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趣味娯楽でも良い師に巡り合えるに越したことはない

師匠も走る12月ですが皆さんどのようにお過ごしでしょうか。
今回は2023年最後の記事になる予定ですが、まぁ趣味嗜好、エンターテイメント全般、サブカルなんでもかんでもひっくるめて「趣味娯楽」としています。


【推しの押しつけ】

【あなたの面白いは私の面白いでは無いかもしれない】

私的な話をまずしましょう。
私は十代から二十代前半の頃、釣りが大っ嫌いでした。釣り好きな方に気分の悪い話かもしれませんが、ご容赦を。

なぜ嫌いだったのか?

※※※

そりゃあね。まだね。八だか九歳児くらいの頃の話ですよ。
私は当時から父親が苦手でした。
でもまぁ腐っても父親ですし、反りが合わなくとも色々と買ってもらえるし、便利に都合よく利用していたわけです。振り返ると我ながら小生意気なガキだな。

んでまぁその父が釣りにハマりましてね。
私用にいつのまにやら釣り道具一式買い揃えちゃっていましてね。
こうなったら断るのも悪いなって子供心に気を遣ったわけでしてね。
まぁ付き合ってやるかと。そしたらまぁね。

初体験の釣りがよりによって漁法違反の海辺での夜釣りでしてね。

八だか九歳児のガキがですよ。
眠いってーのに、暗くて不安だってーのに、そもそも当時は知らなかったけれど釣りしちゃいけない場所=危険な場所でわけもわからずロッド持たされてですよ。
釣り糸は絡むわ、糸ほどこうにも暗いからよくわかんないわ、そもそもなんにもひっかからないし、引っかかったら引っかかったで生き物ブッ殺すのに抵抗感ありましたし。
やめたくなっても、帰りたくなっても、当時ガキの私に決定権は無く、その主導権は父親が持っているわけですし。

嫌いになる要素の役満でしたね。

※※※

ようするに、私の父親は自分が面白い楽しいと思うことに、息子の私の心境を配慮しないで付き合わせた結果大失敗を犯したというわけです。
これは互いに不幸な結果になりました。以降、私はもう釣りに苦手意識しか持たず、あの手この手の場所やシチュを用意されても気乗りしませんでした。というか付き合わされる時点で嫌悪ゲージが溜まるだけ。

クラスメイトの友人たちがバス釣りなどをやっていたのですっかり釣り嫌いになった私は「何が楽しいのか?」と、聞きましたが
「面白いもんは面白い」
「別にお前は無理にやらなくていい」
「というか海釣りとか川釣りとか夜釣りとか、スタイルも狙っている魚も俺らのやってんのと全然違うからそれが楽しいのか面白いのかは俺らもわかんない」

というような返答が返って来ました。今思えば友人には恵まれたな。

結果、釣りが大っ嫌いで、でも釣り好きな人間はそれはそれで良いだろうというこまっしゃくれた個人主義のガキになったわけです。重ねて言いますが友人には恵まれました。

【趣味娯楽にも師はいる】

「師」なんて肩ッ苦しくて大仰な言葉選びをしていますが、まぁ大した話じゃありません。

推しの曲をスマホで聴かせたり
好きなゲームのプレイ動画やPVを一緒に見たり
無料配信分の漫画や動画コンテンツを紹介したり
そういうごくごく日常的に当たり前に行われ、行っていることこそが師に出会い師に成るということだと定義しています。

こういう時内心「ウザいなぁ」「忙しいんだよ」「趣味じゃねぇ」「そっとしておいてくれ(むせる)」と思うのもまた当たり前です。
それでも付き合わなきゃいけない場面になった瞬間、趣味娯楽エンタメは一転して苦行と化します。
その時間は全く楽しくなく、建設的でもなく、貴重な人生の時間の浪費となり、なんなら人間関係にも亀裂が走ります。今更言うまでもなさすぎる話ですね。

※※※

この推しの押しつけで、もしかすると別の出会い方をしていれば人生を変え得るほどの感動を覚えたかもしれない趣味娯楽を、憎んで呪いそれらに関わるモノ全てを嫌いになり得ることすらありえます。

逆に、良い師に巡り合うことで今まで苦手だと思い込んでいた趣味娯楽を思い切り楽しむことだってあり得ます。

これはフィクションであり漫画の放課後ていぼう日誌の第二話の場面ですが、女子高生らしくグロい見た目の生き物全般が生理的に苦手な主人公の陽渚の拒絶を、黒岩部長はとりあえず受け入れて無理に入部させたことを謝罪し、そのうえでやんわりと「でもやってみない?」と押して引いてを巧みに使い分けています(だから牝狐扱いなのである)。

まぁ現実はそうそう上手くはいきませんが、しかし絶対に無いわけでもありません。
なんなら現実で出会う個人ではなく、SNS配信者などのおかげで好きになったりーーまぁ残念で当然ながら、嫌いになることもあり得ます。

※※※

また、私はゲーム全般が好きなのですが、とくに常に日々情報と環境が更新され続けるソーシャルゲームではスタートラインで結構コレが如実に出るような気がします。
リセマラして入手するべきオススメキャラ云々とかですね。

とは言っても、ユーザー視点として厳しく見ればそもそも運営が初心者ユーザーに対してどれだけ優しく手ほどきできるかという話でもあるのですが。
わかりやすく操作しやすいUIはもちろんのこと、そのゲームのウリを如何に上手に伝達するのかがまず一番大事でしょう。

ただ、コレが全く不親切極まりないいまま、情報の大海原に放り出される艦これというゲームの一提督としては、新米提督はほぼ断言して良いのですが「自分は何がわからないのかすらわからない」という状況に絶対に陥ります。艦これはそういうゲームです。

このため、独学で遊ぶことも可能ですが、より艦隊増強を目指し攻略情報の交換として新米提督が先達提督とファーストコンタクトを取った時、それが良い先達か不親切な先達かで艦これというゲームそのものに対しての印象すら左右されると一提督としては危惧しているところではあります。

何度か、何度も「そんな言い方をしちゃだめだ」「それじゃ新米は何もわからない」という場面に遭遇したり、艦これというゲームの性質上「お前の艦隊を一番良く知っているのはお前自身以外ありえないので、アドバイスはできるが自分で考えなければこのゲームの高難易度海域は攻略できない」とある程度突き放して取捨選択の自主性を突きつける必要性もあり、私自身良い師たりえるのかと常に考えさせられるところはあります。

【何が良いのか、何に魅かれるのか】

良い師とは結局のところ、勉学やスポーツに技術仕事などに限らず、趣味娯楽においても「教える相手をよく見て、自分の持っている知っていることを上手に伝える」ことができる能力に優れた人間なのではないかと私は考えています。

趣味娯楽はその点、勉学や技術や仕事などのように生きるのに必須ではありません。
でも人生に潤いを与えることはできます。
だからこそ「趣味娯楽でも良い師に巡り合えるに越したことはない」というお話になるわけなのですが。

※※※

私はとりあえず、趣味娯楽においては『何が良いのか』『何に魅かれるのか』ということをできるだけ言語化して伝えることが大事だと思っています。
いやまぁシュールレアリスムな前衛芸術とか、尖りまくった音楽バンドなどの魅力は大変言語化しにくいのですが。もうこればっかりはまず視聴させて相手の反応をうかがいながら、自分の言語化しにくい「好き」という気持ちをたどたどしく伝えるしかないと思います。
でもそのたどたどしく伝えることで『師』自身の中で「好き」という気持ちを固形化して行くこともできるわけで、どの分野においても師弟とは互いに教え教えられる関係であると言えます。
……理想論においては。

※※※

現実としては、推しの押しつけがどこでも氾濫しておりウンザリする毎日を送っている方々も多いでしょう。
そのうえ無意識化だろうが意識していようが本当は内心拒絶しているのに、人間関係を円滑に保つため大嫌いな趣味娯楽を我慢して『履修』し、ヘイト活動の一つや二つもしたくなるケースも身に覚えがある方の方が多いのではないでしょうか。

かくも嘆かわしい話ですが、嫌いなことを考えるのは精神衛生上よろしくないので、せめて嫌いなことを言語化するのではなく好きなこと、魅かれること、自分の大切なモノを、その理由を言語化することで、良き師になり良き師に巡り合えるようになりたいものです。

少なくとも私はそういう姿勢でこのnoteの活動をしているつもりです。
……「スキ」ボタンの反対の「キライ」ボタンが合ったらたぶんそっちの方が数字が多い記事ばっか書いているんでしょうけどね。

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