[短編小説] 藤倉教授

「言葉の応用」初回の授業、藤倉教授が講義室に入ってくる。中肉中背、眼鏡をかけていて髪は短い。大半の人がそうであるように、彼がいるだけで場が華やかになる、ということはなく、学生たちは談笑を続けていた。チャイムがなり、藤倉教授が教壇に立って口を開く。
「君たちは学生である前に大人です。大人とは自分自身で責任を負う人たち、彼らのことを指します。あなたたちに少年法は適用されないし、契約も保護者の同意なくすることができます。あなたちの行動、人生の責任は自分たちで持つことが要求されるのです。しかし、あなたは学生です。学生というのは与えられることが保証されている身分であり、社会人になるとあなたたちは与える側に回ります。社会人になる前の、この大学生活での数年間は、与えられることを保証された、最後の時間です。もちろん、大人になってからも学ぶことができますし、与えられることは多々あるでしょう。大人になってから再度、学び直すこともできますし、私はそう言った人たちを歓迎します。一つ言いたいこととして、この学生である期間の意味を履き違え、人生最後の夏休みとして生き急ぐように遊びに時間を割けば、きっと社会に出て最初の数年間は辛いものになります。社会人になって仕事を始め、鬱になる人がいるでしょうが、私は彼らを自分たちの責任だと言いたいのではありません。彼らにもそれなりの事情があるでしょうし、私は彼らの人生を通して見たわけがないので、そこを判断することはないです。しかし、社会人になる前の準備によって、回避できる谷もある、ということを伝えたいのです。鬱になったら人を頼りましょう。なってしまった以上は仕方がないですし、そう言った人たちを助けようと動く人がいます。彼らを頼りましょう。あなたたちは、その前の段階にある、ということを忘れないでください。その一歩手前で準備をすることを許されている期間ということを忘れないでください。この授業では課題のみで成績を判断します。基本的に出せば単位は取れます。それは私がやる気のない生徒をこの講義室に入れないためです。やる気のない生徒は勝手に堕落してください。単位は課題を出せば出します。その単位に何の価値もないでしょう。あなたが楽して過ごした数年間は、あなたがこれから受ける苦しみの数十年間です。が、私は知ったこっちゃありません。私はどうでもいいのです。しかし、立場上、私は教授で、あなたは学生です。学ぶ意欲のある人には私は惜しみなく、自分の知識を与えます。あなたたちは自分自身で選ぶことができます。他でもない自分のために、弛まぬ努力に乾杯を。そして、この授業は言葉の応用、すなわち詩の書き方について話そうと思っています。あなたたちに教えるのは詩の書き方です。自分の感情を言葉に表す方法を教えます。これは自分自身を守る術になります。鬱屈した感情を内にとどめ続けるのは精神衛生上良くないです。私は身をもって実感しています。世の中にはこう言った辛い気持ちを作品にして売っている人が、お金に変えている人がいます。音楽家、画家、小説家、漫画家…彼らのように、感情は諸刃の剣です。あなたたちは自分自身を守る術として、理想を言えば、その感情でお金を得るための術を学ぶのです。あなたたちのこれからの時間が有意義であることを祈ります。」
藤倉教授は振り返って黒板に文字を描き始めた。散って地面に落ちた桜の花弁のような、無秩序な言葉の整列は、彼ら学生の頭の中には届かなかった。

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