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日記240511文化と論理の擦り合わせ

好きな作家に村田沙耶香と森博嗣が挙がります。この二人をわかりやすくラベリングするなら理系人間となります。論理です。そしてユーモア。それと文化の慣性に縛られない想像力。村田沙耶香を読んでいるときの感覚を僕なりに文章にすると「不合理だけど生きやすくするために社会的な人間たちが馬鹿正直な真実の上に塗ったニスを、それを今度は丁寧に剥がしていくようなもの」となります。そういう気持ち良さがあります。正しくないけれど、人生ってそういうもの、社会ってそういうもの、人間関係ってそういうもの、そんな気持ちのいいニスに中指を立ててガリガリと剥がしていく爽快感。感情?知らねぇ。同調圧力?うぜぇ。そんな気持ち良さ。どうして結婚って2人なのか。どうして性行為ってこういう形なのか。どうして幸せの形って決められているのか。どうして人間的な営みってこんな窮屈な形に囚われているのか。森博嗣の小説に出てくるキャラクター(犀川、保呂草)にも似たようなところがあり、そうした大多数の人間が慣習的に倣っている生活にまっさらな論理のメスを入れていく。それを読んでいると少し自由になれる気がします。もっと好き勝手生きていいんだ。みんながやってるからって同じことしなくてもいいんだ、って。

和と洋がめちゃくちゃに入り混じった食事をするのが好きです。なんだかすごく笑えてくるから。別に支障はないんですよ。不自然なだけで。そのおかしさが幸せで、コンビニでおにぎりとシュークリームを買ったり、ブリトーと大福を買ったりします。

まぁそういうのはいいんですけど、気を付けないとこれがだんだんこじれてきます。僕の場合はクリスマスにコンビニでケーキが買えません。店員に「ケーキなんていつ食べてもケーキでしかないのに、こいつはクリスマスだからってわざわざ身銭を切ってケーキを買うのか愚かだな」と思われる気がするからです。たぶん何も思われてないことはわかってるのですが非常に恥ずかしくて買えません。同じ理由で節分に恵方巻も買えません。どうしても食べたいときがあって、死ぬほど恥ずかしい思いをしながら買いました。観光地の最寄りのバス停で降りるのも非常に恥ずかしいです。「あの観光地に行くんだな。あそこに行って人並みに良いなって思ってお金を落として帰途につくんだな」と他の乗客に思われているような気がするからです。絶対考えすぎだとは思います。僕は一人焼肉や一人カラオケは全然気にせずに行けるのですが、これではそれらに行けない人に何も言えません。難しいです。


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