私の中に内在する価値の原理を考える!【読書目安1分】
価値とは自然に生成された概念である。
価値とは自然であり、常識の基底部を成しているというのが私の仮説である。
価値とは量
希少性という観点から話をする際には、量の少ないものは価値が高くなり、量の多いものは価値が低くなることが分かるであろう。
とある面積に占める物質の量という分数にて比較することが出来る。
得られる結果は相対的であり、環境と時代を交錯するものであると知る必要がある。
この希少価値ということは、地理の履修範囲であるが、人間の心理効果に
アプローチした哲学的な分野である。
自明な価値
価値が量に由来するということを自明とすると、人間の思考方法の一つである価値の比較を把握出来る。
均衡価格の設定や円高円安の予想からも分かるように、このことを理解することは需要と供給の理解と同義である。
自慢と表現すると下品であるが、人間の承認欲求を満たす手段の一つが希少な存在になることである。
価値≒承認欲求≒自慢
価値と常識
価値と常識は基底部分でつながっていると仮定した。価値と常識の類似点を洗い出すとそれは「迎合」である。
価値から距離をおいた人間というのは社会からの隔絶を意味する。
仕事の出来具合も価値の比較であり、通貨システムを用いることにも価値が関わっている。
価値から断絶された世界というものは不可視である。
実在するものにおいてはいづれかの形で購入されたものと見ることが可能である。つまり価値が内包している。
また価値は目的とも癒着している。
つまり価値から断絶されたものは目的とも引き離す必要がある。
そのため感謝や人間関係といった概念にも価値は付きまとう。
常識を考えた上で、今の社会の問題点を考える
山手線に乗るときに車両が混雑していたら皆さんはどのような行動を取るだろうか…
混雑を避けるというのが人間の摂理である
しかし例外的には常識にはそれが適応されない
社会が我々を縛る力が強いのである。同調圧力的な力が価値を形成したと考えることも可能である
価値や常識を根拠に行動することは安心出来るが、進歩は生み出さない
クイズ番組で1人が間違え5人が正解した際には、正解した5人の評価は
標準的である。しかし、1人が正解し5人が不正解の時には、1人の評価は絶大なものとなるであろう。
最後に
マイノリティーであるから価値が低いという考え方は危険である。
むしろマイノリティーであるから、気づきを得られることもあるのである。
私の人生は価値という常識を辿るものではなく、自ら切り開くマイノリティーでありたい。
感謝と著作権について
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^-^*)
私は物事の考え方の根幹に余事象の精神をもっています。
常識という表の考え方がある一方で、非常識という裏の考え方があります。
非常識と常識は互いに交わらない関係の一方で、補完しあう関係です。
私の考え方は一般論とはズレておりますが、一般論と比較することで新たな知見が得られることかと思います。
このnoteは著作権フリーとします。引用や紹介など、心に共感する部分があったら、どのプラットフォームでも構わないのでどんどんしてほしいです。
コメントも必ず返すように心がけています。コメント欄という狭い枠の中ではありますが、意見の交換を行っていただけるとありがたいです。
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