北イタリアの夏〜①プロシュットの神様
毎年同じことを思うけれど、今年の夏も格別に暑い。
日本も8月はお盆休みがありますが、夏のイタリア はヴァカンツァ一色。
都会は空っぽ、その代わり海辺や山の避暑地に人が押し寄せる
民族大移動が起こります。
切ないことに、まだまだ旅に出かけられない日々が続きそう。
しばらくは旅のアーカイブをたどって、 #イタリアの夏の思い出
を追いかけてみます。
まずは北イタリアの #プロシュットの名産地サン・ダニエレ を
はじめて訪れたあの日のことから。
#プロシュットの神様 2002年8月
イタリアから帰ってきて一週間が経つ。旅の余韻に浸る間もなく、
あっという間に忙しい日常に呑み込まれてしまい、きらきら輝く
イタリアの日々はもはや遠い夏の日の思い出となりつつあります。
ああ、もったいない!
今回は友人キアラの誘いにのって、ヴェネツィアから足を延ばし、
彼女の出身地であるフリウリで夏の数日を過ごすことにしました。
友人の故郷を訪ねるのは、その土地の人々や暮らしに触れる楽しさ、
地元民の案内でディープな体験ができる面白さがあります。
何しろみんな自分の故郷こそ世界一!と自慢したくて手ぐすね
ひいて待っているのですから。
ヴェネツィアから列車で2時間あまりの東に位置するフリウリ州は、
オーストリアやスロヴェニアと国境を接し、言語を含めハイブリッドな文化が形成されている土地柄です。
話に聞けば、キアラの実家はかなりの山奥にあるらしい。
北イタリアの山の生活を体験できるとあって、興味津々で向かいました。
そして期待通り、ヴェネツィアには通い慣れていた私たちにとっても、
風景も料理も文字通りいつもとはひと味もふた味も違った旅になりました。
ハイライトは、フリウリに行くならぜひとも行きたいと考えていた
プロシュット=生ハムの村、サン・ダニエレへの「聖地巡礼」を
果たしたこと。
パルマと並びイタリアの2大プロシュットとして知られるサン・ダニエレのプロシュットは、私たちがイタリアに通うことになるきっかけのひとつでもある重要事項だったのです。
今までだって自主的に行こうと思えば行けたのですが、
私たちがヴェネツィアに導かれていったように、きっといつかまた
自然のなりゆきで呼び寄せられるのだろうと思っていました。
そして、その運命の日「いつか」は2002年の8月23日だったのです。
フリウリで過ごす休日の前半はキアラの姉夫婦、ジェンニとクラウディオの家に滞在することになりました。
彼らの家はOsoppoという山間の小さな町にあり、サン・ダニエレへは
8キロほど。なんと隣町くらいの距離なのでした。
それを知った時点で私たちは浮き足立ちます。
しかし、地元民にありがちなことで、外国人の私たちが目の色を変える
サン・ダニエレも彼らにとってはありふれた日常の一部にすぎません。
早く行こうと言い出しかねて、そわそわしている私たちを横目に、
そういえばしばらく行ってないなあ、久しぶりに行ってみるかと、
午後遅くになって、やっとおもむろに車を出し向かうことになりました。
ついにサン・ダニエレの地を踏むことができたその日、
なんという奇跡でしょうか、村は年に一度のプロシュット祭り
「Aria di Festa」の準備の真っ最中だったのです!
連れてきてくれたジェンニたちもまさかフェスタに出くわすとは
思いもよらずびっくり。こんなことってあるんだろうか。
やはり、私たちにはプロシュットの神様がついているにちがいない、
と確信することになりました。
サン・ダニエレの中心は小高い丘の上。村の広場や石畳の舗道のあちこちに、テント小屋が立ち、長いテーブルとベンチが設置されています。
地元の直産品を並べた屋台、ステージの準備も始まり、お祭り気分が
盛り上がってきます。村のまわりの臨時駐車場も、近在の町や
国境の近いオーストリアからの車で埋まっていきます。
夏のまだ充分明るい夕刻、続々と人が集まりはじめ、あっという間に
どっちをみてもプロシュットをほおばる人人人---で埋め尽くされていく
のは壮観でした。
丘の麓周辺に点在するプロシュット工場を巡回する無料バスもあり、
好きなポイントで自由に乗り降りしてプロシュットの味見ができる
という夢のようなフェスタ。
私たちも早速このバスに乗り込み、ミシュランよろしく星の数で
採点しながらいくつかの工場を回ることにしました。
どの会場でも大きな紙皿のプロシュットのひと盛りが3エウロくらい。
ダイスに切った赤肉メロンやグリッシーニもあります。
もちろんヴィーノ、そしてビールも。
プロシュットにはヴィーノだろうと思っていたら、近くのオーストリアから大型観光バスを仕立ててやって来る客も多いからか、
皆が飲んでいるのはビール。
最初は意外に思いましたが、なるほどこれだけプロシュットを
食べまくると、さすがに喉が渇いてきます。
そこでビールで潤すのがちょうどいいのだと納得しました。
巡回バスの先をフラフラと千鳥足運転の自家用車が行くのを見て、
「ありゃ飲みすぎだな!」と、自分も紙コップ片手で上機嫌の
乗客たちは大笑い。
今にして思えばなんとものどかな、イタリア的な眺めです。
プロシュットの神殿にて、喜色満面のイサオ君
夜になって宴もたけなわ、村中が人で埋め尽くされます
予想通り大規模な(日本でも見かける銘柄の)工場のものは、
cosicosi=そこそこのお味。
さすがに村の中心にある伝統的な作り方を守る老舗のプロシュットは、
味や香りはもちろん、しっとりした感触や見た目も他とは別物と
いっていいくらい文句なしの三つ星です。
当然、ここで腰を据えて本格的に食べることにしました。
無数のプロシュットが並ぶ熟成の貯蔵庫にも、この日ばかりは
自由に見学できます。
ああ!私たちにとって、まさにそこはプロシュットの神殿でした。
係のシニョリーナが、フリウラーナ特有のマシンガンのような早口で説明を始めます。それによるとサン・ダニエレ産のプロシュットを格別の味
たらしめているのは、この地の気候条件、とりわけ山から吹き降ろす風、
つまりAriaによる熟成が必須なのだとか。
ここでジェンニが真顔で「私の家はここからすぐ近くなのよ。気候条件は
同じなのだから、家でもプロシュットができるかしら?」と質問し、
それまで立て板に水だったシニョリーナが、一瞬ぐっと言葉を詰まらせた
のも、忘れられない思い出です。
グリッシーニをポリポリやりながら、ひたすらプロシュットを食べ、
ビールを飲み、地元の楽隊のご陽気な歌に合わせて深夜まで歌い、踊る。
そしてまた、プロシュット---。プロシュット好きにとってはこの世の天国。
プロシュットの神様ありがとう!と感謝した夏の一夜でした。
フリウリの名水GOCCIA di CARNIA(カルニアの雫)「AI BINTERS」にて。
思い出へのあとがき
はじめてフリウリに行った2002年の夏以降、イタリアに行くたび、
私たちはジェンニやクラウディオ一家の家に厄介になっては、山の暮らしを楽しみました。もちろんサン・ダニエレには必ず一緒に行き、
プロシュッテリア「AI BINTERS」で、思い切りプロシュットを味わうのが
いつものことでした。
今回20年前の思い出を語るにあたり、ネットでチェックしてみたところ、
サン・ダニエレはプロシュットの産地として世界中に知れわたり、
訪れる観光客も当時とは比較にならないようです。
老舗の作り手も、団体客も受け入れられる広い駐車場付きのレストランやショップ、オンライン販売など大きく事業を広げていました。
20年という月日が経ったのだもの、これだけの変化が起きるのは
仕方ないよね、と思いながら一抹の寂しさも通り抜けていきます。
デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。