見出し画像

モラルハザードをなくすには?|モラル意識について考える


こんにちは。ぐりです。最近は大学講義の課題が増え、なかなか読書の時間が取れず記事を不定期に投稿しています。何卒ご了承ください。


さて、今回は、

『出社が楽しい経済学』

を読みました。


この本は、NHKで放送された同番組の編集後記のような形で出版されたもので、経済学のワードについてわかりやすい例を用いながら説明してくれています。


この中で特に目を引いたワード、モラルハザードについて掘り下げていきます。なぜこのような道徳の欠如が問題となっているのか、どうすれば改善するのか僕なりに考えてみたので、最後まで読んでいただけると幸いです。


モラルハザードとは?

モラルハザードについて本著では以下のように記されています。

何らかの契約をした後で、依頼した側(依頼人)が観察できないところで、依頼された側(代理人)が行動をする。その行動が依頼人に不利益をもたらすといった構図の問題を、モラルハザードと呼んでいるのです。


本著では、これに該当する行動として

・業務中に見えない部分でサボること

・情報格差を利用した不当な取引(詐欺を含む)

・医療保険に加入したことで慢心し、暴飲暴食を繰り返すこと

などが挙げられていました。


これらに共通することは、

依頼人に気付かれなければ、何をやってもいいという極めて自己中心的な考え方です。



モラル=仲間同士のルール

モラルハザードについて考える前に、

そもそもモラルとは何なのか、考えていきます。


大辞林 第三版の解説によると

道徳。倫理。また、人生・社会に対する精神的態度。 「封建的な-」 「新しい-を求める」 「 -がない」

と書いてありました。道徳とは、社会で生活するうえで1人1人が守らなければいけない行動の基準・規範のことですね。


つまり、モラルを簡単に言い換えると、社会のルールといえます。


人権が保護され平和な日本社会が生まれたのは、モラルによって1人1人の行動規範が定められているからとも言えるかもしれません。



ただ、今回は「モラル=社会のルール」ということから

違う視点でとらえていきたいと思います。


社会(society)の語源には、もともと仲間(socius)という意味も含まれているということを、前回説明しました。



―――――――――――――――――――――――――――――――

※「社会」については前回記事にて詳しく説明しています。↓

―――――――――――――――――――――――――――――――


つまり、モラルというものは、社会のルールというように考えることもできる一方で、仲間同士のルールとしても考えることができます。



このように考えてみると、子ども同士でさえ、ルール=約束をしていることに気が付きます。


「明日一緒に、公園で遊ぼう!」とか、

「お菓子は半分こね。」とか

「鬼ごっこは、タッチされたら鬼が交代ね。」とか


色んな約束事を自分たちで創り出してきました。


明日、公園で遊ぶ約束をしたのにもかかわらず、その約束を破ってしまえば、友だち関係に亀裂が入ってしまうことが、子どもながらにしてわかっていたのでしょう。


逆に、この約束を守ることは、友達を続けること、ひいては相手から信頼されることにつながります。約束を守ることで、自分や相手の人格を認め、信頼関係を構築していくのです(法・権利的な承認)。


今日のモラルとは、この仲間同士のルールが、社会全体に、不特定多数に、広がっただけなのです。


モラルの存在意義とは、つまるところ自分の信頼のためといえるでしょう。



システム社会とモラルハザード

「モラルは自分の信頼のため。」ということをお話しました。


今日問題視されているモラルハザードに該当する人々は、おそらく

モラルを、フレームワークやシステムとして考えています。

その枠組みから収まっていれば、何をしてもいいという利己的な考え方です。



そして、このように考えるようになってしまう原因も

社会にあるのかなと思っています。


とりわけ、教育について、

子どもの頃にまた戻ると、


宿題は、ずっとやらされている感覚に陥りませんでしたか。

学期末のテストもできればしたくないなぁと思っていたのではないでしょうか。


なぜこのように思っていたのかを考えると、先生に言われたからやるというように、自分のためという意識が薄かった気がします。

宿題やテストによって、知識をアウトプットすることが、記憶の定着を図ることができます。さらに言えば、いま得た知識が、将来人の役に立つことができるから、自分にとって学びが価値のあるものだというようにも考えられます。


このように、自分にとって価値のあることだとしっかり明示しないがために、モラルを自分のためではなくシステムとして考えるようになっていきます。そしてその考え方は、中学・高校・大学に行くにつれて、さらに確固なものになっていきます。そして社会に出た時にやっと問題として浮上してくるのです。


「誰かの為に」○○する

モラルハザードを食い止めるには、現代の教育について今一度考えるべきです。社会に出た時に浮上してきては遅すぎる気がします。


まず第一に必要な考え方は、

「誰かの為に」という考え方です。

教育現場では、将来人の役に立つ知識を、いま学んでいるという意識付けをしっかり行うべきです。「誰かの為に、勉強している。」という考え方です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここで矛盾しないように、改めてフローチャートを書いてみます。


<モラルを守る(宿題をする)>

〔自分の信頼性向上(自分の為に)〕


モラルを守るために勉強したことで、新たな知識や思考法を得る

(自分の為になる)

〈その知識や思考法は人の役に立つ(他人の為になる)〉


つまり、

モラルを守るために勉強するのではない

将来役に立てるから、今、勉強することは価値がある

(自分の為ではなく、他人の為に勉強する)



勉強に対する意識が上がり、結果的にモラルが守られる


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


将来についてとか、わからないとしても、

知識を得たことが、社会で還元できた。さらに分解すれば、友達同士や、家族に喜んでもらえたとか実感できる環境が必要だと思います。

例えば、テストで個人の順位だけでなく、クラスを少人数のチームに分けた合計点の順位も出してみるわかりやすいかもしれません。もしチームメンバーと共に勉強を教え合ったことで、どちらも点数が上がったら、自分の知識が役に立ったという風にしっかりと思えるのではないでしょうか。

将来に役に立つという考え方がたとえわかりにくくても、アプローチの仕方を変えることで自身の学びが価値貢献につながっていることに気付けます。


そして付随的に、宿題をして褒められたり、テストで高得点が取れたりすることで、達成感を抱き、学ぶ意欲を高めていけるでしょう。



もし社会に出れば、「誰かの為に、仕事をする。」ことになるでしょう。

このように考えられる人は、自分自身の足りない部分を、自分自身で学んで補強していくというマインドをもっています。絶え間ない向上心を持って、依頼人のために最善を尽くすでしょう。


これらの行動は、結果的に自分の信頼性を高めることになります。


また、モラルをシステムとして考えることも阻止したいところです。前述しました宿題やテストについても、誰かが決めたシステムとして鵜呑みにするのではく、

「なぜそれをするのか」、「自分にとって必要なのか」

を立ち止まって考えることが大切です。


モラルとは、結局のところ仲間同士のルールなので、自分と相手の目線から考えて、どうしても納得できないものは無理をして守る必要はないと思っています。もし宿題をやる意義を見出せなければ(将来誰かの為にならないと思えたら)、やる必要もありません。ただ単に気分が乗らないだけだとしても、自分にとって必要だという認識があれば、自分からやりだすようになっていくと思います。


こういったクリティカルシンキングも、モラルは、人と人のつながりの部分から生まれたルールであるという認識を持つことで可能になります。


まとめ

モラルハザードを起こすような人の共通点は、利己的であることです。

モラルとは、仲間同士のルールであり自分自身の信頼構築のためにあること。そして、誰かの為に何かを行うという意識を持つことで自然と守られていきます。

また、モラルをシステムとして鵜呑みにせず、仲間同士のルールであるという認識は、今日問題視されている数多くの法律・規制・規則、暗黙の了解などを批判的に捉えるクリティカルシンキングも可能にします。

私自身、誰かの為に学ぶという考え方のもと、大学では様々な経験をしてきました。海外ボランティアや復興庁主催のインターンなど1つ1つの経験から得た知識や思考法をつないで、しっかりと社会に価値貢献していきたいです。


最後までお読みいただきありがとうございました。



【参考文献】

吉本 佳生(2009)『出社が楽しい経済学』, NHK出版





この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?