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ヴェネツィア物語

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ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意、ヴェネツィアをめぐる物語。
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ヴェネツィア物語

これから長々と私のヴェネツィア物語をお話しします私たち夫婦は、縁あってヴェネツィアとそこに暮らす人々に出会いました。 これまで長い間通い続け、そのコミュニティーに身を置き、自然環境と シンクロした昔ながらの暮らしに触れてきました。 #都市型スローライフヴェネツィア的生活ヴェネツィア、とりわけヴェネツィアのマンマに出会って、確実に人生が 変わったと思っています。 生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。 多くの人にヴェネツィアで暮らす人々の生活を知ってもら

ヴェネツィア病

ヴェネツィア病、この重い病にかかってからずいぶん長い歳月が 流れました。私が最初にヴェネツィアを訪れたのは、 今から35年ほど前のイタリア旅行中のことでした。 ヴェネツィアとの出会いは衝撃でした その時の衝撃は、いつでも皮膚感覚まで伴ってリアルに脳内再生することができます。よく晴れた冬の午後、乗っていたタクシーボートがカナルグランデを抜け、サンマルコの広い水際へと放たれるように出ていった瞬間、 切るような冷たい風を受けながら私はいわゆる「ぶっとんだ」状態になり、恍惚として

マンマのリチェッタのゆくえ

実家への里帰りよろしくヴェネツィアに通うこと25年あまり。 私にとって何より大事なのは、マンマ・ロージィと一緒に暮らすこと、 そして世にも幸せな味のマンマの料理を学ぶことでした。 マンマの料理には、生粋のヴェネツィア人としての心意気と家族のために 傾ける情熱のすべてが込められていました。年を経てマンマ自身も老境に さしかかってくると、互いに一時でも長く一緒にいたいという思いは強くなっていき、ヴェネツィアにいる間はどんな約束よりマンマと過ごす時間が最優先でした。 #家庭の味

リチェッタの秘密

ヴェネツィアの家でマンマ・ロージィと過ごした日々。 他愛もないおしゃべりをしながら市場へ買い物に行き、狭い台所に立ち、 円い小さなテーブルで食事をする。ただそれだけであたたかい気持ちに 包まれる、何ものにも代えがたい至福の時でした。 何であれすべて必ず終わりがあると分かっているからこそ、 その一瞬一瞬が大切でした。 マンマの味を守りたいという情熱後年パパ・ヴィットリオを失ってから、ひとり暮らしになったマンマは、 おそらくいつもは簡素な食事ですませているようでしたが、私たちの

マンマのテーブルクロス

愛するマンマ・ロージィについて、さて何から話そうと思った時、 真っ先に心に浮かんだのは、ヴェネツィアの家のあの戸棚でした。 リネンはマンマの宝物2013年、ヴェネツィアの家でマンマと過ごした数週間、互いにそれが最後になるかもしれないという何か予感のようなものがあったのでしょうか。 いつもは私たち夫婦はサロンのソファベッドを使うことにしていました。 けれど、その時に限ってマンマがふだん自分が使っている広い主寝室を使うようにと頑固にすすめるので、しかたなく従うことにしたのでした

暮しの手帖とヴェネツィアと

亡き母は「暮しの手帖」の熱心な愛読者であり、この本は子供の頃から いつも私のそばにありました。今の私のライフスタイルの原点といえる ものかもしれません。 1969年発刊「戦争中の暮らしの記録」 1969年発刊の「戦争中の暮らしの記録」も、今も古びたまま実家に置いて あります。はじめて読んだのは、中学生の頃でした。 戦争中の日々の暮らしの細かな描写や普通の人々の物語は、それまで見聞きできなかったことばかりで、興味は尽きず何度も繰り返し食い入るように 読みふけったものです。 集

ヴェネツィア名物エル・サオール    ①おしゃべりがご馳走

誰もが夢見るヴェネツィア暮らし。 それは、私たちがちょっと忘れかけている濃いつきあいのコミュニティーに身を置く暮らしです。イタリア人の中でも飛びぬけておしゃべりな ヴェネツィア人、常に最大級のコミュニケーション力を要します。 #チャーオで始まるヴェネツィアの1日 *アパートの中庭コルテ *夕暮れ時のフォンダメンタ パリから夜行列車に乗って、朝のヴェネツィア、サンタ・ルチア駅に着く。 ここから目指す家まで荷物を曳きながら歩いていくのが常でした。 近所のバルビエレ(床屋)

ヴェネツィア名物エル・サオール    ②鰯の甘酢漬け

ヴェネツィア人をつかまえて、「ヴェネツィアの名物料理は?」と尋ねたら、ほぼ全員が「そりゃサオールだろ」と答えるに違いありません。 ヴェネツィア中の料理屋や居酒屋のどこにでもある定番料理、 サオールのお味とは? #ヴェネツィア人は甘酸っぱい味が大好き エル・サオール=EL SAOR、一見スペイン語のようなこの料理名は ヴェネツィア弁で、イタリア語ならばイル・サポーレ=IL SAPORE、 すなわち「味」の意。 味なもの、旨いもの、の代名詞というところでしょうか。 サオールと

ヴェネツィア的節電

3.11直後、節電モードになった東京は一時ヨーロッパの町のような灯りの量になり、町としての風情を取り戻したように見えました。 本来陰影礼賛の文化を持つ国なのだから、抑制のある美について感じるものがあるはずだと、少しほっとしたものです。 25年前にヴェネツィアとそこに住む人々の自然とシンクロして生きる暮らしに出会って、生活の質、本当の豊かさとは何かに気づかされました。 以来、ヴェネツィアに通い、東京においてもヴェネツィア的生活と称して 小さいエネルギーで暮らす都市型スローライ

ナターレのダンスパーティー

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 そのヴェネツィアも、この数年でおそろしいスピードで様変わりしている。 愛するマンマのいたあの頃のヴェネツィアを懐かしく思い出す。 2007年の冬、久しぶりに過ごしたヴェネツィアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、

SALE E PEPE 塩と胡椒

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その2は、 北イタリア、フリウリで過ごしたクリスマスの大切な思い出。 スロヴェニア国境に近い山奥のトラットリアでの、 多国籍混成総

スロヴェニアの森にて

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その3は、 国境を越えてスロヴェニアの銀世界でスプマンテとパネトーネの ピクニックをした、素晴らしい1日。 スロヴェニアの森にて

スノードームの世界

少なくとも年に一度はヴェネツィアの空気を吸わないと、 自分らしさが保てないような気がしていた。 大切なものに気づいてかみしめる、自分の軸みたいなものを確認する、 私にとってヴェネツィアはそういう特別な場所だ。 2007年の冬、久しぶりに過ごした北イタリアのナターレは いささか後遺症をもたらすほど濃い日々だった。 クリスマスの大切な思い出シリーズ、その4は、 北イタリアのフリウリの山村で過ごしたクリスマスイヴ。 「私たちの住むこの世界はは思ったよりずっと小さく閉じていて、 確

コウノトリの住む村に

北イタリアのコウノトリが住む村の農場で、アグリツーリズモ体験。 自然の中にすっぽりと包まれて、お腹も心もこれ以上満たされることはないほど一杯になる。 5月のとある日、我々の車は北イタリアはフリウリ州のウーディネ郊外の 田舎道を走っていた。 我々というのは、例によってアントネッラとダニエルのカップル、キアラとエマニエル夫婦と子供たち、そして私たち夫婦といういつものメンバー。 目指すのは、FAGAGNA(ファガーニャ)にあるファットリア、そのまま 訳せば「農場」だけれど、つまり