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[小説] 転校生の田中くん

 「今日から転校してきた田中くんです。みなさん仲良くしてあげましょう!」
 担任に連れられてやってきた彼は背が低くメガネをかけた陰気な男の子だった。ミーナは一番後ろの席から彼の様子を眺めていた。クラスメイトは夏休み後にやってきた彼のことを微塵も気にしていないようだった。
 「はい、では田中くん。自己紹介して」
 田中くんは先生に背中を押されても口を動かさなかった。メガネのレンズが光を反射して彼の目を隠していた。
 クラスメイトは私語をやめない。田中くんはその様子に落胆しているようにも見えたし全く気にしていないようにも見えた。
 先生は終始笑顔だったが、口を開かない田中くんに対してだんだんとその笑みが失われていって困惑に変わった。
 「どうしたの?お腹痛い?保健室行こうか。大丈夫?何かあった?保健室行こうか。緊張するわよね。初めましてだもん。保健室行こうか」
 先生はしきりに田中くんを保健室に行かせようとした。ミーナは田中くんがリュックを下ろしていないことに気がついた。その黒いリュックは中身がパンパンに詰まっていて、今にもはち切れそうだった。彼は紐のところをずっと手で握っていた。
 「『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』」
 それが田中くんの第一声だった。
 意味を掴み損ねた担任は長い沈黙を経て彼が喋ったことに対して満面の笑みで喜び「これからよろしくね」と席に座るように促した。田中くんはミーナの隣の席に座った。 
 それから何ヶ月経っても田中くんがクラスに馴染むことはなかった。最初のうちは転校生ということでなんだかんだクラスメイトの興味を引き、彼に質問を投げかける人もいた。
 しかし、田中くんが発したのは「『夢の総量は空気であった』」だの「『どっどど どどうど どどうど どどう』」だの「『こんなよい月を一人で見て寝る』」だの意味がわからないものばかりだった。
 田中くんとクラスメイトの距離は縮まることなく、むしろ遠ざかって行った。彼はそもそも勉強も運動もできるタチではなかった。そこに会話もできないことが加えられては、彼と接しようと思う人がいるはずなどなかった。
 そんな中、ニーナだけは違った。
 田中くんの住む家はニーナの隣にあった。彼ら一家が引っ越してきた時にニーナの家に挨拶に来ていたからクラスメイトよりも先にニーナは彼と会っていた。
 田中くんは黙って母親の後ろに立っていただけだからクラスメイトとほぼ変わらないようなものだけど、帰る方向が同じなのでニーナは田中くんがずっと視界に入っていた。パンパンに詰まったリュックは形を変えることはなかった。
 田中くんが転校してきてから数ヶ月後、下校中、ミーナは思い切って彼に話しかけた。
 「田中くん、友達できた?」
 ミーナは彼が友達の一人もいないことをわかっていて聞いた。ミーナは決して意地悪だったのではない。田中くんとの話のきっかけを探して、それ以外何も思いつかなかっただけだ。
 田中くんはピタッと足を止めて振り返った。氷のように冷たい視線を彼女に投げかけた。ミーナは田中くんの反応として、歩きながら応えるか無視するかだと思っていたから、彼のその反応に対してたいそう驚いた。
 ミーナも足を止める。彼らの間に沈黙が訪れる。
 ミーナはこの空気が耐え難かった。振り返って何も話さない田中くんに憤りすら覚えた。せっかく話しかけたのに。なんで田中くんはそんなに冷たい反応を取るのだろう?
 「なんで何も話さないの」
 ミーナは我慢できずに言った。
 「『夏草や兵どもが夢の跡』」
 ミーナはぷっつんと頭の中で何かが切れたのを感じた。
 「わっっっかんないわよ!!!」
 ミーナは持っていた手提げ袋を振り回して田中くんの頭を殴った。
 田中くんはよろけて尻餅をついた。彼の体と地面に挟まれた黒いリュックがパァン!と破裂音を立ててビリビリに裂けた。中身がドドドと溢れた。それは大量の本だった。どうやってそのリュックに入っていたのかと思うほどの量だった。
 田中くんはアワアワと狼狽えた。ミーナは初めて彼の人間らしい感情を見た。田中くんは本を必死に拾い集めてリュックに入れるも、リュックはもはやその形を保っておらず本を集めるのは不可能だった。
 ミーナは申し訳なさを感じた。手提げ袋に入れようかと思ったけど、そこにはミーナの体操着とかが入っていたから何か物を、ましてやこんなにも大量の本を入れる余裕なんてなかった。
 田中くんはパラパラと本のページを捲り始めた。ミーナは「ごめん」と呟いた。田中くんは彼女の言葉に反応せずに、ぽつぽつと涙を流しながらページを捲り続けた。何かを探しているような感じだった。
 「『どこか』『に』『あるはず』『な』『ん』『だ』」
 正面から車がやってきて、プップーとクラクションを鳴らした。
 「『どこか』『に』『あるはず』『な』『ん』『だ。』『僕』『の』『言葉が』」
 ミーナと田中くんの頭の中からクラクションの音は消えていた。

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