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子猫を保護した話

私が猫を保護した話をしていこうと思う。保護した話、と聞くとなんだかいい話に聞こえるが実はそんなことは無いと思っている。

先日、梅雨の時期には珍しく晴れた日に私の友人のアルバイト先の近くに段ボールに入った子猫が鳴いていたらしい。友人のアルバイト先の方が、その日だけすこしだけご飯をあげていた。友人のアルバイトが終わり、私に連絡をして私の家に子猫を持ってきた。
その猫は真っ黒で小さくて軽くてかわいかった。撫でるとのどを鳴らして、少し慣れると私の腕の中で眠った。
大学生という自分の立場を考えると、猫など飼えるわけがなかった。子猫のこれからの行く先を考えることにした。私の住んでいる地域に保護猫カフェがあることを知っていた私はそこに電話を掛けた。「病院に連れて行っていただいてもいいですか?」と言われたので、いくらかかっちゃうかな~と思いながら段ボールに入った子猫を連れて歩動物病院に行った。

病院では「まだ生後一か月くらいだから、何も検査できないね。もし病気があっても半年くらいしないと顕著に表れないんだよね」と言われて、お代もいらないと言われて300gだと分かった子猫を家に連れて帰った。そして、その日のうちにお金と一緒に保護猫カフェに預けた。

私は猫が好きだ。猫を捨てるってどういうことなのか、いまいち、理解していない。

保護をして思ったことは、この猫にとっては何が幸せだっただろうかということだ。人間のエゴで、私の助けなきゃという自己中心的な思いで、この子猫の運命を決めてよかったのだろうか。命を助けたんだよ、いいことをしたよという声がきっと一般論だろうし、私もそう思っていたし、誰かが猫や犬を保護したら同じことを思う。

私の片手にのってしまうたった300gのいのちはとてもとても重かった。私は初めて、いのちをどうするのかという選択をした。私は生かすという選択をした。正解だったと思うし後悔はしていない。けれど、何を考えているのか分からない生き物の運命を決める責任はとても重かったし、もう二度と保護したくないと思った。でも、やっぱり私の自己中心的な考えで生きてほしいと勝手に思い、また、同じように行動するのだろう。

むぎちゃん ガラス

後日、保護猫カフェに足を運んだ。ガラス越しの子猫はご飯もよく食べて、よく人に甘えて、元気に過ごしていた。幸せならよかったなと素直に思った。子猫が大きくなった姿を見ていたいと思った。また、今度、会いに行こう。
幸せってなんだ。私の幸せが分かってないのに、子猫の幸せを決めてよかったのか。ずっと思い続けている。

いのちってなんだ。しあわせってなんだ。

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