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恋愛相性で見極めるべきただ一つの事

 男女の相性の良さとは何なのか、ということは永遠のテーマだ。結婚を前提にする僕の自己分析においても、最も重要とする課題だが、今回はこれについて考察する。


相性を考え出すと無限に理想が高くなる

 相性の良さを考えると、無限に評価軸を考えていかなければならない。
 話が合うとか、価値観が近いとか、生活リズムとか、金銭感覚とか…。これら一つ一つに相性を考えていくと、受け入れられる相手は1/2×1/2×1/2…と、一緒にいられる相手は無限に少なくなっていってしまうだろう。
 よく言われる高望みで、年収500万以上×身長165以上×大卒×首都圏在住×塩顔…ってやっていくと対象者がゼロになるように、精神性を大事にしようと思っても、相性というよくわからないものを真面目に定義しようと考えれば考えるほど、気を付けるべきと考える点が増えていってしまい、この沼にはまってしまうだろう。

 そのため、最低限これだけ満たしていれば他は後からどうにでもなる、しかも実用的に判別が可能である、というような、恋愛相性の核となるものを見極めてみたい。

「相性」の抽象度を下げていく

   精神的な相性はすごく大事にしたい。そういう人は多いだろう。だけど、目に見えないものだからめちゃくちゃ漠然としている。漠然としているからこそ、気になる軸が増えていってしまう。なので、この抽象度を下げていく必要がある。

   結婚を前提に二人の相性が良いという事を考えてみると、相性が良いというのは「お互いに、相手との関係性に満足できる」ような相性、と言い直しても良いだろう。

   そして、関係性に満足するためには、「コミュニケーションが健全に取れている実感」がお互いに必要となる。コミュニケーションは関係性を構築する元素である。二人の関係が、円滑なコミュニケーションによって確固かつ柔軟に支えられていることは、お互いの信頼や安心の前提となる。これが長期的なパートナーシップにおいてただ一つ重要なことで、多分愛情と呼んで差し支えないだろう。

 で、さっそく結論となるのだが、恋愛におけるコミュニケーションが健全に取れるかという事はつまり、
「自分の心からの自然な愛情表現が、相手に好意的に受け容れてもらえるか」
という一点に集約することができると考えた。

愛情表現とコミュニケーション

 人は、相手に対して愛情を感じれば、相手に喜んでもらうために言葉や行動、物や時間などを捧げると思う。
 この表現の仕方は、一般的にこうしろと言われているから(記念日プレゼントとか)、ということとは別に、もっと心の底からこうしてあげたい、というような表現(腹の底から自然に出てくる言葉とか)が存在するだろう。

 この心の底からの愛情表現によって、自分の気持ちが想定したとおりに伝わり、相手が幸福になってくれれば、自分と相手の心が通ったと実感できるだろう。自分の愛情が丸ごと肯定されたように思えるし、また、それが自分にとって自然な行動だから、すぐにそれを繰り返したくなる。受けた相手もその愛情で幸福になるのだから自分も返報したくなる。こうなれば、愛情の正のフィードバックが起こり、コミュニケーションは勝手に密になっていくだろう。

 逆に、その反応が微妙であれば、自分の愛情を否定されたような気がし、ささやかな挫折を味わう。挫折をすれば、自然な愛情表現に憶病になるし、自分を曲げて、自分にとって不自然な愛情表現をするようになるだろう。当然、疲れるし不満がたまる。受けた相手も、気持ちが乗り気でないし、価値のあるものを受け取っていると思えないから、同様の愛情をお返ししようとも思わない。こうなると、愛情的コミュニケーションの量も質も低下することになり、関係は表面化して消滅していくだろう。

 例えば、相手が落ち込んでいる時に、「黙ってそっとしてあげること」が愛情表現な人もいるし、「楽しいところに連れ出して気分転換させてあげること」が愛情表現な人もいる。
    気分転換に連れられて、「本当に気がはれた、嬉しい」と思う人も、「まじで今は勘弁してくれ…」と思う人もいるだろう。
 受け入れる側もいろいろな性格タイプがあるから、これらに良し悪しはない。それ故に、こういう個別の場面で自然にやってあげたくなる愛情表現が、そのまま相手の癒しにつながるということが良い相性なのだ。

まとめ

 自分の自然な愛情を相手が認めてくれるという事は、愛情表現の効果が大きくコストが低いということを意味する。
 効果が大きければ幸福度が高いし、コストが低ければ、単純に愛情表現の回数も増える。こうなれば、愛情コミュニケーションの質も量も増加するのだから、お互いにコミュニケーションが健全に取れていると実感できるし、すんなりと勝手に仲が深まる。そんなふうに、自然に仲が深まっていく関係は、相性が良いと思えるだろう。

ということで、恋愛における相性の良さを考える上では、

「相性が良い」
→「お互いに、相手との関係性に満足できる」
→「愛情コミュニケーションが健全に取れている実感を持てている」
→「自分の心からの自然な愛情表現が、相手に好意的に受け容れてもらえている」

 この一点のみに注力すれば恐らく良い。お互いの様々な違いは、ち密な愛情コミュニケーションがある二人なら、乗り越えられる範疇だ。(と信じたい)

実用的に考えると

 この定義から実用的に考えるなら、「自分が相手に愛情を示したいときに、どういうことをしたくなるか」ということを自己分析して、事前に理解しておくことが重要だ。この愛情表現の形を物差しとして、相手がどれだけ喜びそうかという事を測定すれば、恋愛の相性がわかる。

 例えばENTPだと、相手が精神的に成長できる道を提示してあげることが愛情表現になると思っている。
 そのため、「安心が大事であまり変化は好まない」とか「人から指図を受けるとマウント取られてるみたいで不快」みたいな感性を持っている相手には、一番してあげたい愛情表現ができなくなってしまい、コミュニケーションの量と質が低下する。
 逆に「精神的に未来志向か」、「意見を純粋に聞いて受け入れそうか」というのが、精神的相性が良いタイプとなる。普段の会話から性格的にどういうタイプか、要素を拾っていけばよいだろう。

 その逆として、自分がされてうれしい愛情表現も理解しておくべきだろう。特にINFJのような、自分からする愛情表現は誰からも受け入れられるけど、自分側の受けは狭いようなタイプは、こちらの分析の方が重要だ。相手がどういうことをしてくれるタイプなのか、それが自分にとってどれだけ価値を感じられるのか、想像してみると良い。

愛情表現の個別形&一般形

 ところで、愛情表現は個別形と一般形に分類できる。個別形は、今まで述べてきたような、個人が性格上もともと持っている、特に自然な愛情表現の形だ。一方、一般形は人類の求める平均的な愛情表現に近い通念で、社会的/生物的に望ましいものとしてコード化された愛情表現の形だ。

 一般表現に当たるのは例えば、連絡がマメとか、清潔感とか、レディーファーストみたいなものだ。世の中で言う男性(女性)としての自分磨き、というのは、多分この一般形の愛情表現を満遍なく得意にしていく過程だろう。
 そして、この一般形の通念は、社会が学んできた、「この程度の愛情交換ができてれば、子供を作れる程度には仲良くいられるだろう」っていうラインなんだと思う。結婚相談所的な価値観では大抵、お互いを「一般形の愛情表現ができる程度に成熟しているか」という軸で評価している。(エスコート、気配り、会話etc..)それで二人の相性は平均的には問題ないから。

 性格タイプの中でも、個別形が一般形の愛情表現と自然に近しく先天的に得意なタイプ(ESFJとか)は、社会の共通語で愛情を語れるため、精神的な相性の悩みというのは持ちにくいのではないだろうか。彼らの個別形は社会通念(一般形)そのものなのだから、放っておいても必然的に「相性が良い人」が多いし、広い範囲で問題なく関係を構築できるだろう。

 逆に、ENTPなんかは個別形が一般形と似ても似つかないタイプだ。(我々はネイティブ状態だと、相手に下らない悪戯する事が最大の愛情表現なのだ!)
 そのため、ENTPはモテるようになるため必死に一般系の愛情表現を学んで、後天的に矯正していく。短期間の恋愛であれば、それで十分だ。しかし、結婚相手となれば、ふとした時に出てくる自然な愛情(個別形)も受け入れてほしいというような願いを抱くことになるだろう。
 心の底からの愛情表現を相手から却下され、通念的な愛情表現だけをするように強制される関係であれば、自分が否定されたように感じてしまうので、間違いなく関係構築は不可能だ。「一般形の愛情表現に応える」というポジティブな努力はがんばるのだが、やはり個別形の愛情表現を拒否される悲しみは受け容れきれない。

 それゆえに我々(ENTPに限らず社会通念と遠い人達)は、パートナーを選ぶにあたって、特に精神的な相性を判別しなければならないのだ。そして、それは我々の抱く自然な愛情表現の形から想定できるのである。

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