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なぜあなたの子どもは塾に通っているのに成績が伸びないのか?

成績が伸びない。
学歴社会の日本では、深刻な悩みだ。

成績を向上させるにはいくつかの方法がある。
例えば、塾に入れる、家庭教師をつけるなど。

だが、それだけでうまくいくものではない。
塾に通っても成績が伸びない子はごまんといる。

とはいえ、塾が役に立っていないわけではない。
同じ塾の同じコースに通っていながら、成績が上昇する子も確かに存在する。

状況が同じならば、カリキュラムも同じだ。
同じ情報を見聞きして、成績が伸びたり伸びなかったりするわけだ。

では、どうして成績が上がる子と上がらない子に分かれるのか?
もちろん、遺伝した知能などは原因の一つとして挙げられるかもしれない。

ただ、遺伝などは後天的にいじることができない。
つまり、努力ではどうにもならない。
それでは、あまりにも救いがないだろう。

今回は、親の立場から、どうすれば成績を上げられるかを考えていきたい。

①数字をベースに考えない。

「成績を伸ばすためには、なにか特別な工夫が必要だ。例えば、塾に通わせたり、選び抜いた参考書を使ったり……」。
そんな幻想は、勉強が得意ではなかった親御さんにありがちだ。

実は、勉強ができるようになることはとても簡単だ。
「できなかったこと」が「できること」に変わればいい。

例えば、昨日までは7+8の計算が10秒かかっていたとする。
でも、練習の結果、今日は5秒以内に答えられるようになった。

これも立派な「勉強ができるようになった事例」である。
こういった変化を「よくできるようになったね!」と、小まめに褒める家庭では、勉強のできる子どもが育つ。
小さな変化を子ども自身が感じ取れるようになり、勉強へのモチベーションが上がるからだ。

ただ、特定の足し算が数秒早くなったところで、成績に数字として表れるほどの進歩はない。
だから、数字だけにこだわっていると、「勉強ができるようにならない」と見える。
「本当は一歩一歩進んでいるのに、親や先生はいつまでも認めてくれない」とこぼす子どもが出てくる。

数字にこだわりたくなる気持ちはわかる。
特に大人になればなるほど、人の管理は数字で行われるようになる。
だが、子どもは数字だけでは管理できない。

昨日と今日、算数のテストを受けたとする。
どこかに点数からは見えない変化が起きているはずだ。

例えば、テストを解き終わるまで5秒早くなっているかもしれない。
計算ミスが一つ減って、2点だけ増えているかもしれない。

わずかな変化を見逃さずに、上昇方向の機運を感じたら、すぐにそれを掬い取って褒める。
これこそが第一に必要だ。

②学校の勉強をベースに考える。

経験上、当たり前のことをやっていれば、一歩抜きんでる。
偏差値60程度なら特別な勉強法は必要ない。

筆者は、小学校から高校3年生の夏まで、一切の家庭学習の習慣がなかった。
定期テスト前に2時間程度復習する程度で、それ以外の日は、学習時間0秒であった。

だが、まったく勉強していないにもかかわらず、全国偏差値60程度は常にキープできていた。
別に模試でズルをしていたわけではないし、自慢したいわけでもない。
偏差値60程度なら、特別なことは必要ないと言いたいだけだ。

では、何をしていたのか。
意識的にやっていたのは2つ。
(1)授業を集中して聞く。
(2)小テスト含む各種テストで80点以上取る。

もっというと、下記の習慣だけつければ、問題なく偏差値60程度は到達できる。

その習慣とは、授業中に、わからないことが無いようにすること
何か理解できないことがあれば、すぐに手を挙げて先生に質問したし、それでも分からなければ、休み時間に質問しに行った。

一度の授業で、すべての事項を学習しきって、復習の手間を省いた。
確かに人間は忘れる生き物だが、一回理解すれば、あとは30分程度の自習で、簡単に内容を思い出せる。

勉強は時間をかければ偉いのではない。
得点をとった人が偉いのだ。

得点するために時間が必要な人が多いから、時間をかけた人が偉いように見えるだけだ。

得点するためには、授業の内容を理解していればいい。
確かに、漢字の書き取りや公式の試しなど、ある程度書く必要もある。
とはいえ、大部分は理解が主だ。

理解するためには、わからないポイントを見つければいい。
見つけた不明点を纏めて先生に質問しに行けば、それで解消される。
これだけで理解度は上がる。

とても簡単だし、誰でも試せる方法だ。
だが、不思議とこれを実行する学生はいないようだ。
たったこれだけを実行に移すだけで、偏差値は50を大きく突破して60まで上がるのに、もったいないことだといつも思う。

③宿題や小テストをきっちりやる。

当たり前のことだが、宿題や小テストにきっちり取り組まないといけない。
②と被るのだが、学校の勉強ができない人が塾に行っても無駄だ。

学校で質問できない人が、塾で質問できるようになる道理はない。
そして、質問ができなければ、いつまでも進歩はない。
集団授業の受け方がわかっていないのに、受ける環境を変えても、成績は変動しない。

「学校の勉強ができている」の指標となるのが、宿題と小テストだ。
勉強ができない子の大半は、まずこれらができていない。
なのに、「特別な勉強法」があると信じて、塾や予備校に行きたがる。

お金と時間の無駄だから、やめたほうがよい。
どうしても塾に行きたいなら、個別指導の塾もしくは家庭教師にすべきだ。

自分のできないところを分析して、重点的に鍛えてくれるからだ。
例えば、中高生で数学ができない子の大半は、算数ができていないから、そこから戻ることになる。
小学生用のドリルや百マス計算からやり直す屈辱は、やるべき勉強を過去に置き去りにしてきた自分の罪だ。

ただ、いくら必要があると分かっても、全体のカリキュラムが決まっている集団塾では、そこまで戻れない
結局、いつまでも分からない授業を聞き続ける羽目になる。

何をすればいいか分からないなら、学校の先生に成績や分からない部分を告白して、どこから始めればいいのか道を示してもらうべきだ。
間違っても、適当な進学塾に突っ込もうなどと考えてはいけない。

まとめ

何度も繰り返すが、大事なことは「できないことをできるようにすること」だ。
成績を上げる極意は、たったこれだけ。

そのためには、質問は必須だ。
自分の何がわかっていないのか管理できれば、成績上昇はすぐそこに来ている。

とはいえ、自分で何がわかっていないのかわからない子が大半だろう。
そういった子は、個別指導塾や家庭教師など、プロに頼んで分析してもらうようにするとよい。

「塾に入れるから成績が上がる」のではない。
「成績が上がる素養があるから集団塾に入っても成績が上がる」のだ。
成績が低迷しているのであれば、必要なのは集団指導ではなく個別指導だ。

この話を最終的に突き詰めると、「本人の勉強へのやる気」が問題になる。
これをサポートできるのは、両親しかいない。

普段から、どれだけ親が勉強に前向きに関わってきたか
どれだけ子どもの勉強や成績に向き合ってきたか
これらが如実に問われることになる。

仮に数字だけで子どもを管理していたならば、彼らは勉強を嫌がるだろう。
そうではなくて、勉強の楽しみや面白さに気付かせるような関わり方をしていれば、きっと自分から勉強しようと考えるはずだ。

誤解を恐れずに言うが、子どもが勉強しないのは、親の責任でもある。
子どもは親の背中を見て育つ。
まずは自分が勉強する姿勢を見せていくことが必要ではないだろうか。

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