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播磨国風土記で探る、兵庫県の古代【書籍レビュー】

最近、風土記の解説本をちまちま読んでます。
各地で伝承されてきた神話の欠片が保存された貴重な記録なので、眺めていると味わい深いです。ただ、個人的に馴染みのある地名が出てこないのはツラいところ。(うちの国はどうして風土記ないんだ…)

さて、今回レビューするのは、風土記のなかでも現在の兵庫県エリアの逸話を集めた『播磨国風土記』にフォーカスした一冊です。

ちなみに前回読んだ風土記本のレビュー記事はコチラ↓


書誌情報

『播磨国風土記: はりま1300年の源流をたどる』
編者:播磨学研究所   出版社 ‏ : 神戸新聞総合印刷
発売日 ‏ : ‎ 2016/9    四六判 286ページ
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4343009111

編者 播磨学研究所は兵庫県立大学に設置されている、兵庫の兵庫による兵庫のための研究施設(字面がゴツイ)
古代から現代まで、兵庫県関係の資料を収集し、トピックを発信しています。毎年播磨学講座という連続セミナーを開催しており、各方面の有識者がテーマに沿って講演してくれるようです。ちなみに2024年度は古墳時代だとか。楽しそう。
播磨学講座の内容は編集され、本書のように書籍化されることもあるので、追体験出来るのがありがたい。全国どこでも入手出来るのも助かります。


内容について

本書は2015年4月から11月にかけて実施された播磨学特別講座「播磨国風土記1300年 : 風土記からたどる播磨の源流」をもとに構成されたようで、古代播磨に関連した10個の観点からの考察が収録されています。1トピックは概ね20ページ程度。
以下は各項目の簡単な感想まとめです。

「五古風土記」の魅力 : シンポジウム
最初のチャプターは『風土記』について最低限の知識を得るための導入部。シンポジウム形式ですが、識者が各風土記の見所を順に紹介しているだけなので、複雑な議論はありません。
奈良時代に編纂されたもののうち現代まで残った五風土記(古風土記)…すなわち『出雲国風土記』『播磨国風土記』『肥前国風土記』『常陸国風土記』『豊後国風土記』について、まずはこれだけ知っておこうの章。

播磨国風土記の成立とその時代 / 今津勝紀
「そもそも、何で風土記って編纂されたの?」に対する解説をしてくれる章。
大和朝廷から風土記編纂の命令が出たのは天平年間と言われており、同時期には『日本書紀』や『古事記』の編纂も行われています。
東アジアの中で日本が中央集権国家として成熟し、平城京を作り律令制を整える中で、国家の成り立ちを語り、国土を細やかに説明する資料が必要になった…というのがキーだそうです。
710年、語呂合わせで「なんときれいな平城京」と覚える都は、当時の人々にとっても目新しく壮麗なものだったんだろうと改めて思いました。

ヤマトとハリマ : 風土記の政治学 / 古市晃
考古学的には、風土記が扱っている「古」「昔」のエピソードは中央集権体制の時代ではなく、古墳時代後半…つまり各地の豪族が大和に緩やかに従属しつつ群雄割拠していた時代と考えられているそうです。
この章では『播磨国風土記』に見られる大和豪族の痕跡に注目。特に頻繁に現れる渡来人の記述から、大和で渡来人を管轄していたと思われる葛城氏(葛城山麓に拠点があった)が想起されるとか。

また、天皇の中でも特に景行天皇は地方巡業の逸話が多く、彼のエピソードを読み解くと、大和政権と地方豪族とのソフト&ハード両面にわたる交流(婚姻と戦争)の痕跡が見え隠れしています。
当たり前ですが、古墳時代の人も色々と悩みながら政治してたんですねぇ

播磨の渡来人 / 亀田修一
タイトルはこんなですが、風土記に書かれた渡来人の伝説を読む、ではなくて、兵庫県各地に残っている渡来人の足跡を留めた遺跡(主に古墳)を紹介。どの遺跡にどのような出土物があったのか、大陸の影響が見られる様式についてのコメント等、結構細かいところまで載っています。
こうして見ると、古代播磨って渡来人だらけですね? 日本史の授業で習った時は渡来人=希少存在という印象だったのですが、現実には海の交流は活発だったようで。少なくとも、これだけの量の遺物が残るのは半端ない物流があってのことでしょう。


女神たちの華麗な戦い / 埴岡真弓
この章はちょっと面白い観点から風土記を読み解いています。
『播磨国風土記』に登場する女神もしくはそれに準ずる女性たちの名前とエピソードを一覧表にまとめており、改めて眺めると多様な描写が存在するのが一目瞭然。
興味深いことに、いわゆるお姫様として描かれた女性は少なく、大暴れして時には村人を殺したり地形を変えたりとなかなかアグレッシブ。さすが荒ぶる神。
また奈良から朝鮮まで遠征した神宮皇后の播磨宿泊時のエピソードが残っているのも特徴的です。おそらく、この描写は播磨国 海岸地方の村々がヤマト政権の支配下に入ったことを暗示しているのでしょう。伝説の裏に史実が見え隠れすることもあり、興味深いですね。

風土記の考古学 / 岸本道昭
風土記では建物を作ったり墓を作ったりといった描写が何回も登場しますが、考古学と突き合わせて考えると、どうも古墳時代の構造物を描写していると思われるそうです。
特殊埴輪の中に浄水祭祀施設を表した埴輪がありますが、風土記に登場する井戸や浄水設備はこんな形をしていたのかも…と想像がふくらみます。

三重県宝塚1号墳の導水施設形埴輪
https://mizunosaishi.yayoiken.jp/w-k-mizu.html


古代播磨を往来した人と神の足跡 : 出雲からやって来た人と神 / 森田喜久男
播磨国風土記』にはなぜか出雲出身の人や神が頻繁に登場します。オオナムチやスクナヒコナなど出雲神話の中心神が当たり前のように闊歩している播磨国。
中国地方の瀬戸内側と日本海側なので、まぁ近いと言えば近いですが、古代人はずいぶんと南北交通を重視していたようです。

地名研究の最前線 / 松下正和
ここでは風土記に登場する地名と現在の地名との照合を試み、個々のエピソードについて簡単に考察しています。
風土記編纂の理由のひとつは地名の由来を記録することにありますが、当時の地名が現在どこに相当するのか調べるのは意外と難しいそうです。
ただ、照応が正確に判明している場所もあり、現場に行ってみると神話が生まれた理由が分かったりするそう(例えば、巨石があったり、増水しやすい川があったり)
荒ぶる神の逸話が生まれるような場所は今も災害が起こりやすいことが多く、古代から変わらぬ地形と人間の営みを辿ることができるそうです。

地域で読み解く播磨国風土記
播磨の国の中央・北・西・東について、地形の特徴と風土記エピソードを対比していくチャプター。他の章と比べて数倍のページ数かあります。「南播磨」がないのが不思議ですが、「中央」が南のことですかね。
読んでいて特に面白かったのは「北播磨」の部分。古代北播磨の交通路がアルファベットのHに似た構造を持っていたのではないかと推察しています。
縦の棒が中国地方を南北に流れる河川、横の棒が街道ですね。北播磨での街道は、特に有馬温泉から六甲山の北側を抜けて遠く西方へ続くルートが想定されています。
こうした南北中央の道も昔から整備されていたようで、現在は中国自動車道になっているとのこと。海岸側を山陽新幹線、日本海側を山陰線、そして中央のライン。
古代人もこの東西の道と南北河川を組み合わせた活発な交通網を実現していたようで、知らない日本の姿が浮かび上がり面白いです。

「播磨国風土記」"神々"の足跡を追う / 中元孝迪
『播磨国風土記』に登場する神々のエピソードを眺め、大和朝廷との微妙な距離感について考えてみるチャプター。
上でも述べましたが、風土記が扱う「昔」はまだヤマトの権力が全国に強く及ぶ状態ではなかったようで、地方ごとに融和があったり反発があったりした模様。風土記に残っている数々の物語には、そうした背景を想像させるものが無数にあります。例えば、奈良から天皇がやってきて地元の有力者の娘を妻に迎えようとしたが、娘が逃げて逃げて、最終的に捕まって結婚した物語。これは姫の闘争ルートが各地方のヤマト併合順を示している…かもしれないとか。
また、播磨国は攻められる一方ではなく、防衛に成功したり外国からもたらされたモノを積極的に取り入れた形跡も見られる様子。
独立国家というには弱く、ヤマト政権の一地方というには強すぎる古代播磨。その複雑な政治状況がなんとなく透けて見えます。


まとめ

播磨国に特化して風土記を様々な視点からコメントしていく本。
一般向けの内容になっているので読みやすく、楽しめます。兵庫県の昔について色々思いを馳せてみたい方におすすめ。



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