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「大豆田とわ子と三人の元夫」に救われた2021年

2022年が幕を明けて一週間経つ。今年をどういう年にしたいか考える手がかりとして、2021年を思い返してみる。2021年は一昨年に引き続きコロナウイルスの影響で生活に制限をかけられる日々を過ごした。でも、2021年は確実に成長できたと思っている。それも、色々なものとの出会いのおかげだと思っている。

一つが、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」。

2021年4月から6月にかけて放送されたヒューマンドラマ。松たか子演じる大豆田とわ子が、離婚した三人の元夫に振り回されながらも、彼女なりの幸せを模索する姿が描かれている。

登場人物同士のコミカルなやりとりや、共感できる台詞はもちろん、劇中の音楽も注目を浴びた。新進気鋭の現代作曲家で、映画「竜とそばかすの姫」の音楽を手がけたことでも知られている坂東祐大さんと、星野源など様々なアーティストとのコラボを果たしているトラックメーカーSTUTSが、テーマ曲と劇中のBGMを担当した。

生粋の劇伴音楽好きとしては、このドラマの音楽について語りたいことは山ほどあるが(12月14日に開催された坂東祐大×STUTSのライヴに参加したくらい好き)、今回はこのドラマで出会った言葉の話に留めておこうと思う。

(ここからは少しだけネタバレも入ってしまうから、ぜひAmazon PrimeもしくはNetflixでドラマを視聴してから読み進めてほしい。)

脚本を担当したのは、「東京ラブストーリー」や「花束みたいな恋をした」、「カルテット」など、数多くのドラマや映画を手がけてきた坂元裕二さん。

一話から最終話を通して、愛や人生について考えを巡らしたくなる言葉がちりばめられる中、僕はとわ子が最終話で放った一番最後の一言にすごく共鳴した。

私の好きはその人が笑っててくれること。
笑っててくれればあとは何でもいい。

「大豆田とわ子と三人の元夫」最終話より

この、一見突き放されたようにも感じられるが、どこか柔らかさを持った言葉に共感したのは、おそらく、自分の中にすでに育っていたぼんやりした感覚に、綺麗に輪郭を与えてくれたからだと思う。

そう感じたことと繋がる話をしよう。


高校3年生の冬、受験シーズン真っ只中の2月のこと。

中高6年間、ともに吹奏楽部で演奏してきた同期が突然亡くなった。

彼とは、通っていた塾が近かったため、たまに勉強の合間に会うことがあった。彼が亡くなる前日も、スタバで3月の定期演奏会の曲目について話していたし、その晩もLINEをしていた。

3月に味わえるだろう開放感と、あとちょっとで一緒に再び演奏できる喜びを原動力に、残り何日間かの、塾に缶詰状態の日々を耐え抜こう、と互いに誓ってその日は別れたと思っていた。

彼は何で命を絶ったのだろうか。受験だろうか、人間関係だろうか。あるいは、僕の一言だったのだろうか。本人から回答を得られぬまま、頭の隅っこにこびりついた、この疑問とともに僕は残りの人生を過ごすのだろう。

それとは別の疑問も自分の中に生まれた。「足が崩れ落ちるような感覚」「胸が張り裂けるような想い」。この言葉たちがこんなに文字通りに現実味を帯びて感じられるとは一生思わなかった。彼とは部活で6年間ともにしてきたから確かに深く結ばれた仲だが、休日に呼び出す関係ではなかった。何であんなに悲しかったのだろう。

自分にとって彼の死が何を意味するのか。

               ・・・

毎年、夏に吹奏楽の全国大会があった。僕らの高校は強豪校じゃなかったし、全国大会にいけるほど上手くなかった。せいぜい何年かに一度に地区予選を勝ちあがれるくらいだった。部員のモチベーションもバラバラだったし、全員がコンクールに出たいって強く思っているわけでもなかった。だから、高みを目指して「金賞を目指そう!!」なんて張り切って士気を高めるような空気ではなかったし、思っていたとしても周りから冷たい視線を浴びさせられることを気にして言えない人もいた。

そんな中、彼は部員を音楽室に集めて言った。

「コンクールに出るからには金賞を目指そう」

部長でも副部長でもなかった彼が、部内の淀んだ空気に嫌気がさしたのか、言ってくれたのだ。彼のこの一言を聞いて、彼が自分の一歩、二歩先を歩いているように見えて、僕は小心者であった自分を恥じた。

と同時に、確実に僕に刺さった。青春くさかったし、少しこっ恥ずかしくて鳥肌が立った。彼の勇気ある姿を見て、自分は奮起して、練習に励んだ。

最終的には金賞は取れなかった。けど、コンクールに向けて頑張った過程は消えない。おかげで、初めて本気で音楽と向き合えた。神経を研ぎ澄まして、一音一音拘って演奏することの楽しさを実感できたし、それを他の部員と共有する喜びもそ知れた。頑張って練習することが恥ずかしくなかった。むしろ、泥臭く頑張ることがかっこよく思えた。お互いに頑張りを認め合い、共有できる仲間がいたことがものすごく心強かった。

だから、大学に入ってからも、必死に物事に取り組んだ先に得られるものがあることを知って頑張ってこれた。



彼は、僕に、前に進む原動力をくれた。僕の4年間の大学生活が豊かであったことも、これからの人生が豊かになることも、彼からもらったもののおかげであるに違いない。こんなに大切で、大きなものをくれた人がいなくなった。それは、自分の芯から何かが剥ぎ取られて、自分のアイデンティティが深く、深く傷つけられたような感じだった。だから悲しかったのかも。

この経験を通して思ったこと。

友達は、究極なところ、生きていればどうでもいい。

人生に現れる人たちが自分たちにくれるものって大きな意味を持っている。今は、それが何なのか考えられなかったり、何なのか分かっていてもその重みに気づけていなかったりするのかもしれない。僕は、高校同期の他界を通して、彼らがいなくなるってことがいかに自分にとって、息ができなくなって、胸が苦しくなることなのかひしひしと痛感した。

彼らがこの世に存在してくれていることが、自分が毎日命を紡げている理由になっている。彼らが生きている限り、自分の血肉となった彼らのピースが存在し続けられる。

だから、僕は、彼らの幸せと健康を全力で願っている。

話は戻るが、これがとわ子の一言と似ているんじゃないかと思った。とわ子は、三人の元夫と離婚して、母親と親友のかごめを亡くした。色んな別れを経験して辿り着いたのは、そうした愛するものへの、笑ってくれてればいい、という願いであり、愛の形だった。

「私の好きはその人が笑っててくれること。笑っててくれればあとは何でもいい。」坂元さんがどういう想いで書いたか分からないけど、僕はこの言葉を聞いて自分の持った感覚が肯定されているように感じられて、救われた。

自分の中にあった愛の形に気づけて、自信を持てたこと。これが2021年最大の収穫かもしれない。

大豆田とわ子と三人の元夫、ありがとうございました。







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