してまた組み立てる関係であるなら、タブーに踏み込む必要もあるのです。


 ただ、それは自分の欲望のためだけでは上手くいきません。それが相手のためにもなると自分が強く信じていいなければ、先にも述べたように宣孝は、自分のがまひろを幸せにできると信じています。何故なら、自分といたほうが「楽になれる」から。だから、彼女の許可など得ることなく、婚姻に至るよう進めてしまうのです。無論、それがまひろに対して誠実な態度であるなどと開き直る気はありません。一方で婚姻のためならば、やって当然とも思っています。

 そのことが端的に表れるのが、道長との面談後、宣孝がまひろのところへ訪れる場面です。



 まひろは縁側で白楽天の「新楽府」の末尾となる「采詩官」を読んでいます。彼女が声に出して読むのは「君の門は九重(きゅうちょう)閟(と)ず 君の耳はただ聞こゆ堂上の言。君の眼は見えず、門前の事」の下りです。ここで言う君とは帝のことを指しており、意訳すると「天子の御堂の門は 九重に閉ざされたままになっている。天子の耳に入るのは 朝廷の中の話だけ 宮門の外の様子などは目にするべくもない」ということです。

 政を省みない今の一条帝の御代と重なっている点が興味深いところ。まひろは期せずして、道長が今、直面している困難を「新楽府」を通して感じ取っている形になります。「民を救う」政に向いている二人は、無意識であっても、どこかで通じ合ってしまう、そんなまひろと道長の関係性が垣間見える場面です。


 そこへ「越前では忙しそうであったが、都では暇そうだ」と揶揄するように割って入ってくるのが宣孝です。すかさず「書物を読むのは暇だからするのではございませんよ」と返すのは「ためになるから読んでいる」というまひろの書物に対する思いからです。まひろの反論にも「またしくじった」と笑う宣孝の意気揚々とした様子に「随分とご機嫌な様子にございますね」と笑うまひろ。彼女も宣孝の揶揄に本気で怒っているわけではありません。いつものやり取りぐらいの軽い気持ちでの返答です。


 しかし、宣孝から左大臣に会ったと言われ、顔がこわばります。彼女は、宣孝に「忘れえぬ人」が道長と知られていることにまだ気づいていません。が、こうした表情を隠せないから、宣孝に悟られてしまったのでしょうね。素知らぬ顔で宣孝は「お前を妻としたい旨を申しお伝えしたら、つつがなく…と仰せであった」と道長がまひろとの婚姻を許可したのだとうそぶきます。

 もっとも知られたくない人に、現在、進行中の婚姻について聞かれたことにショックを受けたまひろですが、努めて冷静に「そのようなことを何ゆえ…左大臣様に」と問います。内裏の同僚に話してしまったことならば、あり得る話です。しかし、左大臣の道長にわざわざ話したとなると、そこには意図を感じます。まひろは測りかねて聞いたのです。


 宣孝は「挨拶はしておかねば。後から意地悪されても困るからな」と笑います。この言い方が狡いのは、「意地悪をされても困る」に複数の意味を含ませ、まひろに言質を取らせないようにしているところです。まず一つ目は、表の意味、任官の挨拶を欠かす無礼は今後の出世に響くということです。二つ目は、お前の「忘れえぬ人」が左大臣ゆえ、今後、彼が婚姻に口出しをさせぬように釘を刺したという意味です。そして三つ目は、せっかく求婚したのに今更、お前に心変わりされては困るからという意味です。


 道長とのやり取りを見れば、この三つの意味のどれもが正しいことはわかります。つまりは、まひろに、もうお前はわしと結婚する以外にないのだよということを、回りくどく突きつけたということです。「丸ごと受け入れる」と宣孝は言いましたが、それは道長との過去の関係を許すというだけであって、今後については絶対に許さない、させないという意味だったのですね。まあ、なんでも許していたら、ただのバカですから宣孝の言動にも一理あります。

 ただし、それは彼の言葉を真に受けたまひろに対しては、裏切りになるということです。誠実であるならば、たとえ道長を諦めさせるにしても彼女に納得ずくで行う手もあったはずです。しかし、そんな手間暇をかけてまでのこと、宣孝は待てません。どのみち同じことになるなら早いほうがよい、そんなところでしょう。


 まひろは、自分の「忘れえぬ人」の正体が宣孝にバレていることに衝撃を受け、さらに自分の思いが踏みにじられる形で退路を断たれ、婚姻を突きつけられたことに驚くしかありません。彼女も、道長と同じくまた宣孝の手口にいいようにやられて動揺していますが、道長と違うのは、相手の隙をつき、騙すような遣り口をふざけたように語る様子に「何なんですか、その嫌らしい物の言い方は!」と激高できたことです。彼女には守る身分もありませんから、感情的になります。このような騙し討ちをしてまで、婚姻を勧めることも、元カレが道長と知った上でそれを告げにいく精神構造がまったく理解できません。

 しかし、宣孝は、悪びれもなく「好きだからだ、お前のことが」と、彼女の顔をじっと見つめて答えます。まひろの意に染まないことをして、なおかつ道長に対する弑逆的な喜びよう、そしてまひろをトロフィーと思う思考、これらを見せつけられた直後の視聴者には、宣孝の言葉は殺し文句以上に見えないかもしれません。ただ、そこには彼女を慕う、宣孝なりの真摯な思いはあるでしょう。また、この言葉がダブルミーニングであることも注目です。「わしが、お前を好きだから」「道長が、お前を好きだから」ということです。つまり、「わしはお前が好きだから、お前を好きな道長を潰した」ということです。宣孝はどこまでもハンター、恋愛は「勝ち取る」ことに価値があります。しかも相手は年下とはいえ格上の左大臣、手を抜く選択肢はありません。優位に進めてはいますが、彼なりに必死なのでしょう。それを楽しめるのが、恋愛巧者です。
   したがって、この台詞からは、宣孝の愛し方は、まひろが道長を、道長がまひろを、思う気持ちとは、やや性質を異をすることが窺えます。だから真摯であっても、まひろへの言い訳にはなっていません。

 宣孝の言動も理解できませんし、そんな宣孝の「好きだからだ、お前のことが」との言葉もまひろの怒りに火を注ぐようなものです。静かな怒りに震えながら、まひろは「お帰りくださいませ」と冷たく言い放ちます。
 しかし、「はーい」という間延びした宣孝の返事には、まひろを傷つけたという反省の色はありません。怒るまひろもまた面白くて仕方がないようで「また叱られてしまった」と笑いながら去っていきます。宣孝の恋愛観からすれば、こんなことも恋愛の駆け引きの一環でしかないのでしょう。少なくとも、道長とまひろの反応に、自分の勝利を確信したことは間違いないように思われます。


 宣孝が去ってからのまひろの顔は虚ろです。つまり、彼女にあるのは、宣孝にされた騙し討ちのように婚姻を公にされた怒りが第一ではないのです。それ以上に「あの人に知られてしまった」というショック、彼がどう受け止めたのかという不安、そして「つつがなく…と言ったみたいだけど、どういう意味かしら?」と彼の真意を訝しむ気持ち…などなど道長について想うさまざまに気もそぞろなのでしょう。

 ここに至って彼女は、自分の真の思いを理解したはずです。こうなって真っ先に思うのは、愛を囁いた宣孝への怒りではなく、叶わぬ道長への想いのほうであるということを。越前から引き上げる際に思っていた「誰を思って都に帰るのであろう」…その答えは明白ですね。道長しかいないのです。そうわかったにもかかわらず、彼女は完全に宣孝との婚姻に追い込まれてしまっています。その皮肉な、そして取り返しのつかない事実に、彼女は思わず、息を飲むと泣きそうな表情を浮かべます。


 そして、ある日、まひろが帰ると、自宅には道長から結婚祝いの品がたくさん届けられています。届けに来たのは、道長とまひろの縁を知る百舌彦です。「此度はおめでとうございます」と一礼する彼の装いは、在りし日よりも立派なもの。久しぶりの再会を懐かしむまひろは「偉くなったのねぇ」と喜び、百舌彦は照れ臭そうに「長い月日が流れましたので」と言います。そう言えば、彼にも昔からいい人がいましたが、どうなったんでしょうね?

 百舌彦の言葉に「まことに…」と答えるまひろの思いは複雑です。百舌彦の言葉は単なる挨拶なのですが、まひろにとっては「長い月日が流れ」た今、道長は自分の婚姻にも平気なのであろうか、そして、自分もまた彼との縁は忘れて、この婚姻に臨むべきなのか…千々に乱れる心は百舌彦から託された文をいそいそと開けさせます。

 が、文を見た瞬間、「あの人の字ではない」とまひろは気づきます。通り一辺倒の祝いの言葉すら道長の言葉ではありません。最早、自分の婚姻などどうでもいいことで人任せにしたのではないか、そんな絶望が彼女を襲ったかもしれません。

 無論、道長は単なる挨拶でも、まひろの婚姻を祝福の言葉を贈るなどできなかったのです。彼は、文にて嘘のつけない男ですから。それでも祝いの品を贈るのは、一方で彼女の幸を一人の男として願うからです。

 この道長の対応の仕方は、第12回で、まひろが道長と倫子の婚姻を知ったとき「倫子さまは、おおらかな素晴らしい姫様です…どうぞお幸せに」と祝ったまひろの気持ちとよく似ています。ただ、嘘つきのまひろは「道長さまと私はやはり、辿る道が違うのだと私は申し上げるつもりでした」と言いましたが、道長はそれができないだけです。

 道長は、かつての自分と同じ気持ちでいるのにもかかわらず、まひろにはそれがわかりません。ただ、自分の婚姻に真意を伝えてくれなかったことが哀しく、絶望的に思うだけです。何故なら、道長がこうして祝いの品を贈り、宣孝とまひろの婚姻を認めた以上、退路が完全になくなったからです。宣孝の計略は、そこまで行き届いていたのでしょう。
 こうして、まひろは、あの日、道長が倫子を抱いたときと同じことをします。哀しいくらいに二人の運命は向き合い過ぎていますね。


 宣孝に見事なまでに婚姻へ釣り込まれてしまったまひろ。道長からの手紙もなく、その真意がわからぬことに、自らの恋の終焉を感じたのでしょう。最早、これまでと宣孝の求婚を正式に受け入れる文を乙丸に託します。
 これまでずっと道長との道ならぬ恋を見守ってきた乙丸です。あまりの危なっかしさ、そして苦悩するまひろを案じるがゆえに道長にもうこれ以上関わらないよう苦言を呈したこともありました。しかし、一方で出来ることならば、まひろの想い人と思うように結ばれてほしいというのが乙丸の本心だったと思います。そのまひろが道長を慕う思いを封印して、宣孝を受け入れることは「姫様の決めたことだから」と思いつつ、複雑だったでしょう。



おわりに

 その夜、静かに待つまひろの部屋へふわりと忍んできたのは、宣孝です。心なしかまひろが緊張した様子であるのは、道長ではない男を受け入れる諦めと恐れともつかない思いを抱えているからでしょう。加えて、道長との逢瀬は六条の廃寺でした。まひろにとって、正式に男性を招じ入れること自体が初めてのことです。どうしてよいのかわからない戸惑いもあるでしょう。ただ、宣孝の文や言葉に浮かれた迂闊さがあったとはいえ、まんまと乗せられて夫婦の契りを結ぶことは癪に障ることです。


 まひろは気丈にも、ここまで来てなお「わたしは不実の女でございますが、それでもよろしゅうございますか?」と最後の抵抗を試みます。越前で宣孝に求婚された際に「忘れえぬ人がいてもよろしいなのですか」と同じような台詞を返していますが、意味はまったく違うでしょう。越前のそれは「初恋を忘れられないような女でよいのか」という半ば呆れ気味の皮肉でした。
 しかし、今回の言葉は、そうではありません。「こうして夫婦としての契りを結ぶこととなったが、私がお慕いするのは左大臣さまであり、それは変わることがない。決して宣孝さまを一番には愛さないがそれでよいか」という宣言です。他の男を思いながら宣孝に夜を共にし、他の男を思いながら宣孝の酌をし、笑い合う…これ以上ない修羅場にも思えますが、道長を慕う彼女のできる精一杯の抵抗でしょう。


 気丈で意固地なまひろを見てなお、余裕を崩すことのない宣孝は、あっさり「わしも不実だ。あいこである」と応じ、似た者夫婦なのだと薄く笑います。彼は、どういうやり方をしてでもまひろが欲しい、「忘れえぬ人」との関係を諦めさせる汚い不実をすることも厭いません。まひろに、それをなじられ、責められることも想定の範囲内でしょう。恋愛は綺麗事ではない。これが宣孝の信念であり、また強さなのですね。

 彼のことです。まひろの戦闘態勢とも言うべき、求婚承諾の言葉にも「さすがはまひろ。そうこなくては面白くない」と思っているかもしれませんね。一筋縄ではいかない女性との恋の駆け引き、これができるのもまた男の甲斐性というところでしょうか。


 似たもの夫婦という宣孝の言葉には、さすがのまひろも「まことに…」と自嘲気味に納得の旨を返す他はありません。覚悟を決めます。その言葉を了解とした宣孝は、手慣れた形でまひろを抱き寄せます。抱き寄せられたまひろの表情は固いものです。それは身体にも表れ、経験の多い宣孝は察したことでしょう。ですから、優しく彼女を組み敷きます…少なくとも今、この時点で宣孝がまひろに惚れているのは事実です。その扱いは真摯さがあります。

 しかし、それでも、まひろは無表情です。覚悟を決めたがゆえに、まひろは宣孝を抱こうとその背に手を這わします。無論、それは宣孝には見えぬものですが、だからこそ、まひろの本心がそこに表れます。「不実の女」…その言葉どおり、道長を想うからこそ、そのぎこちない手と指先には戸惑い、躊躇、後悔、懺悔が宿っていますね。


 このような結ばれ方をしたまひろと宣孝ですが、だからといって不幸せになるとは限りません。政略結婚でも純愛のごとき夫婦関係になった戦国時代の夫婦もいますし、現代でもお見合いしてお付き合いゼロで結婚して幸せに過ごす方々もいます。要は、その後の過ごし方、相手との関係の築き方ということになるでしょう。

 例えば、宣孝の側は「丸ごと受け入れる」の言葉どおり、今度こそまひろの気持ちに寄り添い、十二分に慈しむことが第一でしょう。彼女のなかの道長が消えることはありませんが、それでもその存在を小さくする、過去のものとすることは、彼次第で可能でしょう。本来、そのために彼との縁を諦めさせたはずですから。


 一方、まひろはまひろで、自身の潔癖と峻厳を宣孝に当てはめないことです。こういう形での婚姻とはなりましたが、まひろは宣孝の「お気楽で楽しいところ」に好感を持ち、彼のもとにいれば「楽になれるかもしれない」と思ったからこそ、なびいたのです。幸せになりたい…その初心を思い出すのです。となれば、宣孝のお気楽さ、楽しさ…それは為時の言う「いい加減さ」でもありますが、それを自分のなかに取り込んでいくことが必要になってくるでしょう。

 喧嘩をしようが、すれ違うことがあろうが、それ自体は仕方のないことですが、最終的にお互いが譲り合い、歩み寄ることができるか否かだと思われます。


 ただ、通説では宣孝の紫式部、当初は仲良くやっていましたが、宣孝が他の女のもとへ通い出し、その不実に苦しめられることになります。そもそも、宣孝のような男の恋愛は、ハンターです。婚姻という関係に持ち込んでしまえば、半分目的を達したも同然です。無論、まひろを好いていますし、面白がってやってくるでしょうが、気まぐれなものですから、まひろの思うようには訪れないと思われます。

 道長を徹底的に潰してある以上、自分の女だという確信が宣孝にはあるでしょう。そして、自信家の彼は、自分と楽しく過ごせば、いつかまひろは道長のことは忘れる、そう思っているでしょう。男がバカであることの一つは、自分の女だという勝手な余裕を持つと、相手に対する気遣いが甘くなることですが、宣孝にもその気はあるかもしれません。また、まひろは「不実な女」なのですから、自分が不実を働いても責められる筋合いではない…そんなことも思いかねません(苦笑)
 ですから、どうも、この二人の夫婦生活には不穏な空気が立ち込めているようにも思われます。


 そうなると、二人が結ばれた翌日が、日食、「不吉の兆しであった」(ナレーション)ことは、かなえり意味深ですね。「不実」の二文字で結ばれた時点でこの夫婦には、不吉がつきまとっています。宣孝が史実どおり、他の女にうつつを抜かし不実な態度を取るとすれば、まひろもまた不実を働くかもしれない…そんな兆しが感じられないでしょうか。

 今回、宣孝はそのなりふり構わない強さで、まひろを婚姻に追い込み、道長を牽制しきりました。こうして二人の関係は物理的に断たれたといってよいでしょう。しかし、その行為が、まひろに道長を慕う一途な想いを再確認させた面もあります。それは求婚許諾の言葉にも表れていますね。自ら引いたときですら、自分たちの想いを募らせた二人です。他人に封じられたとなれば、内面ではかえって燃え上がるときもあるでしょう。また、それを視聴者の多くも期待していそうです(笑)そうした想いを抱えたまひろが宣孝の不実に苦しめば、封じた想いに燃料をくべるようなものだと言えるでしょう。


 それでは、一方の道長はどうでしょうか。今回、見てきたように彼の王道政治は八方塞がり、限界が見えてきました。彰子を入内させる、娘を政治の道具にし、自身の手を汚す政をしなければなりません。否応なしに彼は、父兼家と同じく、清濁を併せ呑まざるを得なくなるのです。そのとき、圧倒的な力を得る代わりに内裏で敵を作るでしょう、また娘を入内させたくなかった倫子との間にも亀裂が入り、家庭も安らげなくなるでしょう。そして、娘への憐憫と申し訳なさも増すでしょう。心優しい道長には辛い道のりが待っています。心身共にボロボロになるのは必至です。そんなとき彼がすがれるのは、心の中にいるまひろだけでしょう。

 こうなると後はシチュエーションだけです。劇的な場所で二人が偶然出会えればよいのです。後は自然と結ばれます…つまりダブル不倫がまひろと道長には待っているのかもしれないのです。万が一、こうした展開になった場合、史実で紫式部と宣孝の間の娘である賢子(大弐三位)の父親が、本作では道長という可能性が出てきますね。

 なんとなく、これが可能性ではなく、そうなりそうな気がするのは、「源氏物語」の光源氏と藤壺の不義密通を思い出すからでしょう。あの場面が、まひろの体験が投影されているというのもフィクションである大河ドラマならではの醍醐味と思われます。


 今回、道長は政においては、帝や公卿らの思惑、そして天災によって、その王道政治の限界を突きつけられました。さらに狡猾な宣孝の手練手管によって、まひろの婚姻を認めさせられるという個人的な感情にまでトドメを刺されました。二つは、まったく別のことであり、レベルも違うのですが、一点共通するのは、手を汚さない、公明正大、清廉潔白さが招いたことだという点です。それは美徳ですが、それは青臭い理想論でしかありません。彼を取り巻く人々は、皆、さまざまな思惑を抱いています。その周りの強欲さにしてやられたのが、今回の道長なのでしょう。
 そして、他人の思惑に対抗するには、彼自身も同じレベルになるしかありません。物事を成すには貪欲さが必要です。何がなんでも手に入れる、そのためには清濁を併せ呑む必要があるのでしょう。彼が手を汚し、それに傷つく覚悟をしなければ、まひろとの約束は叶えられないのです。

 一方のまひろも、道長との哀しい純愛、一途な想いに生きていたばかりに恋愛も婚姻にもある種の美しい理想を描いていました。しかし、だからこそ彼女は、道長と結ばれなかったのです。そのことは、何がなんでも夫にしてみせるといった倫子が、機を逃さず道長と夫婦になったことに表れています。
 第12回のnote記事でも触れましたが、まひろに足りなかったのは「「妾になってでも道長の心を北の方から奪う」…これくらいの野心」だと述べましたが、勝ち取るこそが恋愛と言う考えがまひろにはありませんでした。何故なら、それは恋敵も自分も彼も傷つけるからです。

 その甘さ、青さにつけ入り、まひろを妻としたのが、宣孝です。彼は望みを叶えるためならば、汚い手を遣うことも辞しません。やはり、清濁を併せ呑む者は強い。それを見せつけらたのが、まひろと宣孝の婚姻の顛末でしょう。
 ただ、不実を胸に宣孝との婚姻を覚悟した彼女は、自然と清濁を併せ呑む体験をしていくことになるのかもしれません。それが、道長との再会と不倫、そして娘の出産となるかもしれません。まあ、当たるも八卦当たらぬも八卦。今後を楽しみにしましょう。

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