オンライン v.s. オフライン

双方の言い分はよくわかる。

オンラインは出かけなくて良い。臭い人に会う心配もないし、ヤンキーに絡まれることもない。引きこもりが正当化される。今まで散々、外に出て遊べ、勉強しろと耳にタコができるほど聞いてきて、ウンザリしていたが、今はそんなことはもう言われない。

仕事だって上手くいっている。最近のITのツールは素晴らしい。コミュニケーションツールを使いながら、時にはジャンクな言葉を使いながら、気心の知れた仲間と仕事ができる。直接会わなくたって、進捗説明はできるし、みんなの進捗具合も目に見えてわかる。昼間に拘束されることもない。やりたい時に仕事をすれば良い。本当に必要な時、その時に起きて、パソコンを立ち上げれば良いのだ。

一方、オフライン派はどうだろうか。やっぱり、直接人と会えるのが最高だ。オフラインだとなかなか友達の輪が広がらない。仲間内だけで盛り上がるのにはもう飽きた。たまには、新しい人たちと対面でちょっと緊張した空気感を味わいたい。オフラインだと、やっぱり弱音が吐きづらい。全然わからなかった授業を、わからなかったとクラスのみんなで共有したい。みんなわからなかったんだと安心する。そして、一緒に先生に質問に行ける。オンラインだと、こういうことが難しい。特に少しマイナスの感情の共有が難しい。

仕事だって、最近思う。やっぱり、あのつまらない部長や社長の話を半年に一回でも集まってみんなでつまらなそうにして聞くのはよかったんじゃないかな。あのなんとも言えない、ちょっと気まずかったり、一生懸命聞いているフリをしていたり、そんなどうでもよかった、愚痴の材料にしかならなかったことが愛おしい。満員電車だって、あの汗臭さもたまには良いのかもしれない。綺麗なお姉さんや、かっこいいお兄さんにだって偶然会える。そこから何かが発展するわけじゃないけど、発展することを夢見るのもいいじゃない。

規模の小さいロマンティックなことを言っているかもしれない。しかしやはり、直接そのものに触れて感じることこそが、人生の豊かさに繋がるのだ。

双方、言い分はよくわかる。そして、最近は人種差別問題、男女差別問題などがグローバルの反動のナショナリズムと呼応して話題になってきている。今度は、オフラインハラスメントなる言葉も出てくるかもしれない。学校であれば、授業は対面でうけるべし、オンラインは認められない。これは、自由に反する。なので、私たちはオンラインで授業を受ける権利を主張する。学校の設備も大変だろう。国会議事堂が、車椅子の方を受け入れるために改修工事をしたように、学校の設備も大幅に変更するのだろうか。オフラインでもオンラインでもみなに平等な施設を作るべきなのだろうか。

最近の新聞の記事などを見ていると、久しぶりに対面であって、あまり気にしてはいなかったが、ストレスが溜まっていたり、やはり会えてお話をできたことを喜ぶ投稿も多々見られる。引きこもり大好きな人たちの意見はやはり、封殺されているのだろうか。

この議論は尽きることがないだろう。しかも上記視点では、学生であれば、修学旅行や科学実験、体育、技術家庭、音楽、美術などの科目の視点は抜け落ちている。仕事の観点としても、工場の現場や飛び込み営業、接客業などが抜け落ちている。オフラインは無くならないのだ。ここらへんは議論の余地なく、またオフラインで今まで通り継続されるだろう。もしくは、学校教育の科目であれば不要論が出てくるかもしれない。オンラインにできないものは軒並み廃止だという強硬論もある種の魅力を帯びてくるかもしれない。オンラインハラスメントとかいうのだろうか。

優勢思想はダメというのが社会の通説であり、多様性は認め合うべきもので、多様な世界だからこその面白み豊かさを感じるものである。オンラインとオフラインの共存の道を探るべきなのかもしれないのだが、余計火種が増えたような気がしてならない。核戦争の次は情報戦争だとえらい先生方は言っているが、オンラインとオフラインによる全面的な戦いなんてことにはならないよなぁ。

P.S.

ここには、筆者の個人的な派閥についてはできる限り追求していないはずであるが、どちらの派閥かを感じとられたら、まだまだ未熟だなとおもう。


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