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「社会」がもたらすもの

「社会」は、人間だけでなく動物たちにもある。
多くの哺乳類は子育てをする。親子は生まれて初めて関わる社会である。

親は子のために餌をとり、外敵から守る。
子は親を慕い、見習い、真似をして、旅立つ。
鳥類もその多くが子育てをする。

また、彼らの中には群れで暮らすものも多い。
親子以外の同種との集団生活が行われる。
成長に伴って、群れでの戦略的な狩りや、
縄張り争い、繁殖争いが行われる。

この中で、自身の利害、他者の利害を意識的/無意識的に
考慮した行動がなされている。
これは、ある面では本能的とも言えるし、
思考的であるようにも見えることがある。

これら社会を持つ動物たちに対して、
一見すると社会を持たない、例えば多くの魚類や爬虫類などは、
生まれた時から彼らが生きる上では孤独である。
親は卵を産むが、それが孵るまで世話をする種はあまり多くはいない。

ウミガメは砂浜に卵を産み落とし、海へ帰っていく。
孵化した子ガメは、海鳥に食べられる危機を乗り越えて、
一匹一匹が海へ向かって行く。
この時、彼らは同種で仲間・社会を作らず、個々に旅立つ。
しかし、皆は親がいた海へ本能で帰ってくる。

魚たちも、魚卵の群れから生まれた後は、個別で生きていく。
そこには一見「社会」はなさそうだが、
しかし、集団で泳ぐことで大きな魚から種全体を守る手段をとる
イワシなどの小魚や、クジラなどに張り付いて身を守るコバンザメ、
毒を持つイソギンチャクへの耐性を身につけたクマノミ種など、
自然界のヒエラルキーの下層のものほど、
同種または他の動物との共生、
つまり「社会」を形成し、生存しようとしている
意識的/無意識的は別として、他者との協力体制をとることで、
弱者である彼らは生存確率を上げてきたのだ。

彼らの集団的な行動の多くは、
私たち人間から見ると
遺伝的に組み込まれた生存本能としての行動であると捉えられる。

クマノミが、親から教わってイソギンチャクに隠れているとは、
誰も考えないだろう。

川に産卵された鮭は、一度海洋に出てから、
自身が産卵する時期が来ると
誰から教わることなく産まれた川へと戻ってくる。

北米地域に分布する蝶のオオカバマダラは、
毎年3月に何百万匹もの大群でメキシコから北アメリカ中部へ、
およそ半年にわたって3~4世代をかけて北上する。
ここで羽化した個体は、再び前の世代がいたメキシコへ集団で南下し、
数世代前の彼らが生まれた森へ集団で帰る
世代を経た渡りは、鳥類のそれとは厳密に異なる。

集団、つまり社会を伴って行動する記憶は、
遺伝によって引き継がれているのだ。


このように、動物たちにみられる集団行動は、
彼らの本能=遺伝に組み込まれており、
そうすることが自身の種を守るために選択してきた、
最善の方法として刻みこまれていると言える。

私たち人間の近縁であるサルの生態はどうだろうか。
ニホンザルの場合、10数頭から100頭を超えるさまざまな規模の
「群れ」と呼ばれるまとまった集団で生活する。
この規模は、生息域の環境や群れの中の
個体の性格分布などによって左右される。
群れは主にメスとその子供を中心に構成され、
大人のオスは群れの中に一割程度の数しかいない。
オスは大人になる前に群れを離れて単独で行動したり、
オスだけのグループを形成したり、
他の群れに加わるなどして生涯を過ごす。
群れを離れて単独で行動するものもおり、
彼らはハナレザルなどと呼ばれる。

動物園の猿山の印象が強いため、サルの世界にはボス君臨し、
まれにボス争いが発生して君主交代が行われていると認識しがちだが、
野生のニホンザルにいわゆるリーダーとなるボスザルはおらず、
いくつかの家族単位の集まりで群れを形成しているのだそうだ。

サル以外にも多くの哺乳類は移動・採食・繋殖の単位として
集団を形成する。
なかでもサルや人間のような霊長類は、
複数の雄と複数の雌から成る恒常的な集団を形成する傾向が強く、
そのサイズや性比の凝集性の変異が大きいことが知られている。
集団構造は、食物の分布や天敵の存在、気候などが挙げられる。
集団が大きくなると、集団内の採食資源の競争は激化することになるが、
一方で他の集団との闘争には有利になる。
どの程度の集団サイズが最適であるかは、
分布様式と食物の質・量によって変化する。

例えば、質の高い食物が集中的に分布している場合、
その場所は守る価値があり、
多くの個体からなる集団で防衛することとなっても、
集団内の全員が十分な資源を得ることが可能となる。
集団サイズは大きくなり、
また防衛力としてオスの集団への参加が増加する。

天敵に対する反応も集団形成において重要な要因である。
集団内の個体数が増えることで、天敵の発見率が上がり、
また警戒コストは下がる。
集団が大規模であるほど、襲撃を受けた時の死亡確率も低下する。

自然界では気候、気温による繁殖・育成のしやすさに違いがあるため、
温暖な気候とそうでない場合とで、
集団内の性比や季節繁殖性または通年繁殖性の個体数の比率が変化する。


私たち人間の「社会」もまた、
動物たちの集団形成と概ね変わりがないように推察される。

動物たちと違う部分があるとすれば、
人間は知能を高めることで、
自分たちよりもはるかに強い敵を狩ることができる武器を作って
戦術を練り、気候に左右されない服や家を手に入れ、
計画的な採食ができるよう土を耕した。
身体能力では貧弱なクラスの動物である人間は、
肉食獣が牙を持ったように、鳥が空を飛ぶ術を手に入れたように、
「知能」という武器を手に入れ、
「言語」という遺伝以外の方法で、
集団の内外に、または世代を超えて、
それらを伝達・発展させることで、
社会を大きなものとしてきたのだ。

つまり、人間の「社会」は動物界の集団形成の変容のルールと
基本的には変わらないものであり、
しかし、その様相は
非常に巨大かつ複雑に出来上がっていった結果だと言えるだろう。

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