記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

うろ覚えでボトルネックを騙る

夏アニメの小市民シリーズが面白いですね。
なお春季限定いちごタルト事件は読んだのが大分前なのでうろ覚え補正もある。

でも今日騙るのは同じ米澤穂信著作の中でもボトルネックです。これも読んだのが大分前なので騙りです。


【あらすじ?】

上記リンクから冒頭試し読みできます(ブン投げスタイル)。

真面目にうろ覚えであらすじを騙ると

兄の訃報を聞いた主人公の少年が帰宅しようとすると、パラレルワールドに迷い込んでしまった。
そこは自分が生まれていない、産まれる前に死んだはずの姉が生きている可能世界だった。
彼はそこで自分の世界とパラレルワールドの『間違い探し』を始めることになる。
結果『間違い探し』はことごとく「自分のいた世界」より良くなっていること、それを自分の替わりに生きている少女がいたからこそ良くなっていたという事実を知って行く。

本当の『間違い』は――

【正解だけが正解なのか】

「正解だけが正解」は水槽さんの「再放送」より引用ですが「善くなっているパラレルワールドの方が本当に良いのか?」という点はボトルネックの感想、考察でよく語られています。

ネタバレになりますが、そもそも本作の舞台はパラレルワールドではなく主人公の亡き恋人が見せた幻の可能性の方がずっと高い。
その他にも、たった一つだけ「おばあさんの思い出の木が切られていない」など、どうでも良いという点ではあるものの良いことは本当の世界でも起こってはいる。

【自分が諸悪の根源であるのはある種の救い】

00年代ラノベ老人会丸出しですが「イリヤの空、UFOの夏」では

正義のヒーローがいないなんてことはもうわかっていた。
だったらせめて、それもこれもみんなあいつのせいで悪いんだっていう悪役が欲しかった。
だったら自分がその悪役になってやる。

って主旨の文章があるんですよね(例によって手元に無い)。

アンチヒーロー的願望と言いますか、まぁイリヤの浅羽にせよ、ボトルネックのリョウにせよ、そんな生ぬるいモノで済まされない逆境に立たされての願望なんですけど。
まぁ創作では大体読者の願望を極端デフォルメ化するのがデフォですし。

とまれ「自分が諸悪の根源であるのはある種の救い」であるのは、他の創作を見ても主人公ラスボス化とか、そもそも主人公の存在そのものが物語の発端であるとかで珍しかないです。
そして何より読者自身そうであってほしいという共感がどこかにある。
じゃないとその手の作品がたくさん世に溢れ返ったりしませんって。

※※※

「ボトルネックは断たねばならない」とうろ覚えで本作では書かれており、その言葉が終盤で大きな意味を持つのですが。
「自分がボトルネック=諸悪の根源である」とは「自分を取り除きさえすれば世界はずっと良くなる」と、いわば自慰的な自殺を自己犠牲によって免罪符にできるのですよ。

実際のところ、現実はもっと残酷で深刻であり凡人がいようがいまいが、別に世界は良くも悪くもなりゃしません。
社会人とは代替できるパーツであり歯車である。そうでなければならない。替えの利かない逸材は失われた時の損失が計り知れないから。

だから「自分が諸悪の根源であるのはある種の救い」とはこの替えの利かない人材損失の逆張りに過ぎず例え悪い意味であっても特別でありたい、と。
そういう甘えですらある。

【「ボトル」という狭い世界】

米澤穂信先生の作品は狭い閉鎖された世界で今を生きていかねばならない人々を描いた作品が多いです。

「リカーシブル」では貧困にあえぐ少女が、地方都市の学校に馴染みながらその逆境と戦い抜く。
「折れた竜骨」では領地の島から、領主の娘という身分から逸脱できない少女が、外の世界からの脅威と魅力に振り回される。
「インシテミル」はそもそもがクローズドサークルであり、そこには八方塞がりの境遇に置かれている人物たちも少なくない。
「さよなら妖精」は……もうあえて何も語るまい。

で「ボトルネック」はボトルネックという単語が作中で出てきて、その意味にフォーカスされるんですが、ボトルという狭い世界の中でしか主人公はまだ生きていない少年ではあるのです。
ネグレクトと貧困によって心身共にボロボロなので、そんな彼が広い世界に飛び立つことができるほどの余力は無く、成功する可能性はもっと低い。
でも少年の彼はまだまだ世界を知らない。悪いことを知ったけれど、もっと悪いことも、ほんの少しだけ良いことだってあることも。
それを知ろうとして大失敗を犯した兄の存在が、本作そのものが「狭い世界」であることを暗喩しているような気がするのです。

※※※

狭い世界に閉じ込められて、出る力を奪われて、自分がボトルネックであり切り落とされたらどれほど良いことか――
割とこんな状況に追い込まれている人、そんな願望を持っている人って多い気がするんですよね。

本作は「後味悪い鬱小説」として有名です。
でもこれも読んでから十年以上経過した今ならむしろそんな逆境に立っている人たちに対して「お前は自分をボトルネックだなんて思っているならそれは甘えだ」とそんな叱責と激励が裏に隠されているような気がしたわけで。

【なんでこんな感想書いたの?】

小市民シリーズの主人公二人って本文でも書かれてますけど自意識過剰の痛い子らですからね……。
米澤穂信先生の偉大すげェ所は、そういう登場人物を客観的に作者は捉えつつも作中本文では主観的に描ける筆力、それを魅せる数々のエピソードや演出なんですが。
ともあれ間違いなく作者本人は主人公を俯瞰的に捉えています。

まぁそんなわけで、ボトルネックもまた自意識過剰の痛いヒーロー願望が歪んでいるだけだって見方もできるんじゃいかと。
そうすることで逆に救いを見出せるお話なんじゃないかと、小鳩君と小佐内さんが動いて喋っている姿を見つつ、このクソ暑い中で「全部太陽って奴が悪いんだ」とぐるぐる脳が湯立っている状態で書きました。

これにて私の夏の読書感想文提出は終わりだぜ!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?