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ヴェネツィア物語

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ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意、ヴェネツィアをめぐる物語。
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#ヴェネツィア暮らし

ヴェネツィア物語

これから長々と私のヴェネツィア物語をお話しします私たち夫婦は、縁あってヴェネツィアとそこに暮らす人々に出会いました。 これまで長い間通い続け、そのコミュニティーに身を置き、自然環境と シンクロした昔ながらの暮らしに触れてきました。 #都市型スローライフヴェネツィア的生活ヴェネツィア、とりわけヴェネツィアのマンマに出会って、確実に人生が 変わったと思っています。 生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。 多くの人にヴェネツィアで暮らす人々の生活を知ってもら

ヴェネツィア〜洗濯物のある風景

イタリアの下町といわれて誰もが思い描くのは、 あの映画に出てくるような洗濯物はためく 路地裏の光景ではないでしょうか。 今や都市部ではそんな眺めも少なくなっているというけれど、 ここヴェネツィアではまだまだ健在です。 庭先はもちろん、通りに面していようが運河の上だろうが、 おかまいなく洗濯物は窓の外に盛大に干すのが常識なのです。 ヴェネツィアの典型的な集合住宅にあるcorte=コルテ ヴェネツィア流洗濯物干し ヴェネツィアの一般的な住居は大半が石造りの集合住宅で、 cor

北イタリアの夏〜①プロシュットの神様

毎年同じことを思うけれど、今年の夏も格別に暑い。 日本も8月はお盆休みがありますが、夏のイタリア はヴァカンツァ一色。 都会は空っぽ、その代わり海辺や山の避暑地に人が押し寄せる 民族大移動が起こります。 切ないことに、まだまだ旅に出かけられない日々が続きそう。 しばらくは旅のアーカイブをたどって、 #イタリアの夏の思い出 を追いかけてみます。 まずは北イタリアの #プロシュットの名産地サン・ダニエレ を はじめて訪れたあの日のことから。 #プロシュットの神様 2002年8

GRAN CALDO〜イタリアの暑い夏

夏のイタリア はヴァカンツァ一色。 都会は空っぽ、その代わり海辺や山の避暑地に人が押し寄せる 民族大移動が起こります。 とんでもなく暑かったあの夏のこと、シエスタとジェラート、 イタリアの夏の風景のスケッチです。 イタリアの正しいヴァカンツァは イタリア人の考える正しいヴァカンツァは、観光地の名所旧跡を訪ね歩く のではなく、日常を離れたなんにもない田舎の山や海辺で家族でのんびり だらだらと過ごすことにあります。 全国的に一斉にヴァカンツァに突入するので、8月にイタリアの観光

トリエステ発ミステリートレイン

イタリアの電車はアナウンスもなく黙って発車します。 それも時刻通りではなく30分や1時間遅れなどざら、 時には予定の列車を一本飛ばしたりすることもあるので、 ちゃんと乗車するまで気が抜けません。 しかし遅延であれ運休であれ表示されていれば幸いというもの。 あの時トリエステで起きた1件は、未だもって何だったのか 謎のままなのです。 ミステリートレイン〜 IL TRENO MISTERIOSO 2007年冬 トリエステに行ったのは初めてでした。クリスマスも近いある週末、 友人の

ヴェネツィア暮らし〜フェスタ、フェスタ、今日は休日

週末が近づくとマンマはそわそわしはじめ、まずはあちこちに電話連絡。 休日=フェスタといえば、家族や友達と集まって一緒に食事をしたり、 少しばかり遠出するのがおきまりの楽しみなのです。 さて、今度の週末はどこへ行くことになったのでしょう? 2001年の春、ちょっと昔のヴェネツィア暮らしのお話です。 週末のお出かけ、その行き先は? ヴェネツィア暮らしのお出かけといえば、まず北岸の船着場=フェルマータから船に乗り、例えばブラーノ島のレガッタ祭りなど、ラグーナに散らばる島々へ。夏

わたしのヴェネツィア案内①〜舟と路地とアペリティーヴォと

ヴェネツィアに通うこと25年あまり、 少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていました。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 ヴェネツィアはそういう特別な場所です。 不思議な縁で導かれるように、友人の両親であるパパとマンマに出会い、 それが私の人生を大きく変えることになりました。 2021年の今、世界中がCOVID-19のパンデミックに覆われています。 切ないことに、まだヴェネツィアに行く見込みは