見出し画像

【DAY.8】2022年12月24日の生存報告【白血病】

 造血幹細胞移植から8日、世間はクリスマスイブだというのに、今の自分はタコか何かと見まがうほどに、顔面が赤く腫れあがっている。赤鼻のトナカイよりも夜道を照らせそうだ。
 いまだに今日が土曜日ということをうまく受け入れられてないくらいに目まぐるしく、苦しい1週間だった。
 記憶があいまいな部分もあるが可能な限り記録しておく。

▶今日の基礎情報

・体 温:36.4℃ (38.0℃以上で血液培養等感染症チェック)
・体 重:72.3kg

▶治療メニュー

 自分はハプロ移植(HLA半合致同種造血幹細胞移植)という移植形態をとったため、移植直後にはドナーのリンパ球が自身の体を異物と判断し、体を攻撃するため、多くの場合高熱にさらされる。自分も同様の症状が出ることが予想されるため、移植3、4日目に『エンドキサン』という抗がん剤を大量に投与することで、ドナーから受け取ったリンパ球を潰すことで、発熱を抑えるという対策を講じることとなっていた。

 人によっては40℃近くまででる発熱の中で大量に抗がん剤を投与するという、正気の沙汰とは思えない処置を行うことで対応できるというのはこれまでの多くの症例が示しているものの、受ける側からしたら「これで死ぬんでは?」と思ってしまう。実際先生に聞いてみたら「最初に実践した人は、よくこういう手段を思いついたよね。」というレベル。嘘をつくような先生ではないので、本当にそう思ったのだろうと思う。笑

・12月17日

 治療なし
→移植直後の2日間は特に大きな治療はなし。17日午後から徐々に熱が出てきたり、倦怠感の増加、粘膜障害なのか水便になったり口の中がかっさかさで少し切れたりと色々と症状が表面化してきた。

 この時はまだツイッター触れる余裕もあったし口内環境もまだものが食べられる程度の状態だったが、ここからが怒涛の数日間の始まりだった。

・12月18日

 スマホやらをまともに触れたのはこれが最後だった記憶。おそらくこの日の午後から39℃を超える熱と強力な寒気が出てきて、すぐに解熱剤をお願いした。
 解熱剤服用後、1時間ほどで段々と効果が出てきたのか熱も下がってきて「これで何とか今日は眠れそう」と油断していたら、まさかの就寝前には完全に解熱効果切れ、再び39℃超えの発熱と寒気。ここからは40℃近い発熱→解熱剤→1,2時間くらいの解熱(37、8℃程度)→再発熱という地獄のようなサイクルに突入した。解熱剤の服用は基本的に6~8時間の休薬期間が必要になるためどうしても3時間くらいの間は解熱剤を使えずひたすら発熱と寒気に耐えなければならない時間帯があって、その間は布団の中で本当に全くガチガチ歯を鳴らすだけしかできなかった。

・12月19日

 抗がん剤治療(エンドキサン①)
→エンドキサンの大量投与の日になった。この抗がん剤はHyper-CVAD療法の際にも投与された薬で、長時間体内に残留すると出血性膀胱炎になる恐れがあるため定期的な尿測をおこないph値のチェック等が必要になる。合わせて心臓にも負荷のかかる抗がん剤のため、24時間体制で心電図を計測され、心拍数が低下すると看護師さんが飛び込んでくる仕組み。

 今の自分にとってはこれが原状回復の頼みの綱。一刻でも早く抗がん剤を投与してもらいたいと思ったのはたぶん人生でこの時だけになるだろう。
 実際のところ、ここら辺は記憶はほとんどないが、どうやら午後からエンドキサンの投与を行っていた様子。15時くらいに先生から「投与が終わりましたので、もう少ししたら段々と楽になってくると思いますよ。」と声をかけてもらって安堵した記憶がある。

 しかしここでトラブル発生。熱が下がらないどころかむしろ上がっている。自分もそうだし先生達も1度目の投与で幾分かは解熱効果があるだろうと踏んでいたので驚いた。夕方には40.5℃を記録。そこからはまた地獄のようなループが再開、しかも解熱剤の効果もあんまりなくなってきたし発熱と寒気の時間も伸びてほぼずっと耐えるみたいな状態に入った。しかも寒気で震えあがっているのに体温は跳ね上がってるから馬鹿みたいに汗もかいて布団も枕も着ている寝間着も絞れそうなくらいびしょびしょに濡れてた。

 もうこうなってくるとエンドキサンの副作用回避のための排尿なんて全くできない。というか汗かきまくってるからなのか知らないが、生理食塩水や栄養剤入りの点滴をガンガン投与されてるのに全く尿意が起こらない。たまに下痢が突発的にやってきて漏らすか否かのぎりぎりのチキンレースも開催されてた。脱ぎきしやすいようにスウェットパンツを履いていたのに体が震えてうまく降ろせない。33歳にもなってズボンも脱げないかと変にあきれてしまっていたがそれどころではないので半ば無理やり脱ぎながらトイレに座り込んでていた。

 こんな状態が続けばほぼ確実に出血性膀胱炎になってしまう。移植経験者の多くから「出血性膀胱炎にだけはなってはいけない!それ自体もめっちゃ痛いし、尿道カテーテルの処置が必ずついてくる!」と言われていたので、自分としても回らない頭で「どうすれば…」と半ば泣きそうになりながら悩んでいたところ、先生から救いの一言が。

「このままでは確実に出血性膀胱炎になってしまうので、そうなる前にカテーテル入れましょう。」

 正直即答できなかった。
 男の人は想像に易いだろうが自分のムスコの尿道から膀胱に向けて管をぶち込む処置だ。どう考えたって経験したことのない痛みが来ることが分かっている。この時の自分の直近の未来図は①とりあえず様子見で今の発熱が治まるのを待つ②先の痛みを潰すために尿道カテーテルの処置を受ける③奇跡的に出血性膀胱炎にならない、③はまずない。奇跡が起こるような抗がん剤の量ではないから。実質2者択一。
「……できるだけ痛くないように処置をお願いします。」
 結局地獄の発熱ループは翌日の2度目のエンドキサン大量投与の後も夜まで続いたので、②を選んだのは本当に正しい選択だったと思える。頑張った自分。

 尿道カテーテルの挿入処置はもう単純に痛かった。それだけ。しかし不思議なことに、カテーテルを入れると勝手におしっこが出る。自分の感覚ではないので気持ち悪くすらある。「ひとまず尿が出るようになったから尿測は看護師が行うようにする」とのことだったので、ひとつやらないといけないことが減った。それだけでもだいぶ助かった。

 ここから朝までは発熱、寒気、発汗、カテーテル挿入の痛み、これをひたすら耐える夜になった。移植後初めて「これがずっと続くなら死んでしまう」と声に出した。

・12月20日

 抗がん剤治療(エンドキサン②)
→2日目の大量投与が始まった。18日くらいからほぼまともに眠れていなかったので意識も朦朧としていたが変わらずの四重苦でずっとうなっていたと思う。
 エンドキサンの投与が終わった夕方、やっと体温が下がり始めた。40℃から39℃とかそんなぐらい。それでも解熱剤を使わず体温が落ち着き始めたということはエンドキサンの効果が出始めたということ。
 もう大して動けもしなくなった自分に「たぶんこれから少しずつ熱が下がってくる。たぶんうちの病院の患者さんでこんなに高熱が続いたのは初めて。お疲れ様。」と労をねぎらってもらった。
 結局夜の頃には37℃台まで解熱剤なしで落ち着いてきて、地獄のような四重苦は大人しくなっていっていた。

 今度はここから下痢が急に顔を出してきた。元々四重苦の間も時々滑り込んできてはトイレに駆け込んできたが、今度はこっちがメインをはるようになった。1時間に1回はトイレに行かないといけない。というか体を起こしたらそれで腸が刺激されるのかトイレに駆け込まないと、という状態だった。

 この日の下痢の回数は15回を超えたあたりから記録してなかった。逆にあの体調でちゃんと記録用紙にかけていた自分は凄い奴だと思った。

・12月21日~

 免疫抑制剤治療開始(セルセプト)
→エンドキサンの効果でドナー細胞による体への攻撃は多少落ち着いたものの、これから体に根付いていくにあたり、ドナー細胞が自分の体にしっかりなじむまでは自分の体を攻撃し続けてくる。それを『ある程度』抑制するために免疫抑制剤という薬での治療を開始する。

 この『ある程度』というのが味噌で、抑制しなさすぎると体への攻撃が強まりGVHD(移植片対宿主病)が発生、重篤化してしまう。重篤なGVHDは死亡の危険性もあるためそれは避けなければならない。
 逆に抑制しすぎると、ドナー細胞が自分の体に残った白血病細胞などの悪い腫瘍を攻撃するGVL(移植片対腫瘍効果)が十分に発揮されない。GVLは移植前処置やこれまでの治療で潰しきれなかった白血病細胞を潰してくれる効果が期待されるので、特に自分の場合は必須の効果となる。

 このGVHDとGVLはコインの表裏のような関係で、いまはまだ、どちらかだけをきれいに残す(潰す)ということが難しいらしい。なのでここからはGVHDに耐えながらGVLの効果を期待するため、綱渡りのような精度で免疫抑制剤の服用量を調整しなければならない。
 そのために移植後から毎日、絵具チューブくらいの大きさの採血瓶に4~8本、採血を受けている。

 この免疫抑制剤、注射器のようなもので液体として経口摂取するのだが、とにかく不味い。これを毎日服用することが患者に毒なんじゃないかと思うほどに不味い。
 それを流し込むだけにポカリスエットを大量に購入した。服用量はたかだか5mlを朝晩2回、その味を濁すために500mlのポカリスエットを飲みあげる。そのくらい不味い。そしてそんなに一気に水分をとるから大体服用後は下痢がくる。

 この日は発熱もだいぶ落ち着き、体を起こしたりできるくらいには回復した。それまでは本当にベッドに根を張るように吸い付いていたので、体を起こし続けるだけでもフーフー言うくらいに体力が落ちている。それは今もあまり変わらないので、日常ではできる限り室内を歩いたり、椅子に座って作業をしたりを意識している。

 そしてこの日、やっと尿道カテーテルを抜くことになった。エンドキサンによる副作用である出血性膀胱炎の心配もなさそうなのと、自分が意識的に動いていることを鑑みて、リハビリのためにも外した方がよいとなった。
 先輩看護師が後輩看護師に自分の状況を説明しつつ外してくれたのだが、まぁ痛かった。「いたぁ~い!」と情けない声を上げてしまうくらいには痛かったが、これではれてムスコは自由になった。

 ここからは現在まで、免疫抑制剤を服用しながら種々の輸血を受け、いろんな薬剤を投与されながら下痢や味覚障害、粘膜障害と戦っている。
 ちなみに恐らく18日くらいからまともにご飯を食べられていない。味覚障害が本格化したのもあるが、粘膜障害で口の中一杯に口内炎ができてしまったり、単純にご飯を食べられる体力がなくなってしまった。なので今は栄養剤入りの点滴とポカリとウィダーが主食。ただ全体的に冷たいものなのでお腹を冷やさないようにバランスを考えて食べないといけない。難しい。

 そして昨日23日くらいから口内炎が突然腫れ始め、鼻から下が3倍くらいに腫れあがっている。いよいよ口を開けるのも難しくなってきて、アニメなんかの典型的なデブキャラのしゃべり方になってしまった。

血球推移

 白血球が『<0.10』と表記されているのは採血する限り白血球が見当たらないことを指している。当然好中球もないので、今が最高に免疫弱男だ。
 ヘモグロビンや血小板も低空飛行を続けているので、毎日どちらかの輸血を必ず受けている。

▶抗がん剤による副作用等

・体調:倦怠感、乾燥、微熱、下痢、粘膜障害、味覚障害
・痺れ:若干あり(生活に支障なし)

▶雑記

 この約1週間、本当に驚くほどに刻一刻と体調が変わっていくことに驚き、何とか死なないように耐え抜くことができた。特に発熱がひどい時は本当に死ぬんじゃないかと思えたけども、何とか耐えきれたのは娘からの手紙のおかげだろう。
 娘はまだ3歳、何となく字を形として覚えてきてるものの、まだまだひとりで文章を書ききれるわけではない。妻といっしょに書いてくれたのだろう。受け取った瞬間からボロボロ泣いてしまって、事務のお姉さんがぎょっとしていた。
 先生達からの治療や看護師さんたちのフォローなど、物理的なところでたくさん救ってもらえたが、家族の存在が1番の精神的な救いなんだなと実感した。やはりうちの娘は世界で1番可愛い。マジ天使。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!