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【DAY.54】2023年月2月8日の生存報告【白血病】

 造血幹細胞移植から54日、長かった入院生活もやっと退院が見えた。振り返るとところどころ記憶が曖昧なのはきつさもあっただろうし、移植治療という非日常が日常化するという異常な状態にもなっていたのだろう。
 SNSはちょこちょこ更新していたものの、noteは更新できていなかったので、移植後の振り返りもかねてまとめた記録を残しておく。

▶今日の基礎情報

・体 温:36.5℃ (38.0℃以上で血液培養等感染症チェック)
・体 重:64.4kg

▶治療メニュー

・12月24日~2023年1月3日

血球推移

 この時期は前処置の副作用による粘膜障害と口内炎のコンボで顔が1周りくらいはれ上がり顔がパンパンでまともにしゃべれない状態。食事もウィダーやゼリーのみで点滴での栄養補給で栄養を取っている状態。
 加えて発熱が続くことでせん妄状態のような感じで、急に頭の中のことと現実のことの区別がつかなくなるというような症状も出ていた。独り言を言っては『何言ってんだ』と自分で突っ込むような感覚があった。
 ちなみにこの頃は毎日血球を増やす点滴を受け続けていたけど血球は全体的に減少傾向、毎日のようにヘモグロビンや血小板の輸血を受けていた。

 そんな中で急遽部屋の引っ越しを要請され、挙句師長さんの対応があまりにも杜撰だったため久しぶりにしっかり声を出して怒った。

 そんな調子で病室が変更になったあたりが下痢のピーク。1日20回以上トイレに駆け込むこともざらな日々。というかこの頃になると何か体に異変があると『トイレ行かないと』という強迫観念めいた衝動に駆られていたと思う。
 結局年内には白血球が増加することもなく、移植から2週間が経過。末梢血幹細胞移植の場合2~3週間程度で生着するとなるとそろそろリアクションが欲しいなと思ってた頃。

 そう思っていたら正月早々白血球および好中球に回復の兆しが出てきて、下痢や口内炎も回復し始めた。ただ、肺がうっ血して呼吸機能が低下して、ベッドの上で溺れるような感覚をはじめて味わった。酸素吸入のケーブルを鼻に挿して心電図モニターやパルスオキシメーターを再装着。

1月4日~13日

血球推移

 うっ血や炎症反応が高まりこれまでとは違う辛さが襲ってきた。定期的に来る発熱が粘膜障害とリンクして、発熱が治まるまでは何ものどを通らないような痛みが出たりしていた。それでも体調が良ければゼリーを食べられるくらいには回復してきた。

 うっ血等の原因は恐らく血球を増やす点滴を行うことや免疫反応による炎症状態、むくみなどによるものとの判断により、血球を増やす点滴をとめたところ、血球の回復速度は当然落ちたものの少しずつうっ血やむくみもとれてきて痛みも治まってきた。
 そうこうしている内に好中球の量が基準を満たし、移植から23日目、1月8日付で無事に生着を確認することができた。3週間を超えたあたりから心配になってきたものの、無事に生着できてひと安心。

・1月15日~25日

血球推移

 生着後、段々と各血球も回復傾向に進み始め、体の痛みも少しずつ回復してきたものの、特に食事については本当に何も食べられず、移植前に食べられたそうめんなんかも全く味もせず何口か口に入れては吐き戻しそうになるという状態が続き、ほかのおかずでも全く受けつかない状態になってしまっていた。考えてみるとこの時から徐々にメンタル的につらい時期に入ってきた。

 それを繰り返している内に食事という行為自体が非常に苦痛で憂鬱な行為になってしまっていた。そうこうしている内におなかに違和感を感じるようになり、突然の腹痛から絶食のコンボ。症状的には1番最初に入院したころに発症したストレス性の急性胃炎。

 ここら辺から自身の感情をうまくコントロールできなくなってきており、突然涙が出たりかと思えば何も考えられなくなったりとかなり不安定な状態になっていたと思う。
 無菌室から久しぶりに自分の足で歩いて出たりと回復はしているのだけど、その進度の遅さと自分の中のイメージのすり合わせができていなかったのだと思う。
 加えて、SNSを通して同じように闘病を続けている方々の頑張りや成果に対して意味のない焦りを感じたりと、『今の自分はできてない自分、もっとできるはず』という幻想に圧し潰されそうになっていた。
 思えば移植後から毎晩1時間毎くらいに起きてはトイレに駆け込んだりとまとまった睡眠をとれていなかったこともあり、確実に肉体的な疲労を精神的な疲労が上回っていたのだと思う。
 先生に相談し、抗うつ剤の服用を始め、SNSの閲覧を控えるなどして体よりもこころの回復に努める日々だったと思う。

・1月25日~2月8日

血球推移

 1月末の頃は胃炎による絶食が始まったため食事の必要がなくなったこと、抗うつ剤の影響で徐々に睡眠時間が延びてきたことで少しずつ精神面も安定してきた。何より自分のイメージと現実のずれをしっかりとすり合わせができたと思う。『できてないけどそれは仕方ない、それを含めて今の自分。できるようになったことを続けられるようにしよう』と思えるようになってきた。

 そして現在、心も体もだいぶ回復してきて、ご飯もお米とみそ汁は食べられるくらいには回復し、すべての点滴が内服等に切り替わり、首のCVもフリーになった。念のため週末まではもうしばらく外さないようだが、着実に退院に近づいている。幸いなことに現時点では大きなGVHDもなく、前処置による副作用が未だ続いているような感じ。
 いよいよ退院が週末に近づいてきたのは嬉しい限りだけど、おかずが食べられない問題は全く解決していないのでこの点は退院後の課題になるだろう。
 血小板が謎の減少を続けていたが、内服薬を変更したことで徐々に回復の兆しを見せつつある。

▶抗がん剤による副作用等

・体調:倦怠感、局所的な乾燥、手足の皮の剥け代わり、微熱、粘膜障害、味覚障害
・痺れ:手足に若干あり(生活に支障なし)

▶雑記

 2022年12月6日に入院し、2月12日に退院予定。約2か月と1週間。これまでの闘病生活で最も長くつらい治療だった。現状の治療の成果としては上々ではあるものの、再発のリスクは当然にある。そして再発しなかったとしてもGVHDなどの移植の副作用とは一生付き合っていくことになるかもしれない。退院=完治ではない。これから少なくとも5年間は再発などの可能性を見逃さないよう、定期的な外来受診が必要になってくる。まだまだ息の長い闘病生活となる。
 それでもこの治療を耐え抜くことができた。それは何物にも代え難い自身の努力と忍耐力のおかげであり、周囲の支えのおかげである。おおよそ周囲の人間には経験できないことを経験できたと思う。現金な話だが、自分にとって大切なもの、こと、ひとを再確認することもできた。これからの人生は自分自身と、そういったひと達を大事にするための人生にしていきたい。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!